1993-03-30 第126回国会 衆議院 本会議 第13号
また、昨今は、企業の社会的貢献活動とか文化援助などという言葉が多くの企業の経営理念の中に取り入れられ、事業活動を方向づけるようになっております。
また、昨今は、企業の社会的貢献活動とか文化援助などという言葉が多くの企業の経営理念の中に取り入れられ、事業活動を方向づけるようになっております。
また、限りある予算の中で援助が行われるわけでありますから、おのずからそこには優先順位というものがつけられる、そういうようなこともあって、やはり文化援助というものが金額的にも少ないということだろうと思うのであります。
国民の文化的要求が高まってまいりますと、そういういろいろ文化、芸術の施設のあるところへまた全国から人が集まってくる、大都市がますます大きくなるという面もあると思いますので、これらは文化政策として、幸いここまで日本の経済力も強くなりましたので、相当の文化援助、資金援助をしながら、例えば大変伝統、歴史、芸術の豊かな京都とか金沢、仙台、こういったような都市にそうした中心を移して、文化の拠点都市といいましょうか
その点から、われわれの実際の措置に反映される問題といたしましては、たとえば非常な後進国の場合に行われているところの文化援助、文化協力とも呼んでおりますが、こういう面の要素も若干必要であるし、またそれとともに先進国とやっておりますところの水平的な本当の交流でございますね、言うならばギブ・アンド・テイクと申しますか、そういう面の交流もある。
まるで日本の何とか村に対する文化援助のごとき数字しか出てない。奨学資金だってほとんどゼロに近い。ほんの二、三人である。兵庫県神戸村より少ない。こんなものが後ろの財政的な立場としてこれについておる。だからこの物々しい協定の背後には驚くばかりの後ろ向きの行政がくっついておると、私はひとつ申し上げるわけでありますが、どうですか局長、この辺態度を少しお改めになるお気持ちはございませんか。
これをよく考えてみますと、外務省が行なう東南アジアにおける対外援助、文化援助、これが非常にずさんである、そうして教科書も送らないし先生も足りない、そういう中で今日まで日本学科があった、こういうことを報じているのでありますけれども、きょう十一時半にスハルト氏にお会いになるそうでありますが、中国学科に吸収されてしまった、そういう背景のある文化援助、これについてまず伺いたいと思うのです。
あるいは、発展途上国への経済援助が侵略政策だという疑いを受けているときに、なぜ文化援助を考えて、内地におる先生の中から希望者を募って、東南アジアの教育援助にそれを充てるような努力をしないのか。 こういうことを考えてみたときに、実に消極的で、経済政策のしわ寄せで過疎地帯の教育がこういう矛盾に立ち至っておるときに、あらゆる角度からこの矛盾を前向きで解決するという態度が一つも見られない。