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48件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-11-26 第203回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号

私の地元、京都で、正確には、私というより安藤裕議員の御地元の石清水八幡宮さんの宮司さんの御好意で、新嘗祭のお米で余った分を子供宅食に御寄附をくださる、こういった本当にありがたい申出がございました。新米であれば、より子供たちがとてもおいしくいただけると思います。こういった地域での支え合い、これも含めて、この寄附文化というものが醸造していくといいなと思っております。  

木村弥生

2019-03-13 第198回国会 参議院 予算委員会 第8号

大嘗祭とは、天皇即位後初めて行う新嘗祭と言われております。新嘗祭とは、天皇陛下神嘉殿において新穀、新しいお米ですね、を皇祖始め神々にお供えになって、神恩、神の恵みを感謝された後、陛下自らも御栽培になった新穀お供えになる、宮中恒例祭典の中の最も重要なもので、陛下自らもそれをお召し上がりになる祭典ということが宮内庁のホームページにも書かれております。

長浜博行

2016-11-17 第192回国会 参議院 厚生労働委員会 第6号

そこで、十一月といいますと、これは成り立ちからいいますと新嘗祭ですよね。これが十一月の第二の卯の日です。たまたま太陽暦に変えた最初のときが十一月二十三日だったからこうなっている。それから、アメリカでいうとサンクスギビングデーですね。これ、十一月の第四木曜日。このどちらも収穫あるいは収穫物に感謝する日なんですよ。勤労感謝じゃないんですね。

足立信也

2014-04-23 第186回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

勤労感謝の日が一番大切な新嘗祭だったわけで、非常に宮中祭祀一体化して、君民一体での国づくりをしていた、委員長もうなずいているんですけれども、その大事な節目だと思うんです。だから、一貫した文化政策がやはり背景にあってこそ祝日ですよ、祝う日ですから。そこがどうかなと。山の日が何で山なのか、まだやはりその背景がわかりません。

田沼隆志

2013-06-03 第183回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号

いずれにしろ、戦前新嘗祭であったということは事実でありますし、昭和二十三年に議員立法国民祝日に関する法律が制定をされた際に、勤労感謝の日とされた。ただ新穀感謝を意味するものではなく、国民がお互いにその勤労と生産に感謝するという趣旨でこの勤労感謝の日制定されたんですね。  

菅義偉

2013-06-03 第183回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号

誰もが知っているとおり、これは戦前新嘗祭だったわけですね。収穫祭です。新嘗というのは、その年に収穫された新しい穀物をなめる、食するということで新嘗祭だったわけで、五穀の収穫を感謝する一年で最も大切な行事だったわけですが、これはもう非常に歴史も古くて、古事記ですと、アマテラスオオミカミがやったと書いていたり、非常に古い伝統です。  

田沼隆志

2013-04-10 第183回国会 衆議院 予算委員会 第22号

結婚の入籍日はわざわざお休みの新嘗祭の十一月二十三日にしたぐらいでして、非常に重要だと思っています。  ただ、私、評論家福田恒存さんを非常に敬愛しておりまして、その福田恒存さんが言うには、戦後の祝日は単に日曜以外の休日ができたにすぎないと述べられていまして、要は、祝日なのに祝っていない、単なる休日になっているという嫌いがあろうと思います。  

田沼隆志

2013-03-08 第183回国会 衆議院 予算委員会 第10号

今も新嘗祭天皇陛下は挙行しておられるわけでございますが、御皇室とともに豊作を祈るわけでございまして、これこそが、私は、日本の古来からの美しき、麗しき伝統なんだろうと思います。そういう営みの積み重ねがあって日本田園風景を守ってきたわけでございまして、私も、この国柄を守っていくことこそ私の使命である、こう思っています。  

安倍晋三

2012-03-22 第180回国会 参議院 内閣委員会 第2号

山谷えり子君 大嘗祭は御代替わりのとき、秋季皇霊祭は秋分の日ですから、新嘗祭なんです。  この新嘗祭というのは一年の収穫に感謝する。これに、夕方六時からと十一時からと二回あるんですけれども、その十一時からの儀式に参列したのは衛藤征士郎衆議院副議長と長浜官房長官でしたね。農水大臣二つとも欠礼なんです。これあり得ないと思いますよ、新嘗祭農水大臣が参列しない。

山谷えり子

2010-11-25 第176回国会 衆議院 予算委員会 第10号

○菅内閣総理大臣 一昨日は新嘗祭という宮中での大変ある意味では重い行事がありまして、歴代総理がほぼ必ずと言っていいほど出席をする行事であります。  その前にこの事案が発生をいたしまして、一定の指示官房長官初め関係者にいたして、また、ぶら下がりを通してその指示も伝えたところであります。

菅直人

2008-04-22 第169回国会 衆議院 決算行政監視委員会第三分科会 第2号

古代から赤米の神事とか、神道儀式には米、水、酒、塩、海の幸、山の幸をささげるとか、地域の年中行事宮中祭祀の中で一番大事なものが十一月二十三日の新嘗祭ということでもあります。そういった形での、まさに農林水産業というのは、宗教であり、信仰、思想ではなかったかなと思っています。  

赤池誠章

2006-01-17 第163回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

秋元司君 この宮中祭祀というのは年間どれくらいあるかということは私は正式な数は知らないんですけれども、結構あるというふうに聞いておりますけれども、その中でも最も大事と言われているのが四方拝と、四方拝というんですか、正式名称、読み方はちょっと難しくて分からないんですが、あとは新嘗祭という、この二つ祭祀の中でも一番かなめだと言われているというふうに聞いておりますが、過去において、今、御都合によって取

秋元司

2006-01-17 第163回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

それから、御指摘の新嘗祭それから四方拝につきまして、女性天皇の場合にどういう影響が出てくるのかということでございますけれども、まず、これまでのいろんな史料を基に若干御説明をさせていただきますと、最も重要な行事だと言われております大嘗祭それから新嘗祭これについてお話をいたしますと、まず、この行事自身が明確に行われるようになりましたのは七世紀以降でございますので、その時点以降の女性天皇、具体的には七代六方

風岡典之

2005-02-03 第162回国会 衆議院 憲法調査会 第1号

なぜならば、公的行為災害等のお見舞いなどとともに、この日本伝統文化を継承していらっしゃる歌会始あるいは新嘗祭等々、これが天皇存在にとって国民の敬愛の対象でもあると私は思います。そして、天皇存在の価値と意義がそこにもおありになるというふうに私は考えております。  ですから、必ず、私的である皇室行為というものは、半ば私的ではありますけれども、継承されなければいけないと思います。

池坊保子

2004-02-05 第159回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第1号

神武天皇が即位したとされる紀元節を表面では否定した建国記念の日の制定天皇が時をはかり、時を決めるとされた元号を、元号法によって内閣が決めるという形で、天皇伝統的な権限、権能を奪ってしまった元号法制定、それから、天皇を神格化する重大な神道儀式であると私は考えます大嘗祭を、新嘗祭と同様の国家国民の安寧と五穀豊穣の感謝祭にすりかえた大嘗祭の定義、あるいは天皇の長寿をたたえ、皇室の御栄えを祈る歌であるはずの

横田耕一

2000-05-17 第147回国会 参議院 憲法調査会 第8号

新嘗祭といいますと、天皇が即位して、天皇になって最初即位式新嘗祭大嘗祭ということになるわけで、新嘗祭を毎年やるわけでございますが、この新嘗祭というのは実は天皇だけに限られた行為ではなかったわけです。万葉集でも民衆が新嘗祭をやっていることも出てくる。  それで、新嘗祭と同じことは実は東南アジアの稲作民族の間に大変広く見られることであります。

石毛直道

2000-05-09 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第15号

それが、わずか三年後の一八七三年、明治六年に、太政官布告三百四十四号によりまして、新暦への転換とともに、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭紀元節神武天皇祭、神嘗祭、天長節、新嘗祭というふうにがらっと変わっております。つまり、日本の民俗的なものから皇室中心のものへと大転換をしたわけでございます。  これに基づいて出されました祝日大祭日儀式規定、一八九一年、明治二十四年。

嶺井正也

1999-10-13 第145回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号

お米の問題についてお伺いしたいと思いますが、昨日もこの質問をする前に百科事典をいろいろひもといておりましたら、日本というのは西暦ゼロ年前後のころお米が入ってきて、天皇のいろんな行事新嘗祭その他お米と密接な関係がある。また、徳川時代には大名の位は石高で示されたわけでもありますし、日本で一手にお米を商売として扱う大阪の堂島ですか、その他大変な役割をしてきた、こういうことであります。  

松村龍二

1994-12-06 第131回国会 参議院 世界貿易機関設立協定等に関する特別委員会 第5号

申すまでもなく十一月二十三日、かつては新嘗祭と、このように言っておりました。毎年、陛下は皇居内で田植えをされております。まさに日本国民皇室一体でございますし、そして皇室田植えをする、稲をつくるということ、そういう文化伝統の中で日本が今日まで進んできた。

吉村剛太郎