1971-12-04 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第10号
しかし、異民族支配と同時に、もっと長い、いわば慶長の薩摩侵略以来の数百年に及ぶ、異民族支配に対することばで言うならば同民族支配とでもいうべき、そういう長い間の伝統的な歴史的な本土の仕打ちが、さらに、先ほど申し上げましたような断絶感とかあるいは差別感とか被支配感というものを持ったと思うのです。
しかし、異民族支配と同時に、もっと長い、いわば慶長の薩摩侵略以来の数百年に及ぶ、異民族支配に対することばで言うならば同民族支配とでもいうべき、そういう長い間の伝統的な歴史的な本土の仕打ちが、さらに、先ほど申し上げましたような断絶感とかあるいは差別感とか被支配感というものを持ったと思うのです。
しかし、先ほど申しますように、沖繩の人たちの心の中には、たとえば本土との断絶感、距離感あるいは異質感、違和感あるいは不信感、疎外感、被支配感、被差別感というようなものが、沖繩の人たちの心の中にあるといわれております。そのいま言いますような思想的な問題の解決がなければ真の本土並みにもならない、沖繩問題を真に一体化することができないだろうと思うのです。
そういう長い歴史的な経験の中から、先ほど言った断絶感なり不信感なり違和感なり被支配感なりを持ってきた。そういう沖繩の心というものを基礎に置いたときに、沖繩はいま日本に、返還にあたって何を求めていると思いますか。
また、中国との国交回復問題などに至っては、ことばと行動と全く相反し、中国との間にますます断絶感を深め、抜き差しならぬ状態にまでおちいっております。内外多事のおり、国家国民にとってこの上の不幸はないといわなければなりません。
家庭裁判所の調査官あるいは一般の調査官というふうな面では、かなり精神的には断絶感がなくなっておりますが、そのほかの一般職員にも広げまして、その職分において責任の持てる体制の確立ということが必要であろうかと存じますので、具体的にどのような形をとるかという問題になりますと非常にむずかしいのでございますけれども、さしあたりは権限委譲というようなドイツ方式も検討に値する方向であると考え、近々に、書記官協議会
○西宮分科員 とにかく農民と行政との間に断絶感が生まれる、こういうことがないように、私はそういう懸念が多分にあると思うのですよ。その点を非常に憂慮をしておるわけですから、どうか農民と行政との間にそういう深刻な断絶が生まれるというようなことがないように、これはあくまでもこまかい配慮をしてもらいたいと思います。
かくて人心はうみ、ために国民相互間に疎外感と断絶感がかもし出され、これが、あるものは極左的破壊運動となって奔騰し、あるものはヒッピー、アングラのじだらくとなって内攻し、現にそれがハイジャックの暴挙となり、また今回の三島事件の狂乱となって暴発するなど、ここに昭和元禄の太平ムードの底流には、はかりしれない造反的エネルギーが次第に不穏な高まりを見せておるのであります。
その善悪の論議はまたあるとは思いますけれども、こういった面で政治が実行を示さない限りにおいては、私は、断絶感というものはなかなか根絶することはできないのじゃないか、こう思うのでございます。現に私たちもいろいろな関係で学生諸君と話し合いをしておりますけれども、そこに意識の断絶というものは毛頭ない。
家庭教育についてみましても、単に新しいこれからの家庭教育というふうに説きまして、われわれが自分の親からしつけられた事柄、それは時代の変遷によってもそう変化のないような事柄まで、単に非常に新しいことでなければならぬというふうに説くことはかえって誤解を招きまして、いたずらに若い世代と親との間の断絶感があるのだという前提に立ってものごとを考えます場合には、かえって導く立場にあります年長者の自信を喪失するということもあるわけでございます
私詳細にそういうことを研究はいたしておりませんけれども、それはございますが、まず一般的な問題に引き直してみた場合には、普通の日常生活におけるしつけあるいは親と子の関係というものについてそう断絶感というものを前提としなければ親の教育ができないというふうには考えておらないのであります。