2013-03-14 第183回国会 衆議院 憲法審査会 第2号
これにつきましては、まず、宮中祭祀などは我が国の文化的伝統であり、明文改憲によって新たに国事行為として位置づけるべきであるとするAの欄の御見解がございます。これに対しては、もう一つの憲法原則である政教分離原則などとの関係から、そのような宗教的色彩を帯びる行為はあくまでも国事行為と位置づけるべきではなく、現行のままでよいとするCの欄の見解もございました。
これにつきましては、まず、宮中祭祀などは我が国の文化的伝統であり、明文改憲によって新たに国事行為として位置づけるべきであるとするAの欄の御見解がございます。これに対しては、もう一つの憲法原則である政教分離原則などとの関係から、そのような宗教的色彩を帯びる行為はあくまでも国事行為と位置づけるべきではなく、現行のままでよいとするCの欄の見解もございました。
一つは、現行憲法において、天皇の国事行為は、内閣総理大臣の任命、最高裁長官の任命のほか、憲法第七条において、法律などの公布や国会召集、衆議院解散など十個の行為に限定されているところでありますけれども、このほかにも、宮中祭祀などは我が国の文化的伝統であり、明文改憲によって国事行為に追加するべきとする見解であります。
例えば親が子供に抱擁をしたりキスをしたりというのもある種の文化的伝統でありますけれども、日本の場合には恐らくある年齢以降親が子供に触れるということはほとんどないわけです。これが以前と非常に違う今の特徴でありまして、その意味で、家族というものも、つなぎというものが赤ちゃん時代を除くと非常に薄くなりつつあるということをどう立て直すかが問われているというふうに思います。
これは、今の憲法はたしか公共の福祉という言葉がたくさん出ていると思いますが、そういった切り口で恐らく憲法上問題にするとするならば問題にしていただいて、そして、多くの人がそれを利益と考えるような、そういったものを文化的、伝統的に保存すべきものとして、憲法をベースに法整備をして保存をしていくというか残していくというか、そういった国づくりをしていってはどうかなというふうに今ちょっと、これは今この場での思いつきでございますが
本日は、憲法調査会、当院の、「総論」で「天皇」ということで参考になるかどうか分かりませんが、天皇というものをめぐって、憲法あるいは現行の皇室典範あるいは歴史的なことということで、総論にふさわしいかどうか分かりませんが、天皇の地位、皇位の源泉と歴史的文化的伝統及び皇室典範との関係ということで二十分ほどお話をさせていただきます。
この国という概念が、そういった意味から、例えば社会契約説に基づく人工的国家の国というものを想定しておられるのか、もしくは、エドモンド・バークが言うような歴史的、文化的、伝統的な、いわゆる、有機的というとちょっと言葉に語弊がありますが、共同体としての国をイメージしているのか、大臣の思いをおっしゃっていただきたいと思います。
日本の驚くべき高い教育成果は、両親、生徒そして教師の一体となった努力の結果によるもので、歴史的、文化的伝統、雇用と教育の間の密接な連携云々と言っておりまして、九年間の義務教育ですべての子供たちが読み、書き、算等の質を高くしバランスの取れた基礎教育を受けているという評価をしているのでございます。
内容的にはいろいろな意見があると思いますけれども、私は、日本の国にはすばらしい文化的伝統があるのだと思っております。
実際には、自己は特定のコミュニティーやその文化的伝統の中で存在し、その中でみずからのアイデンティティーや人格を形成する存在です。そこで、サンデルは、自己の埋め込まれている文脈、コンテクストとして、コミュニティーを重視し、そこにおける善、グッドの観念や、それに基づく人格形成に目を向ける必要性を主張しました。
そういうことを考えると、この日本の文化的伝統行事、天皇家にとっても非常に重要な儀式であると同時に、日本国全体にとっても非常に大きな儀式ではないか、そんなふうに思うわけでございます。
○参考人(申ヘボン君) そうしますと、今のお考えというのは、男女が生物的に違うということから文化的、伝統的な違いも直接導いていらっしゃる、つまり結び付けていらっしゃるかのように思われるのですが、私は先ほど申しましたが、生物的に男女の体が違うと、女性は出産という身体的な役割を持っているというのはそのとおりだと思う反面で、文化的、伝統的な面に関しては人間が社会の中でただ培ってきた固定観念の面が非常に強いと
社会の中で技術士がどういうふうに役割を果たしているかということが余り目に見えないように日本の社会はでき上がっていて、そこがまた、この文化的伝統の中で大変おもしろいところだと思います。ある意味では、たくさんい過ぎるということもあります。そういう意味では、日本の技術者たちがある不満を感じておられるということは、私にもよく理解できます。
それは日本の文化的伝統の間に違和感があって、しかし五十年間に次第にその力が強くなって浸透してきていると思うんですね。今の日本の、何というか、自覚的な議論の中では人権の尊重を普遍的な価値として認めない人が少なくなっているんだと思うんです。だから、それは一般の、いきなり大衆の統計的な世論調査の結果じゃなくて、例えば皆さんのような議員の中ではそれは恐らく非常に広範なコンセンサスだと思うんですね。
沖縄が地域の安定性にとっていかに重要な地位にあるのかということも報道するでしょうし、沖縄の歴史的な性格、また沖縄の持っているいろいろな文化的、伝統的な性格も報道するでありましょう。そして、沖縄がどこにあるのか、沖縄が担っている場所、それから沖縄の担っている非常に独特かつ重要な役割ということについて、世界の人たちがよりよく知るチャンスになるというふうに思っております。
それで、日本の国の歴史的、文化的伝統の中でのスポーツの位置づけですけれども、そんなに高くなかったと。提案者の方は、このような日本のスポーツと生活という観点から現状をどのようにとらえておられるのかなということをまずお聞きしたいというふうに思います。
日本にももちろんさまざまな文化的伝統、遺産もございますし、それはそれで世界に誇れるものでございますけれども、現在、例えば西ヨーロッパとかアメリカが持っているような、そういう近代主義とか、あるいは近代化というものの原動力となるようなものが果たして日本から発信できるかとなりますと、これは必ずしもはっきりとは言えません。
しかし、その中身として当該地域の国々の社会的、政治的、文化的、伝統的価値の尊重をそれぞれにしていこうじゃないかとか、今先生おっしゃいました不道徳な素材及び過度な暴力の描写の制限をしようとか、子供の教育に悪い番組はよそうじゃないかというような合意ができ上がってきております。
○政府委員(公文宏君) お尋ねの少数民族の問題でございますけれども、そもそも少数民族の概念というのは一義的に今確定しておるわけではございませんという点が一つ問題でございまして、そういう意味では難しい問題でございますけれども、仮に民族というものを、独自の言語、習俗、慣習その他の文化的伝統を有しているということが一つ、それから同一の集団に帰属しているという意識を持っているということが一つ、その二つの要件
これは、民族というのは、国連には国連の今お話しのような規定がありますし、この前、これは一九八九年六月に日本民族学会で「氏族の規定に当たっては言語、習慣その他の文化的伝統に加え、主体的な帰属意識が存在するとき、この人々は独立した民族とみなされる。」
そういうことでありまして、その中からやはりアラブという社会において西欧イズムというのかなかなかそれだけでは律し切れないアラブの神というイスラム教文化を中心とした一つの文化的伝統もありますし、慣習もありますし、そういう状況をよく踏まえながら、日本自身が海外派兵ができないということの中で経済援助といいましょうか、国民なりあるいは政府との官民の経済援助、そして国民との友好、そういうことが非常に大事だったというのも