1961-09-29 第39回国会 衆議院 本会議 第4号
われわれは、この朴政権がどういう態度で出られるかと見ておったのでございますが、できるだけ早い機会に文官政治に返す、われわれは不正を粛正するためにやったのだと言っておられるのであります。その後韓国の事態もだんだん落ちついて参りまして、われわれと日韓関係についての交渉を始めたらどうかという機運になっております。
われわれは、この朴政権がどういう態度で出られるかと見ておったのでございますが、できるだけ早い機会に文官政治に返す、われわれは不正を粛正するためにやったのだと言っておられるのであります。その後韓国の事態もだんだん落ちついて参りまして、われわれと日韓関係についての交渉を始めたらどうかという機運になっております。
一九五八年のアメリカ上院外交委員会に報告されておるいわゆるコンロン報告なるものの内容を見ますと、アメリカは沖繩の軍政をやめ、文官政治に切りかえて行政水準を高揚する、そうして近い将来に日本に返還されることが望ましいということが報告されております。従って、この報告は沖繩住民のすべての希望であり、長い間の悲願でもある。
その間に藤山外務大臣は、国会でも問題になっておる——確かにこれはアメリカの内政上の問題であるけれども、沖縄は日本の潜在主権のあるところでもあり、住民はあなたが国会で答弁されたように武官政治よりも文官政治を望んでいる。住民は一日も早く日本復帰を願っておるが、それがかなわないまでも、文官政治を望んでおる。ことに最近の沖縄問題に関しても、武官政治の結果は必ずしも芳ばしくない。
それがわかりますれば、私は大体これまでの見ておりますところでは、やはりいわゆる文官、政治家、それがやはりソ連の動向を決定しておるのだというふうに申上げて差支えないと思います。 最後に問題は、結局私の困りますのは、單一帝国主義であるわけでありますが、いわゆる資本主義陣営からはソ連を帝国主義と言い、ソ連陣営からは資本主義を帝国主義、全体主義云々と言つております。