2004-06-03 第159回国会 衆議院 憲法調査会 第7号
私は、ある意味では、このことというのは一つの文明観、文明史観、これはサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という著書で著したわけでありますが、この人権についての考え方というのも文明観によって異なっている部分があるのではないかと。
私は、ある意味では、このことというのは一つの文明観、文明史観、これはサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という著書で著したわけでありますが、この人権についての考え方というのも文明観によって異なっている部分があるのではないかと。
○下村小委員 この人権規約について、例えば、サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という本の中で、一つは文明、これはその国の宗教観とか歴史観とか、トータル的なそういう文明史観ということの中で、この人権ということについて、考え方なりあるいは思いが必ずしも同じではない、かといって、それが人権無視ということでもないという、一つの文明的な観点からとらえているところもあると思うんですね。
文明史観というものについて、学者さんの世界でいろいろな研究もなされておりますけれども、日本文明というものがあるならば、これは、西洋文明でも、アジア文明というような一言でくくれるものでもない、日本固有の独自の文明観、精神文明というものを持っておると思っております。
あの中でも述べておられますけれども、やはり私も、何といいますか、人間と社会の再生産力をどのように維持していくかといった、先生が表現されておられるそういう問題意識に非常に強く共鳴を覚えている一人でございますが、そういった中で、少子化、高齢化というのを文明史観的なとらえ方でこれからの財政、経済の問題を議論すべきだという御主張はまことに同感の至りと私は思うわけでございます。
本当のことをたたきつけて、後世の人にわれわれ国会の記録の中に、自民党の方が私は相当な教育を受けた人もあるし、恥を知っている人もあるから、特に参議院においては、ばかげた憲法改正などという社会科学の方法論も、政治経済の文化にわたっている経綸も、文明史観も哲学も持たない、官僚のなれの果てと言われたくないだけの私は常識を持っていると思うんです。
政治はやはり文明史観と哲学を持つその英知の中から特に体当たりで、体でぶつかって、そこから発するところの直観と決断によってタイミングを逸しない一つのひらめきが出るのじゃないかという点において、ひらめきを私は非常に政治学においては重視しておるのであります。
あのときの字句は必ずしも整備されたものではありませんけれども、あの気魄、あの抵抗力、あの人民の声をたたきつけていく根性が日本民族の中に失われてしまって、おれは最高機関の国会議員であるから、多数決によれば、最高機関が決めたことによるから問題はこれで処理できるんだというような薄っぺらな哲学のない、文明史観のないへなちょこ理論がこのごろはやっておりますけれども、民族には民族のもう少し魂と根性があってほしい
日本の孫子の兵法を勉強したという人たちに文明史観と哲学が欠けているのであって、勝てばいいと言って包囲戦をやって、徐州でもあるいは南京でも全部失敗しております。
次の機会にヤルタ協定の問題あるいは軍縮総会に臨む日本の態度の問題、米ソに対する日本の対応の仕方、ついでに中国との問題、そういう問題も国民がわかるような形でやっていかなければ、もう国民が承知できなくなったというぎりぎりの点が来ましたから、次には改めて今度は厳粛な論争として資料を基礎として質問を展開する、揚げ足取りの外交の時代じゃない、文明史観と哲学を持たない俗悪な政府にいまの政治を任しておくことはできぬという
アメリカの言うことを聞くことがアメリカとの親善関係には一番よいというので、マンスフィールドさんがこう言っているから、あの苦労人が言うことだから、われわれはこの言を尊重しなきゃならないという受けとめて、イエス・ノー、日本にとって世界にとって、それがためになるか、ためにならないかという判断をしないで、そういうイエスマンというのが特に外交官の子弟なんかには――外国で育って、語学が少しできて、哲学がない、文明史観
いまわれわれが次の世界の新秩序をつくるために、必要な文明史観と哲学を持たなければ、世界的な、日本だけのことでなく、アメリカのためにもソ連のためにも東西南北、世界のためにも、これだけの見識を持って対処しなければ、アメリカとソ連だけが安全地帯にあって、力のバランスの上に立って、最終会談で妥協しましょうなどという田舎芝居のような頂上会談は御免です。
いま文明史観と哲学を持たない民族は亡びるのですよ。このエコノミカル・デターミニズムの中に、唯物史観というか、エコノミックアニマルの、大衆の中に鼻持ちならない状態で日本民族がふん詰まりになっている状態を、先生と言われるやつは裁判官から国会議員から学校の先生、医者まで、みんな相手のことだけは悪口を言うけれども、みんな同じような、モラルを失い、道義を失い、信義を失ってだれからも信用されない。
○戸叶武君 トインビーがその文明史観において、やはり異なった文化、異なった考え方、宗教あるいは民族というものも、お互いに融れ合っている中においてそこにお互いを理解する度が深められ、そこからまた新しいものが生まれるという一つの文明史観を展開しておりますが、既存のカテゴリーや観念で物を、古い形の陳腐な法治国家の憲法論学者のようなやり方をやっておったのじゃ、いまの世の中じゃ間に合わないのでありまして、歩きながら
文明史観と哲学を持たない権謀術策の三流の政治家にその国の運命や世界の運命をゆだねることはできないので、私はいままでアメリカの大統領のブレーンという学者やいろんな人にもお会いしましたが、剣劇もどきの外交はごめんです。新国劇にでも入ってもらえばいいんです。
は、間違ったことをやっても、指揮権発動、ガバナビリティーなんて言って、内閣の意思によって三権をどういうふうにでもゆがめていけるというような形ができ上がってしまって、その上に立って権力を握れば金をたっぷり、片手五億円、この程度はいただけるという前例ができてしまったならば、権力には金が集まる、金さえ使えば選挙には勝てる、政治腐敗と政治不信を招いても長期政権は維持できると思うような思い上がった考え方は文明史観
親友で後に大統領になったリュプケ食糧農林大臣にお目にかかりましたが、彼がアデナウアーさんに言われたのは、いい気になってエアハルトはドイツの繁栄の奇跡などと称して突っ走っているが、政治の要諦は、高度経済成長政策の中において矛盾が増大した第一次産業の第二次、第三次産業とのその成長率、所得のアンバランス、これを政府の力でどういうふうに調節していくかということが一番大きな政治課題であるが、エアハルトには文明史観
あれほど私の友人でもあり聡明であった平沢和重君なんかも、やはり白鳥一派のミリタントな強硬論者として枢軸側に加担し、戦後は今度は占領軍の方の便宜を図っており、最終にはソ連に迎合したような領土問題を「フォーリンアフェアーズ」に書いてむなしく死んでいきましたが、才余って一つの文明史観と哲学を持たず、民族の憂いを持たない一つの思いつき政治の中では、日本が世界から孤立していくような、誤解を受けるような不信感が
そういうことを考えないで、暴走していくいまの愛国者と称して国を滅ぼしていく連中の文明史観と哲学のない情けない態度に私たちは憂いを持つのであります。たれかふるさとを愛し祖国に責任を持たない者があるか。しかしながら愛国を名として戦争への道を歩む冒険主義者の手に、はったり屋にこの国の運命を任せることはできないというのが本当の国民の目覚めだと私は思うんです。
文明史観と哲学を持たないで、目先のことだけではったりをやっている政治家に日本の運命を任せることは私はできない、人民に訴えて――。 今度の公害の問題でもそうです、ソ連との関係においても社会党でもそうです。
湿地地帯、そういうものに急激な変化を加えると、天候異変も起きるし、水の問題においても農民を悩ますような問題が必ず起きるから、そういう問題に対しても慎重な態度を払うというだけの科学的な合理的な実際的な処置をやって、水田をつくれと言ったり水田を減らせと言ったり、そのときどきの思いつき農政をやっている日本のふまじめな行政と違ったものを、ドイツにおいては、高度経済成長政策が強行されているさなかにおいても、文明史観
そういう点において、このことはなかなか時間がとれると思いますが、思いつきの議論はやめて、もっとやはり文明史観と哲学の上に立って、日本の平和憲法なり国際連合のあの精神なり、われわれが核拡散防止条約を批准した精神なり、それを盾とし、しかも現実的にベトナムにおける昔なら戦争にいくような紛争を、率先して火中のクリをも拾うつもりで、よく話をすれば中国でもベトナムでもソ連でもアメリカでもわからないはずはないのです
スイスのように日本をするとか、あるいは日本に再軍備させて朝鮮に派兵のできるようにするとか、一貫した文明史観と哲学を持たない。しかし、日本がマッカーサーの権力に屈したんじゃなく、天皇みずからも、まだ象徴時代でないでしょうが、あの声をふるわせて再び戦争をやらせない、外交に戦争手段を用いない、平和憲法にたたみ込まれている精神を泣いて国民だけでなくて全世界に訴えたじゃありませんか。