1967-11-22 第56回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号
○長谷川(正)小委員 今日、日本の文北財保護の問題は、国土の開発が非常な早さで進んでいるという現実の中で、多くの問題を包蔵しているわけでございますが、これに対処して国家の将来に対しましても万遺憾ない文化財保護の体制をつくるという意味で、本委員会が文教委員会の中に小委員会として設置されたと思いますので、その角度から当面緊急を要すると思う問題について二、三御質問を申し上げますとともに、私は今度の小委員会
○長谷川(正)小委員 今日、日本の文北財保護の問題は、国土の開発が非常な早さで進んでいるという現実の中で、多くの問題を包蔵しているわけでございますが、これに対処して国家の将来に対しましても万遺憾ない文化財保護の体制をつくるという意味で、本委員会が文教委員会の中に小委員会として設置されたと思いますので、その角度から当面緊急を要すると思う問題について二、三御質問を申し上げますとともに、私は今度の小委員会
というふうに、文北財というものはたいへん大鵬にされている。それを一そう大事にするというのがあなたたちの役目です。ところが、出てきたところのそういう、たとえばつぼであるとか、絵であるとかいうようなことも大事であるけれども、また地中に埋没された文化財というようなものも、これもまた重要なものだという認識がなければだめだ。
と同時に、この発生予防についても政府が強く力を入れていかなければならぬとおっしゃっておりますように、文北の進展とともに精神障害者がだんだんと発生してくる。そこでこの二つの結果が出てくるわけですね。
それは、前にもそういう災害復旧の例がございますが、たとえば三十八年災害のときにもそうでありますが、根拠は文化財保護法の三十五条に、重要文北財の修理につきまして補助金を出すという規定がございまして、その規定によりまして、前の災害の場合にも補助金を出しておりますので、今回もその例によったのでございます。
私は参考までに申し上げますが、東インドのダモダール河の上流の開発で、そこに人工湖を作るために、開発会社が湖底に沈む部落民のために高い、健康的なところに近代式な住宅を建てて、そこに集会所なり、寺院なり、文北施設まで作って、新しい部落を建設するための万般の準備をしたことを承わっております。それほどまでしなくてはなかなか部落の移転ということはできない。
そうなれば、他のことと違って、大臣が冒頭に申されるように、産業、文北の発達は健全なる交通機関の発展にある、その言葉と大へんな矛盾を来たすこととなるばかりでなく、運賃の値上げをして施設を拡充強化するという公約にも全く反した結果になる。
その点は論争しても仕方がないのでありますが、そこで今あなたの方から出てきておる資料によっても新設局の申請が約三十局、日本の放送文北団体からすればこれは許可しなければならない、現在の法制によれば条件さえ備えておれば許可しなければならぬということになっておる。
今回の栄典法案の御制定の趣旨は誠に結構だと思うのでございますが、問題は、菊花勲章の場合はこれはまあ特別の勲章といたしまして、話は別でございますが、旭日勲章とそれから文北勲章、産業勲章とまあ種類が三種類にわかれておるという点でございますが、で元来私どもは産業という道を通じて国家に勲功がありました人たちが表彰される機会が比較的、過去においてはございますが、比較的少なかつた。その機会に乏しかつた。
ということは富裕税を取ることそれ自体の意味ではないのでありますが、取り方が少い、こういうこと、それから昨日本院においては文北財保護法案を可決いたしたわけでありますが、その精神から申しますと、国宝のごとき文化財というものはその管理処分の自由が所有者に許されてないというような法的な制約をしている。更に又この管理のためには相当の経費も負但しなければならない。
その点についてのお尋ね、及び健康にして文北的な生活の保障が、如何なる程度においてこの法案に盛られているか、具体化されているかという点について、各種の方面から検討して、政府の意向をお尋ねいたしたいのでございます。 先ず予算額の計上につきまして最初お尋ねいたしたいと思います。
そうやら者の働いたものは、そのまま儲けのあつた分を自分の借物なり文北生活にこれを当てるように、保護法の金は差引かずに、他の方面にこれを用いられるときに、初めて文化的な生活ができる。この点に対して政府はいつまでも生殺しにしてしまうつもりかどうか。この点を伺いたい。
無防備であり、占領軍のさしず通りに、政治も経済も文化も、すべてその通りにわれわれは従いまして、文北国家の育成をひたすら念願しておるのに、われわれは何がゆえに他国から仮想侵略国と見なされるのでありましようか。その理由は二つ考えられるのであります。 その一つは、わが国の人口過剰ということであります。
東西の交通文北が日本程入り乱れて複雑な形をしておるところはございません。文化の程度が日本程幅の広いとろはございません刀そういうところで同じような態勢の二つの放送局ができてもそれは無理でありましよう。東海道線を上りと下りと別の会社で経営いたしますれば、車掌の言葉遣いや、水洗便所の水の出ぐらいはよくなりましよう。併しながら根本的に料金を大巾に引上げなければ、そういうことは成立ちません。
一例を上げますならば、東北の寒冷地のごときは、国の施設あるいは国全体から申し上げまする文北の程度というものは、きわめて低い状態に置けれております。一体これらのものをどういうふうな形で、標準税額と標準需要額の見積りをなさるかということが、私は政治的に非常に大きな問題になつて来ると思うのであります。