2017-03-03 第193回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
表題は「百年前の文部省廃止論」。ちょっとびっくりするような表題が出ていまして、これは何だということで読んだんですが、高橋是清が原敬内閣の大蔵大臣だった一九二〇年、大正九年、このときに提出した「内外国策私見」という文章の第四項目に、「文部省ヲ廃止スルコト」という項目がありました。曽我氏はこれを引用して今回の事態を批判しまして、一番下の最終の段のところに結論が書いてあります。
表題は「百年前の文部省廃止論」。ちょっとびっくりするような表題が出ていまして、これは何だということで読んだんですが、高橋是清が原敬内閣の大蔵大臣だった一九二〇年、大正九年、このときに提出した「内外国策私見」という文章の第四項目に、「文部省ヲ廃止スルコト」という項目がありました。曽我氏はこれを引用して今回の事態を批判しまして、一番下の最終の段のところに結論が書いてあります。
そこで、香山健一さんみたいに文部省廃止論などというのが出てくるのですが、明治維新後百二十年たてば、文部省が解体されなくてもすべての制度がある新しい形に変わらなければいけない。これは第二次明治維新と言っていいと思うのですが、第二次明治維新は日本の明治維新じゃない、地球的規模の明治維新なのです。
中には文部省廃止論まで出てきておりますけれども、私は、明治維新以後百二十年たてばあらゆるものを革新しなければいけないんです。これはいろいろな面ではっきりと証言できると思っております。 まず、日本の明治維新以後の教育の発展というものが日本の経済成長に隠れた貢献をしている。これは私どもの研究によって非常にはっきりわかっております。
○柏原ヤス君 最後に、明治三十年代に、教科書会社の賄賂による汚職が絶え間なかった、こういう時代に文部省がやはり信用を失って、文部省廃止論というところまで問題が行った。結局教科書は国定制度になったという、こういう歴史がございますが、このような愚かなことを二度と繰り返してはならない。しかし、ここで相当文部省が毅然とした態度でりっぱな教科書ができるような方法をとっていかなきゃならない。
これだから文部省廃止論なんか出てくるのです。きょうのところはやめますが……。 いずれにいたしましても、農林大臣、林野庁もおられますが、私は時間がないから駆け足で言いますよ。このたびの雪は重いと同時に、先ほど申しましたように地方別の差があるのです。いま福井と福島県あたりは折損木いわゆる倒木でまいっているのです。
羽仁五郎氏提唱の文部省廃止論などにも共鳴者がどんどん増えていくの ではないか。 こういう見方をしておるんですね。このことは単にこういうコラム欄だけじゃないんです。二十七日の投書欄にはまたこう書いてある。「派閥紛争が汚した文相人事 次代を担う青少年指導忘れて」と、こういう表現のもとに、六十八歳の無職の平井秀太郎さんが出している。
同じようなことをしていると、ほんとうは文部省廃止論が出ますよ。局長以下もう少し考え直さないと、何かこういうものが出ておると時代と全然無関係な政策が別に出るように思うので、申し上げておきます。 次に、学校教育制度、これは政策の原点としてお聞きしたいものだけをお聞きします。
そういう意味において、これでは日本の文教政策はとうてい教育的な立場において解決するめどがなくなるのじゃないか、私はふっとそのとき、文部省廃止論さえ出るのじゃないかとさえ実は感じたのであります。 その意味において文部当局にお聞きいたしたいと思うのでありますが、いま文部大臣がいないので、その直接の責任局長である宮地局長に、まず率直に心境をお聞きしておきたいと思います。
文部省廃止論なんか出はしません。切望いたします。 次に、青少年の問題について、私がどうしても提案したかったものが残っておるので、この機会に要望いたしたいと思うのです。現在、いなかに行きますと、教育委員会における社会教育関係、民間、行政を通じて、日曜日に社会教育行事をやるのです。あらゆる会合をやる。
文部省廃止論がちまたの専門的教育者の中に相当叫ばれているようでありますけれども——大臣、これは私冗談を言っておるのじゃない。私もあらゆる角度から考えて、むしろ今日わが日本には文部省という役所は要らないのではないかと思うが、この廃止論に対する文部大臣の御所見を承りたいと思うのであります。