2020-11-26 第203回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号
私の地元、京都で、正確には、私というより安藤裕議員の御地元の石清水八幡宮さんの宮司さんの御好意で、新嘗祭のお米で余った分を子供宅食に御寄附をくださる、こういった本当にありがたい申出がございました。新米であれば、より子供たちがとてもおいしくいただけると思います。こういった地域での支え合い、これも含めて、この寄附文化というものが醸造していくといいなと思っております。
私の地元、京都で、正確には、私というより安藤裕議員の御地元の石清水八幡宮さんの宮司さんの御好意で、新嘗祭のお米で余った分を子供宅食に御寄附をくださる、こういった本当にありがたい申出がございました。新米であれば、より子供たちがとてもおいしくいただけると思います。こういった地域での支え合い、これも含めて、この寄附文化というものが醸造していくといいなと思っております。
大嘗祭とは、天皇即位後初めて行う新嘗祭と言われております。新嘗祭とは、天皇陛下が神嘉殿において新穀、新しいお米ですね、を皇祖始め神々にお供えになって、神恩、神の恵みを感謝された後、陛下自らも御栽培になった新穀もお供えになる、宮中恒例祭典の中の最も重要なもので、陛下自らもそれをお召し上がりになる祭典ということが宮内庁のホームページにも書かれております。
○井野委員 確認ですけれども、別に、一月にこだわっている、ないしは一月にしなきゃならない理由、まあ歴史的な経緯はあるにしても、例えば、元旦の一月一日だとか、憲法記念日だったり、新嘗祭の日だったり、いろいろな祝日がありますけれども、そういうものとは違うというふうに理解していいですか。
また、深夜まで行われる宮中祭祀としましては、十一月二十三日から翌日にかけて行われます新嘗祭神嘉殿の儀と、年間三回行われます御神楽の儀がございます。 新嘗祭神嘉殿の儀は、夕方から夜にかけて行われます夕の儀と、深夜に行われます暁の儀から成っております。
そこで、十一月といいますと、これは成り立ちからいいますと新嘗祭ですよね。これが十一月の第二の卯の日です。たまたま太陽暦に変えた最初のときが十一月二十三日だったからこうなっている。それから、アメリカでいうとサンクスギビングデーですね。これ、十一月の第四木曜日。このどちらも収穫あるいは収穫物に感謝する日なんですよ。勤労感謝じゃないんですね。
勤労感謝の日が一番大切な新嘗祭だったわけで、非常に宮中祭祀と一体化して、君民一体での国づくりをしていた、委員長もうなずいているんですけれども、その大事な節目だと思うんです。だから、一貫した文化政策がやはり背景にあってこそ祝日ですよ、祝う日ですから。そこがどうかなと。山の日が何で山なのか、まだやはりその背景がわかりません。
いずれにしろ、戦前は新嘗祭であったということは事実でありますし、昭和二十三年に議員立法で国民の祝日に関する法律が制定をされた際に、勤労感謝の日とされた。ただ新穀感謝を意味するものではなく、国民がお互いにその勤労と生産に感謝するという趣旨でこの勤労感謝の日が制定されたんですね。
誰もが知っているとおり、これは戦前は新嘗祭だったわけですね。収穫祭です。新嘗というのは、その年に収穫された新しい穀物をなめる、食するということで新嘗祭だったわけで、五穀の収穫を感謝する一年で最も大切な行事だったわけですが、これはもう非常に歴史も古くて、古事記ですと、アマテラスオオミカミがやったと書いていたり、非常に古い伝統です。
稲作の収穫を喜び、新嘗祭を催行してまいりました。これは今は勤労感謝の日となっております。米がとれなければ、食べられなければ一族が滅びる、その中にあって、自然に対し、敬い、そして恐れるのは当然だったと思います。 また、出雲の地方では、ヤマタノオロチ、こういった伝説もあります。
結婚の入籍日はわざわざお休みの新嘗祭の十一月二十三日にしたぐらいでして、非常に重要だと思っています。 ただ、私、評論家の福田恒存さんを非常に敬愛しておりまして、その福田恒存さんが言うには、戦後の祝日は単に日曜以外の休日ができたにすぎないと述べられていまして、要は、祝日なのに祝っていない、単なる休日になっているという嫌いがあろうと思います。
今も新嘗祭を天皇陛下は挙行しておられるわけでございますが、御皇室とともに豊作を祈るわけでございまして、これこそが、私は、日本の古来からの美しき、麗しき伝統なんだろうと思います。そういう営みの積み重ねがあって日本は田園風景を守ってきたわけでございまして、私も、この国柄を守っていくことこそ私の使命である、こう思っています。
○山谷えり子君 大嘗祭は御代替わりのとき、秋季皇霊祭は秋分の日ですから、新嘗祭なんです。 この新嘗祭というのは一年の収穫に感謝する。これに、夕方六時からと十一時からと二回あるんですけれども、その十一時からの儀式に参列したのは衛藤征士郎衆議院副議長と長浜官房副長官でしたね。農水大臣は二つとも欠礼なんです。これあり得ないと思いますよ、新嘗祭に農水大臣が参列しない。
新嘗祭、新嘗祭。
○菅内閣総理大臣 一昨日は新嘗祭という宮中での大変ある意味では重い行事がありまして、歴代総理がほぼ必ずと言っていいほど出席をする行事であります。 その前にこの事案が発生をいたしまして、一定の指示を官房長官初め関係者にいたして、また、ぶら下がりを通してその指示も伝えたところであります。
古代から赤米の神事とか、神道の儀式には米、水、酒、塩、海の幸、山の幸をささげるとか、地域の年中行事、宮中祭祀の中で一番大事なものが十一月二十三日の新嘗祭ということでもあります。そういった形での、まさに農林水産業というのは、宗教であり、信仰、思想ではなかったかなと思っています。
○秋元司君 この宮中祭祀というのは年間どれくらいあるかということは私は正式な数は知らないんですけれども、結構あるというふうに聞いておりますけれども、その中でも最も大事と言われているのが四方拝と、四方拝というんですか、正式名称、読み方はちょっと難しくて分からないんですが、あとは新嘗祭という、この二つが祭祀の中でも一番かなめだと言われているというふうに聞いておりますが、過去において、今、御都合によって取
それから、御指摘の新嘗祭それから四方拝につきまして、女性天皇の場合にどういう影響が出てくるのかということでございますけれども、まず、これまでのいろんな史料を基に若干御説明をさせていただきますと、最も重要な行事だと言われております大嘗祭それから新嘗祭、これについてお話をいたしますと、まず、この行事自身が明確に行われるようになりましたのは七世紀以降でございますので、その時点以降の女性天皇、具体的には七代六方
なぜならば、公的行為の災害等のお見舞いなどとともに、この日本の伝統文化を継承していらっしゃる歌会始あるいは新嘗祭等々、これが天皇の存在にとって国民の敬愛の対象でもあると私は思います。そして、天皇の存在の価値と意義がそこにもおありになるというふうに私は考えております。 ですから、必ず、私的である皇室行為というものは、半ば私的ではありますけれども、継承されなければいけないと思います。
神武天皇が即位したとされる紀元節を表面では否定した建国記念の日の制定、天皇が時をはかり、時を決めるとされた元号を、元号法によって内閣が決めるという形で、天皇の伝統的な権限、権能を奪ってしまった元号法の制定、それから、天皇を神格化する重大な神道儀式であると私は考えます大嘗祭を、新嘗祭と同様の国家国民の安寧と五穀豊穣の感謝祭にすりかえた大嘗祭の定義、あるいは天皇の長寿をたたえ、皇室の御栄えを祈る歌であるはずの
新嘗祭といいますと、天皇が即位して、天皇になって最初の即位式の新嘗祭が大嘗祭ということになるわけで、新嘗祭を毎年やるわけでございますが、この新嘗祭というのは実は天皇だけに限られた行為ではなかったわけです。万葉集でも民衆が新嘗祭をやっていることも出てくる。 それで、新嘗祭と同じことは実は東南アジアの稲作民族の間に大変広く見られることであります。
それが、わずか三年後の一八七三年、明治六年に、太政官布告三百四十四号によりまして、新暦への転換とともに、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭、紀元節、神武天皇祭、神嘗祭、天長節、新嘗祭というふうにがらっと変わっております。つまり、日本の民俗的なものから皇室中心のものへと大転換をしたわけでございます。 これに基づいて出されました祝日大祭日儀式規定、一八九一年、明治二十四年。
お米の問題についてお伺いしたいと思いますが、昨日もこの質問をする前に百科事典をいろいろひもといておりましたら、日本というのは西暦ゼロ年前後のころお米が入ってきて、天皇のいろんな行事も新嘗祭その他お米と密接な関係がある。また、徳川時代には大名の位は石高で示されたわけでもありますし、日本で一手にお米を商売として扱う大阪の堂島ですか、その他大変な役割をしてきた、こういうことであります。
申すまでもなく十一月二十三日、かつては新嘗祭と、このように言っておりました。毎年、陛下は皇居内で田植えをされております。まさに日本国民と皇室は一体でございますし、そして皇室が田植えをする、稲をつくるということ、そういう文化、伝統の中で日本が今日まで進んできた。