2019-11-21 第200回国会 参議院 財政金融委員会 第4号
その上で、今御指摘された、これはもう川合先生、これは誠に正しい、正しい指摘なんで、少なくとも大学を例に引きますと、国立大学と言われたものが独立大学法人というものに変わって、あのときは文教部会長ですか、二十数年前にこれ変えて、東大等々が独立大学法人に変わっていって、随分と変わらせていただいたおかげで、いろいろ、今人口がどんどんこれだけ減っているのに何で大学こんな増えるんだと、おかしいじゃないかというような
その上で、今御指摘された、これはもう川合先生、これは誠に正しい、正しい指摘なんで、少なくとも大学を例に引きますと、国立大学と言われたものが独立大学法人というものに変わって、あのときは文教部会長ですか、二十数年前にこれ変えて、東大等々が独立大学法人に変わっていって、随分と変わらせていただいたおかげで、いろいろ、今人口がどんどんこれだけ減っているのに何で大学こんな増えるんだと、おかしいじゃないかというような
なかなか、どんどんどんどんこれは話が難しくなっていったのは事実でして、昔、山中貞則という方が自民党におられたので、この方と議論をして、私は文教部会長のときだったか、何か申すとたんびたんびに、くちゃんくちゃんにやられて、その人に対抗できるようになって初めて税をというような感じだったんですけれども。
ただ、今回は、たまたまなのかよく分かりませんが、ここにもいらっしゃいます赤池議員は、自民党の部会長、文教部会長でもありますが、部会長としての質問ではなかったということでありますけれども、政党の議員であります。
○麻生国務大臣 大分前、自民党の文教部会長をしていたときに、ここは小学校としては、全校生徒は何十人だったかな、潰そうと思って、随分運動しましたよ。 少なくとも、あのとき、永田町小学校、麹町小学校、番町小学校を全部統合して一つにしましたから、えらい反対を食いましたよ。 私が一番驚いたのは、この泰明小学校を潰そうと思ったときには、やはり銀座は歩けぬと思いましたね。
私の経験を言わせていただいても、自由民主党の文教部会長でしたかね、文教部会長をさせていただいた平成三年からだったんだと思いますが、岐阜県の神岡町でしたかね、たしか、スーパーカミオカというのをやらせていただくことになりました、たしか百四億円だったんですが。
自由民主党においては、文教部会長、選挙制度調査会長、司法制度調査会長、政治倫理審査会長などを歴任され、卓越した手腕を遺憾なく発揮され、党の中枢にあって、政策づくりの根幹を担われたのであります。さらに、昨年の十一月からは、地方創生実行統合本部長に就任され、安倍政権の最重要課題である地方創生を党のサイドから推進されている最中に病魔に倒れられたのであります。
自民党文教部会長、文科副大臣、衆議院文科委員長などを歴任、第二次小泉内閣で文部科学大臣を拝命いたしました。 小泉総理から食育重視の教育改革を指示され、それは、学校栄養士が教壇に立ち、食育を教育の一環として扱う栄養教諭制度として実施されております。義務教育改革への河村プランは、教員免許更新制の導入となり、また、教育委員会制度の見直し、小中一貫教育を推進することになりました。
また、自由民主党における文教部会長も務めてきたわけでありまして、この道ずっと進んできた人物を大臣に指名したと、こういうことでございます。
これは、御党の今までの委員の議論の中でも、自民党の政権のときに三位一体改革で二分の一の国庫負担を三分の一にしたじゃないか、これは間違いだったんじゃないかという御指摘をいただいて、当時は私も自民党の文教部会長をやっていて、まさにじくじたる思いで、皆さんから間違いだったと指摘をされれば、その批判は甘んじて受けなきゃいけないなというふうに思います。
○松野(博)委員 三位一体の議論があったのは今から四年ほど前だと思うんですが、当時、私は自民党の文教部会長をやっておりまして、この義務教育費国庫負担の議論をしておりました。 それで、そのときに、その議論のカウンターパートが、知事会、市長会を初め、地方六団体だったんですね。
○国務大臣(塩谷立君) 大先輩の西岡委員におかれましては、今お話ございましたように、教職調整額制度、このときは文部政務次官でして、人確法のときは自民党の文教部会長ということで、もう大変な御尽力を賜りまして、改めて感謝を申し上げる次第でございます。これからもまたいろいろと御指導いただきたいと思いますが。
そのために、昨年末、委員の大変な御支援も、委員は党の文教部会長でございますから、その御支援もいただいて、厳しい中でやっと、私としてはじくじたる思いでございますが、千人という増を認めていただきました。この加配が適用されることによって、これは標準法も通していただかなければいけないわけでございますけれども、そのことによって学校の現場の環境が改善できるというふうに考えております。
当時私は文教部会長でございまして、当時の文教制度調査会長がここにお座りの森山眞弓先生でございまして、早速、党としても教育改革を本格的に取り組まなきゃいかぬということで、教育改革本部というものを立ち上げたものでございます。そこに教育基本法に関する特別委員会が生まれた。そこからスタートしたところでございます。 自来、あれからちょうど十年になるわけでございます。
きょうは、委員でお見えになっている文教部会長の松野先生の千葉県で、たまたま一昨日、朝日新聞に取り上げられました記事がございますので、資料として差し上げたわけでございますが、これは、年収三百二十万の家庭の子供が東京大学に入った、こういう報告でございます。同時に、大学における奨学制度も載っております。これらの状況を支えるものが私学助成であるということです。
文部大臣として大先輩、西岡文部大臣のころに私は自民党の文教部会長だったかな、あるいは、わずか六、七名で改革の会という会派を組んだとき、西岡代表のもとで私が代表幹事をやったとか、いろいろな経験がございます。したがって、私自身は、西岡武夫先生の西岡イズムと言ってもいいような教育論にいつも感銘を受けておったわけでございます。
私もこの教育基本法、現行の教育基本法を初めて条文をしっかり精査いたしましたのが今から十年前、自民党の文教部会長のときでありましただけに、総理からも御指摘をいただきましたが、非常に感慨深いものがございます。
当時、我が方の文教部会長は遠藤利明議員でした。さすがに彼も、今の言い方はないでしょうというようなことを言いました。多分、ちょっと表現が悪かったんでしょう。そのときには、やはり文教の方が責任あるのになと私は思いました。 しかし、それから一年ほどして、私はあるところで日教組の委員長に会いました。森越さんとおっしゃる岩手出身の先生で、絵画の先生でした。
次に、残念ながら国立大学法人化法案は成立してしまったわけでございますけれども、私はこの法案が審議されております過程の中で、大学の皆様方にいろいろと、こんなことでいいのかというような形で、かつて私も自民党の文教部会長をやっているときに使われていた言葉ですけれども、あおり行為は一切いたしませんでした。あおり行為は一切いたしませんでした。
どうも、非常に言いにくいんですが、今の小泉政権はどうも政党政治からちょっと外れているようなところもありまして、いろんな諮問会議とか変なものがいろいろ出てきますから、自民党の、今、副大臣、文教部会長も御経験で、部会できちっとした議論はしておられるんだろうと思うんですけれども、与党の皆さんだけにお任せして、法案が出てきてからそれを我々が審議するというのでは手後れになるのではないかという心配もございますので