1973-03-28 第71回国会 衆議院 文教委員会 第7号
当時、この新制中学建設のための資金繰りがきわめて困難であり、そういう事態に直面をした市町村長さんの何人かが自殺をしたというような実例もあったわけであります。そういう戦後のまさに地方財政の窮乏のさなかに六・三制が発足をし、当該地域住民の血のにじむ努力で今日の六・三制というものが確立したのではないかと思います。
当時、この新制中学建設のための資金繰りがきわめて困難であり、そういう事態に直面をした市町村長さんの何人かが自殺をしたというような実例もあったわけであります。そういう戦後のまさに地方財政の窮乏のさなかに六・三制が発足をし、当該地域住民の血のにじむ努力で今日の六・三制というものが確立したのではないかと思います。
で、ドイツはき然として、ドイツ人教育にはドイツのあり方がある、だからそんなことは要らざるおせっかいだと言って、私たちは初めての敗戦でうろたえていたものですから、結局はアメリカの言うとおりな制度をつくって、新制中学建設に市町村が市町村財産を売却して非常に疲弊したという経験を持っております。
然るに二十四年度の予算を見まするに、当初内定されていた七百五十億円の公共事業費におきましては五百億円に削減され、その結果、そのうち新制中学建設費として予定されました七十億円は全額削除されたと傳えられ、ここに六・三制は全く危機に直面するに至つたのであります。
私どもは全國町村長会の名におきまして、政府当局に向つて新制中学建設費の全額國庫負担を昨年以來要求して、今なおその要求運動を継続いたしております。私の村は戸数七百八十戸、人口四千三百余であります。新制中学校の学級が六学級、まず郡内中等の村と思います。村の当初予算が百四万であります。そのうちどうしても村に財源がございませんので、約三〇%は政府交付金に歳入を求めております。
そのうち戰災復旧費として五億円、それから災害復旧費として一億円、それから四月には追加予算として六億円、それから今年度の新制中学建設費として四十一億円、合計五十三億八千万円ばかりが計上されているのでありますが、そのうち実際に新制中学の建設費として計上されている國庫負担分は四十一億円であります。この四十一億円から出てくる教室は、その左にある一万九千八百三十七であります。
昭和二十三年度新制中学建設費を予算はどういうふうに算定したのであるかということを示しておるわけでありますが、たの方は予算経過、政府が予算を出すまでに予算を作るのにどういう基礎に基いてこの予算を作つておるかということを示したのでありますが、初めに今年度の新制中学の生徒数は幾ら殖えるか、いわゆる自然増加であります。これを生徒数約百万とこれは政府が見積つたのであります。
現下地方財政の実情は、経営支出の財源にすら困窮し、役場吏員の俸給さえ遅拂いの状況にして、とうてい新制中学建設のごとき多大の費用を賄う財源なく、これが建設遅延はもちろんのこと、まつたく不可能の状態でありますから、地方財政の現状を御賢察くださいまして、新制中学建設費全額國庫負担とするよう、格段の御配慮をお願いいたす次第であります。