1999-09-09 第145回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
○国務大臣(関谷勝嗣君) まず、復緊事業、河川災害復旧等関連緊急事業というものでございますが、これは私は本当に画期的な制度ができたと思っておるわけでございまして、平成十年に新潟県の新井郷川等を初めとする全国的な河川災害が多発いたしまして、当時の制度でございますと、上流、下流のバランスの制約から再度災害防止のための十分な改良復旧というのができなかったわけでございます。
○国務大臣(関谷勝嗣君) まず、復緊事業、河川災害復旧等関連緊急事業というものでございますが、これは私は本当に画期的な制度ができたと思っておるわけでございまして、平成十年に新潟県の新井郷川等を初めとする全国的な河川災害が多発いたしまして、当時の制度でございますと、上流、下流のバランスの制約から再度災害防止のための十分な改良復旧というのができなかったわけでございます。
まず、災害関係でございますが、先ほど松村先生の方からもお話が出ましたけれども、私も去る九月三日に新潟県の新井郷川流域、福島潟関連の放水路の災害復旧工事の現状をちょっと見てまいりました。これは、平成十年八月四日に八・四水害ということで大変な被害が出たわけでございますが、それを復旧しようという事業でございます。
この放水路は、昭和四十一年七月、また翌年の四十二年八月の集中豪雨の災害を契機にいたしまして、新井郷川の恒久的な治水対策の一環として計画をされまして、福島潟から新潟の東港への放水路ということで、昭和四十四年に着手したと伺っております。
福島潟につきましては、これは新井郷川に関連する改修でございまして、福島潟の放水路というものをもって対処すべく昭和四十四年から着手しているわけでございます。また、これに並行しまして新発田川というのもこの地区にございまして、この放水路も一緒にやっております。これを合わせまして新井郷川の中小河川改修としてやっているわけでございます。
まず、福島潟放水路及び新発田川放水路の現状と見通しでございますが、この放水路事業につきましては、先生十分御承知だと思いますけれども、新井郷川という中小河川改修事業で昭和四十四年から採択して今年まで、工事に先立って必要な用地の買収を促進してはきておるところでございます。その進捗状況は、福島潟の放水路につきましては、全用地のうち、五十三年度末までに約三〇%買収が進んでおります。
○前田説明員 ただいまのお話につきまして、福島潟干拓地が治水上遊水地でございますので、新井郷川流域の治水対策といいますか、排水計画と密接な関係があるということはもうおっしゃるとおりでございます。そういうぐあいに認識しております。
ですから、さっき川本治水課長の方からもお話がございましたように、いま新井郷川の排水ポンプを使って阿賀野川に吐き出しているわけです。ところが、今回の災害では、その排水の能力の限界以上であったわけです。それで周辺全体が、もう潟も一切合財全部やられてしまっておる、こういう状態なのですよ。
そして、潟の外の方で農耕をやっておられまして、それから潟は、新井郷川漁業協同組合というものがございまして、そこで魚をとったりなんかしておられまして、それで生活をやってこられたわけです。それで、この人はその当時四百五十名の漁業協同組合の組合長の役割りをやってこられまして、漁業協同組合の立場からするならば、干拓に強く反対するものがあった。
先生お話がございました福島潟関係の放水路でございますが、いわゆる福島潟放水路というものは、新井郷川という中小河川改修事業の中で昭和四十四年度から着手してまいりました。福島潟での計画洪水流量が千三百八十トンでございますが、それを福島潟で相当量カットいたしまして、残流域の流量の四百九十トンを福島潟から放水路を新たに開削いたしまして新潟東港に排水しようという計画でございます。
ただ、今後治水当局におきましても、福島潟それから新井郷川等のしゅんせつ工事等を進める予定でもございますし、その他にも治水工事の計画があるやに承っておりますので、それとの関連におきましてはこのかさ上げというものも可能になる時期があるかもしれぬということは考えております。
局長が言ったように、新井郷川のしゅんせつをやったり、排水機をつけたり、福島潟の水の切り落としをやったりなんかすれば畑にならないという保証はありませんよ。しかし、それは将来のことであって、まだわからない問題なんだ。何年後にできるかわからぬ問題なんだ。
これから新井郷川のしゅんせつをやるのだとか、県知事に言わせれば胡桃山に排水機をつくるんだとか、いや、東港にこの水を切り落とすなんという、これは大変な大工事であり、希望であります。しかし、なぜこれをやってから畑作にせいと言わないのです。 幸いにしてことしはあふれなかった。てっぺんを二センチとか三センチとか残したそうです。
日本ガス化学のほうは、新井郷川のほうへ阿賀野川から流れてきたというような疫学班の報告でもあり、科学技術庁に出された厚生省の結論だと思います。ところがその後明らかになったところでは、いやそうではないというような、重要な水の流れのことが変わりました。
それも、新井郷川のほうへ阿賀野川から流れておったから、これはやらなかった、そういうことも理由の一つなんです。それから日本ガス化学からの排水口の水ゴケの中にメチルのそういうものが出てきたとかいうことは全然ないわけです。だが、これは汚染のどまん中にある工場です。
それにはそれなりの理由がありますけれども、その中の一つだけ、きょうは時間もないようですから申し上げておきますが、たとえば厚生省から結論を出されたあとに、この患者の出ているほんとうのどまん中に日本ガス化学という会社があって、それは新井郷川という小さい川です。こちらは阿賀野川という川です。
新発田川、新井郷川を通じ阿賀野川に来たのではないか、こういう疑いが十分持たれるわけで、以上の三つは、患者の発生している中心地にあって、やはりそういう疑いを持たなければならないものではないか。一つは農薬、一つは日本ガス化学、一つは農薬製造会社が汚水を地下に圧入しておる、こういうように申し上げました。
私がずっと過去の経過を見て、たとえば通船用に閘門がなかったじゃないかというような反論をされると、あとから調べて、ありませんでしたとか、新井郷川の流れが違うじゃないかと言ったら、結論を出したあとで、申しわけありませんでした、違っていましたとか、こういうことをやったってだめですよ。
右のほうの字のまん中ごろに、「2、新井郷川について、(1)日本ガス化学創業以前は魚種として、コイ、フナ、シジミ、(2)工場創業後は周辺河川はとれなくなり、排水機場上流で漁獲をしている状況である。(3)シジミについては一部いまだ生存しているところがある。」こういうことです。つまり、ここのはみんなもうなくなってしまっているわけです。その中を水が行ったり来たりしているわけです。
新井郷川の水路のどろの中の水銀量は、これは疫学班ではない、たぶん試験研究班だと思いますが、四五・五〇とか三四とか水銀は高いわけです。だから、いまの局長の答弁とは私は違うと思う。悔いわけです。 それからまた、新井郷川のほうから阿賀野川に流れておったという、このことだけは重大な事実誤認だ、これは認めていただけますか。
ところが、新井郷川の流れの変わったことが、厚生省やあるいは食品衛生調査会が結論を出したあとで、わかり、そこに流れが違っているという重要な問題について事実誤認があったわけです。その経過については、新しい局長おわかりでしょうか。食品衛生調査会が結論を出した後に、新井郷川の流れが違っておるという重大な事実誤認があったわけです。お手元に資料5というのを差し上げてあります。私、絵を書いてきました。
新井郷川の現在の河口からも約二キロぐらいのところにございます。以前はどういう状態で流れておったかは明らかでございませんが、現在の状態では、その途中に構造物等がなければ、大体平時においては干満差によって支配される水位であると思いますので、これは阿賀野川から新井郷川のほうへ流れることもあるし、新井郷から阿賀野川のほうにも流れる、こういう可能性のある水路ではないかと思います。
もう一つは新井郷川のほうへ阿賀野川のほうから流れておった、こういうようなことで、この日本ガス化学は調査する必要がないみたいに、ここに出ているのです。それしか出ていません。ところが実際は、よく考えてみれば、あの河口から十キロばかりの円を書いてみると、このどまん中にその工場があるわけです。先ほど申し上げたように、水銀の消費量は、六十キロ上の昭和電工の倍なわけです。
新井郷川は——たとえば、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、日本ガス化学の排水、そういうものについての調査が十分行なわれていなかった、こういうように私は申し上げましたが、具体的に、疫学班はどうように書いてあるかというと、こういうことを書いてあるわけです。これだけのことしか書いてないのです。「本工場の」——これは日本ガス化学松浜工場のことです。
被害のはなはだしかった加治川左岸地区におきましては、国で設置いたしました新井郷川の排水機のほかに、臨時設置のポンプ五十六台、内訳は、そこに書いてございますように、北陸農政局から十五台、関東農政局から十九台を現場に持ってまいりまして、それに県の二十二台を動員いたしまして排水につとめたのでございます。
一部自然排水の地域もあるわけでございますが、排水工事を行なったのでございまして、特に、非常に冠水面積の大きかった加治川左岸地区におきましては、国で設置いたしております新井郷川の排水機のほかに、北陸農政局保有の十五台、関東農政局保有の十九台、県有の二十二台、合わせまして五十六台の臨時設置のポンプを稼働いたしまして、排水に全力をあげまして、ほぼ所期のとおりの時期に排水の完了をいたしたのでございます。
今度の災害でも相当働いておりますが、これと農林省の新井郷川の排水機とが結びついていない。排水機だけでは不十分で、自然排水をも兼ねて、新井郷川と阿賀野川とを結んでおけばよかったんだ。予算を一億円ちびったために、これができていなかった、こういうところに人災ではないかと罹災民から非難される原因があるわけです。この点について、まず最初に古賀河川局長にお答え願います。
新潟県下におきましては、九月二日ないし六日完了を目途に、国または県で設置いたしております排水機によりまして、六カ所にわたる湛水地域についての排水工事——一部自然排水がございますが——を行ないまして、特に湛水の面積の大きかった加治川左岸地区におきましては、国で設置いたしました新井郷川の排水機のほか臨時に設置いたしましたポンプ五十六台、これは北陸農政局で保有いたしておりますもの十五台、関東農政局で保有いたしておりますもの
これはちょうど新潟の水害で、非常に大きな新井郷川のポンプ所があっても、あれだけの水が川から入ると長い間湛水したというのと全く同じでございます。したがいまして、まず建設省のほうと十分連絡いたしまして、地区の周辺を流れております七戸川は、これを完全に河川改修をしていただきたい。
もう一つは、新井郷川の東洋第一といわれる排水機があるが、地盤沈下がもう五、六年前から起こっておるわけです。今日では約二十センチ程度の沈下を見ておるといわれておる。沈下すればするほどその能力は減退するわけです。これに対する補強工事がどういう形がいいかは、これは私ども専門ではありませんから、よくわかりませんけれども、補強する必要があるのではないか。
それで、いま御指摘になりました直接海岸に切り落とす排水溝を掘る問題でございますとか、あるいは今度の湛水の防除につきまして、新井郷川の大排水機がずいぶん活躍して湛水の防除に強力な援護射撃をいたしたと考えておりますけれども、その補強の措置でございますとか、あるいはさらに阿賀野川に切り落として湛水排除の一助とした措置をこれからどういたすかという問題につきましては、国営事業がいろいろ同じ地区にかみ合わさっております
私ども調査団一行は、二十五日昼少し過ぎ新潟県庁に着き、関係者から説明を聞いた後、ヘリコプターで加治川、阿賀野川、新井郷川、新発田川流域の被災市町村、すなわち加治川村、紫雲寺町、豊浦村、新発田市、笹神村、中条町、関川村、黒川村、豊栄町、新津市、荒川町を視察、翌二十六日は、阿賀野川、加治川、新井郷川、豊栄町、新発田市、水原町、新井郷川排水機場、国道七号線、阿賀野川排水工事現場等を視察、新津駅から出発して
○説明員(古賀雷四郎君) 阿賀野川堤防の開削を七月二十四日行なったわけでございますが、これは加治川から入ってくる内水をはくために、農林省の新井郷川排水機とともに効能を発揮したものでありまして、その後湛水が非常に低下いたしまして、一応その目的を達したと思われましたので、われわれといたしましては、これは早急に阿賀野川の洪水に対処するために締め切りを早くやりたいというぐあいで、いま締め切りをやっている最中
翌二十四日は、県庁において、知事、副知事をはじめ、県議会議長、同災害対策委員長、県議会議員の方々多数からこもごも説明を承ったのでありますが、その要旨は最後に御報告申し上げることとし、引き続き、新井郷川大排水場及び阿賀野川堤防開さく個所並びに湛水地帯を視察してまいったのであります。
ところが、湛水した水はほとんど最後に豊栄町、それから新潟市の濁川地区を経由して新井郷川または阿賀野川へ出る、こういうことになるわけです。したがって、濁川、豊栄地内というものは、あらゆる汚物から、家畜の死体から、全部が集中してくるのでございます。そこで、それらの両町村といいますか、一つは新潟市と合併したものですから新潟市でございますが、そこの清掃事業というものはたいへんなものでございます。
なお、これの排水につきましては、新井郷川の水門、あるいは新井郷川の排水場、あるいは阿賀野川の堤防開さく地点、あるいは上流の地点等につきまして、さらに臨時ポンプを若干増強いたしまして排水につとめております。したがいまして、大体のところ、いま国道七号線の水深が三十センチほどございますが、乗用車を除いては通過可能な状態になっております。