2021-04-23 第204回国会 参議院 災害対策特別委員会 第6号
二月十三日に発生した福島沖を震源とする地震によりまして、常磐道の相馬インターチェンジから新地インターチェンジにおいて、のり面崩落による通行止めが発生いたしました。その後の復旧作業によりまして、被災から約十九時間後には緊急車両の通行、また四日後には一般車両の通行を確保しております。
二月十三日に発生した福島沖を震源とする地震によりまして、常磐道の相馬インターチェンジから新地インターチェンジにおいて、のり面崩落による通行止めが発生いたしました。その後の復旧作業によりまして、被災から約十九時間後には緊急車両の通行、また四日後には一般車両の通行を確保しております。
これに対して、宮城県では、その後、三月に発生した宮城県沖を震源とする地震による被害を含めて一万棟以上の住家被害が発生したにもかかわらず、災害救助法が適用されていないため、被害の大きかった宮城県の山元町の町長、私、お伺いしたときに、災害救助法の適用を受けた福島県新地町は隣接する町なんですが、そこと山元町の被災状況に鑑み、国において同様の支援措置を講ずるよう、お話を伺ったわけでございます。
今日は、まずは、これ調査結果を聞いていなかったので是非とも確認をさせていただきたいと思っていた件があるんですけれども、今年の二月二十二日に、福島県と宮城県のちょうど境目の町なんですが、新地町というところの沖合八・八キロ、水深二十四メートルの漁場で捕れた四十センチ、かなり大物のクロソイなんですけど、このクロソイから、国の食品基準値は百ベクレルということなんですが、それを上回る一キロ当たり五百ベクレルの
委員御指摘のとおり、本年二月二十二日、福島県沖、新地町で漁獲されたクロソイ一検体から、一キログラム当たり五百ベクレルの放射性セシウムが検出されたところでございます。二〇一五年以降六年間、福島県により四万一千検体を超える放射性物質検査が行われ、そのうち、基準値を超えたのは今回を含めて二検体のみでございます。
特に相馬・新地エリアでございますが、新地町、非常に小さい自治体です。十年前も津波で大きな被害を受けましたが、今回はこの地震の被害で町の半分以上の方が住居に被害を受けていると。 こういう小さな町が被害を受けたとき、町の職員の数も足りません。それを査定をするのに期限等を決められると間に合わないということになります。
内閣府では、先般の福島県沖地震の発災後、職員を福島県に派遣をし、被災市町村の担当職員を対象に住家の被害認定に関する説明会において調査の留意点などについて説明を行うとともに、新地町を始めとする住家被害の大きな市町村に対し個別に被害認定調査に係る助言を行ってまいりました。
また、被災者生活再建支援法につきましては、現時点で三市町、福島市、桑折町、新地町でございますが、において適用されておりまして、昨年の改正により支援金の支給対象として追加されました中規模半壊世帯も、三月八日時点で十九世帯、福島市が十五世帯、桑折町が四世帯でございます、十九世帯あると聞いておりまして、これらの世帯も支援金の支給対象となると考えております。
そして、今回の福島県沖を震源とした最大震度六強の地震発生、それから今に至るまで、私の地元の新地町というところでは、県内最多の千三百棟の住宅が被害を受けたということでありまして、屋根瓦の修理も追いつかないということで、ブルーシートをかぶせたままで急場をしのいでいるという状況にもあります。
常磐道の相馬インター―新地インターチェンジ間も、常磐線、あれ着手し始めていたので、スペースがありましたので対応が早くできましたから、基本的にはもう四車線化は進めるというもう指示もしましたので、安全、安心を確保できる防災・減災対策、国土強靱化対策をしっかりと進めていかなければいけないと、国民の命と暮らしを守るのが我々の使命と責任だという自覚で頑張っていきたいと思っております。
福島県新地町沖で二月二十二日に水揚げされましたクロソイ一検体から、一キログラム当たり五百ベクレルの放射性セシウムが検出されたとの報告を福島県漁連から受けたところでございます。 福島県漁連は、当日のうちに、水揚げされたクロソイを全て回収、廃棄し、市場には出回らないようにするとともに、当面の間、クロソイの水揚げを自粛することを決定したと承知しております。
新地町というところでは、町長様の言葉をおかりいたしますと、私も現地に入りまして見てまいりましたけれども、全戸被害を受けているという言い方をしています。ですので、そういった意味からも、しっかりと御対応いただければというふうに思っておりますので、よろしくお願いいたします。 御存じのとおり、新地町は、実は、東日本大震災、原発事故からの復興のシンボルでもありました。
今お話ございました、私も昨日、常磐道の相馬インターチェンジから新地インターチェンジの間ののり面の崩落現場を視察してまいりましたが、改めて、こののり面対策、そしてあと、先ほどお話ありました砂防ダムの整備、これも、九十九か所の砂防ダムの結果、平成三十年の西日本豪雨災害ですとか昨年七月の豪雨災害でしっかりと効果が表れたということからも明らかだというふうに思っております。
新地町の漁師は、来春からようやく本格操業になるというときにトリチウムを流し、またマイナスから始めろというのかと悲痛な叫びを上げています。 総理は、福島の復興なくして東北の復興なし、東北の復興なくして日本の再生なしと述べましたが、復興の妨げとなる海洋放出の強行が許されると思いますか。当面は陸上保管を継続し、国内外の英知を結集し解決すべきではありませんか。
また、いわゆる夜のクラスターと言われる言わば夜間の様々な飲食業等々についてでございますが、東京の例えば新宿の歌舞伎町や六本木や渋谷、あるいは大阪においてキタの新地とかミナミ等々も全部、福岡も見まして、大体営業をやっておられる方は一割になっているわけでございまして、九割方これは自粛をしていただいている、大変な御協力を私はいただいていると思います。
ICTでは、宮城県では「MIYAGI Style」や、福島県でしたら新地町の福田小学校などでICT教育先進実践校として行っている好例などもございますけれども、さらに被災地域におけるICTに教育を入れていただきながら、ICT以外でも御支援をお願いしたいところがございます。
私も千葉県の選出の国会議員でありまして、うちの千葉県は十五号でえらい目に遭いまして、その際、実は、私の母が福島の新地町の出身で、もう亡くなったんですけれども、新地町の町長にすがるように電話をして、地元が困っているので水を何とか分けてもらえないかとお願いしたところ、すぐに水を送ってくださいました。改めてここで感謝を述べたいと思います。
今回の台風十九号によりまして、全国では下水処理場十七カ所、うち福島県内では、委員が今お話しになりました県北浄化センター、そして新地浄化センターの二カ所が浸水により被災をいたしまして、一時的に処理機能が停止をいたしました。
いわき市では平窪など浸水被害のひどかった地域を含む約四万五千世帯、相馬市、新地町、南相馬市の鹿島区の約二万三千世帯で断水をして、飲み水や食事、トイレ、お風呂など、生活に支障が出ています。 十三日にこの平窪という地域に伺ったときには、側溝の泥水で雑巾を洗っている方もいらっしゃったんですね。泥出しだとか片付けにも支障が出ています。
私は大阪一区でございまして、中山主査は大阪四区ということでございまして、大阪の中心部に我々の選挙区があるわけでございますけれども、簡単に言えば、私は、大阪城、通天閣、道頓堀がある地域、また、中山先生も、大阪城の横側が先生の選挙区であったり、北新地が先生の、主査の選挙区でありまして、大阪の中心部を二分するうちの一方が大阪一区ということでございます。
例えば、新地町においては、相馬市に建設予定のLNG基地の天然ガスを活用した熱電併給システムの構築を進めています。今後こうした取組を福島全県に拡大できるように支援をしてまいります。 福島新エネ社会構想は、福島を水素や再生可能エネルギーについて先駆けの地とすることで復興の柱となります。引き続き構想の実現に向けて全力で取り組んでいきたいと思います。
南相馬市、相馬、新地等、避難所に一緒に同行していただきました。 そのときに、一緒に連れていってくれた方が最後に涙を流して私に言った言葉が今でも忘れられません。おつきの人が時間がなくなるから早く次に行きましょうと言っている中で、安倍総理は、一人一人と膝を交え握手をして、頑張ってください、相手が何か言えば最後まで聞いて、全部終わったのが、新地町で、九時ごろだったと思います。
当時、世耕現経産大臣にトラックを調達してもらいまして、二人で、亀岡さんからこれが必要だというものを伺い、現地を訪れたところでございますが、そこで南相馬、また新地にもお邪魔をさせていただきました。 新地の避難所で非常に明るい感じでリーダーシップを発揮しておられた、漁協の組合長の方だったと思いますが、彼がとにかく元気を出さなきゃいけないということをおっしゃっていた。
吉野大臣は南からいわき市、双葉郡、そして私は相馬地方、新地町、相馬、南相馬と入りました。吉野大臣が一人でリュックを背負って双葉郡に歩いて入っていったという報告を受けております。立入禁止のぎりぎりのところまで私たちは北と南から入っていったわけでございます。