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35件の議事録が該当しました。
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2001-06-05 第151回国会 参議院 国土交通委員会 第14号

この河川敷というのは、それまで国の土地だったわけですけれども、もちろん建設省の所管だったわけですが、それが一九七七年十一月一日付で建設大臣告示で廃川敷処分を行ったものです。そのときに国会論議が盛り上がりまして、河川局長による事前協議制がつくられました。建設省自身がしっかりとこの土地利用計画に関して関与していくという責務を担ったものであります。

緒方靖夫

1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号

それから河川法改正、旧河川法から新しい河川法改正がこの当時ずっと行われていて、九条地がもとの地権者に、廃川敷処分になれば地主の手に戻るということになるわけですね。そういう河川法改正からバイパス、長岡大橋の問題等々、それから特に大事なのは、この堤が締め切られる、本堤になるということを田中氏は知っていた。その情報を知っていたために、農民をだまして五百円、百円で買い占めると。

上田耕一郎

1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号

「当時の仮谷建設大臣は、この確認・合意が市議会でも了承され、町内会長会議でも圧倒的な支持が得られたことを高く評価され、廃川敷処分をするため鋭意これと取り組まれた。ところが、たまたま仮谷建設大臣が、昭和五十一年一月に急逝されたことによって、事態は停とんしてしまった。」と、長岡市の方が詳しく経過を書いているんです。建設省側はそういう経過もほとんど、私がこういうものを質問しなければわからない。  

上田耕一郎

1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号

これは次に五十二年の十一月にこの廃川敷処分が行われるんですね。この廃川敷処分のときに、北半分と南半分ということが市と室町産業の間で取り交わされて覚書が結ばれる。その覚書の際、建設省が十月三十一日付で「利用計画同意をしようとするときは、あらかじめ、本職に協議されたい。」と、つまりこれが事前協議です。あらかじめ事前協議ということを約束をするわけです。

上田耕一郎

1981-04-07 第94回国会 参議院 建設委員会 第4号

これも予算委員会で私が質問して、当時は櫻内建設大臣でそれから福田総理大臣時代だったのですが、この信濃小河川敷の廃川敷処分室町に大変な南半分がころがり込んでいくというので、私もかんかんに怒って大分いろいろやりました。そのとき最後に私が、これは土地転がしだってあるんだ、何をやるかわからぬ、公共利用といったって怪しいぞということをうんとついたんです。

上田耕一郎

1980-10-15 第93回国会 衆議院 建設委員会 第1号

しかし、昭和五十年前後のあの田中金脈追及のあらしに遭遇して、その廃川敷処分についてはこれが凍結をされておった。ところが、五十二年十一月に時の建設大臣長谷川四郎氏が、それまで凍結をしていたこの廃川敷処分を解除しようとしたということで改めて問題になって、本委員会でもずいぶんと激しい論議が行われた。そういう問題であります。そのために当時国会追及をそらし、世論を欺くためにいろいろな細工が施された。

瀬崎博義

1980-10-15 第93回国会 衆議院 建設委員会 第1号

それから、かつて三木首相予算委員会で、真相が究明されるまでは廃川敷処分は行わないという言明をしたでしょう。その後亀岡、仮谷中馬建設大臣はその言明を守ったけれども、長谷川建設大臣のときになって、究明が行われていないにもかかわらず廃川敷処分が行われた。そして今回またその廃川敷処分のときに、幾つかの約束建設大臣によって国会で行われたのにもかかわらずこれが現に破られてきているわけです。

瀬崎博義

1978-04-07 第84回国会 参議院 決算委員会 第9号

そういう核心的な疑惑が本当に国民の前に晴らされたのかとこう言えば、決して完全に晴らされていないという状況のもとで廃川敷処分大臣が承認するという事態に至った、こういう経過を根本問題として見なくちゃならないと思うんです。この問題はきょうは時間がありませんから触れませんが、それじゃ建設大臣が廃川敷処分を承認したということをめぐって、一体事態はどうなっていくだろうか。

橋本敦

1978-03-14 第84回国会 参議院 予算委員会 第10号

上田耕一郎君 五十年六月六日の参議院決算委員会で、三木総理大臣は、廃川敷処分については建設大臣限りでなしに私との協議建設大臣に指示する考えだと。つまり、総理大臣建設大臣協議してやるということなんです。福田首相はなぜ昨年十一月一日に長谷川建設大臣独断処分することを許したんですか。——いや、あなたに聞いているのじゃない。総理大臣に聞いているんですよ。

上田耕一郎

1978-03-01 第84回国会 衆議院 建設委員会 第5号

瀬崎委員 三木首相国会に対して行った公約は、大きく分ければ二つあって、一つは廃川敷処分の問題であります。これは理由はどうであれ、長谷川建設大臣処置は不当だ、私どもはこう思っております。同時に、三木内閣からの引き継がれている公約のいま一つは、土地利用処分について国民の納得のいく処置をとるべきだということがあるわけであります。

瀬崎博義

1978-03-01 第84回国会 衆議院 建設委員会 第5号

櫻内国務大臣 私もいろいろ問題のあった経緯を踏まえて、先般来、瀬崎委員を初め参議院の方でも同趣旨の御意向などがございましたけれども、ただ私のところへ小林市長が、今後十数年にわたる長期的な展望に立って必要な公共施設設置を検討しても、今回の廃川敷処分によって長岡市が利用することとなる用地はこれを十分充足し得る、こう言っております。

櫻内義雄

1977-12-08 第83回国会 衆議院 決算委員会 第1号

安藤委員 ところが、これも御承知のように、ことしの十一月一日付で前任者長谷川建設大臣河川敷について廃川敷処分にしてしまわれました。この結果、この土地、全部で七十三ヘクタール、約二十二万坪あるわけですが、半分は長岡市が譲り受けるということになっておりますが、南の方の半分、これは三十五ヘクタール、約十一万坪という広大な土地室町産業に転げ込むということになっております。  

安藤巖

1977-11-18 第82回国会 衆議院 建設委員会 第6号

大臣はまた、九月二十九日に長岡市長が提出した信濃川河川敷の廃川敷処分についての陳情書処分に踏み切られた理由一つにしていらっしゃいますし、国会でもそう答弁されています。その陳情書の、「長岡市は、信濃川河川敷について、これが長岡市の都市計画上極めて重要な用地でありますので、その利用について、かねてから検討して参りました。」

瀬崎博義

1977-11-18 第82回国会 衆議院 建設委員会 第6号

今回政府は何とかして廃川敷処分をして室町の期待にこたえたい、田中ファミリーにこたえたいと思っておるようだけれども、もし農民がそういう態度に出たときには、新たにまたそこに大きな問題が発生するであろうことを示していると思うのです。  建設大臣が廃川敷処分決裁をしたのは、参議院建設委員会における栂野河川局長答弁によりますと、十月二十一日ということですね。

瀬崎博義

1977-11-16 第82回国会 参議院 決算委員会 第4号

承知のように、田中金脈疑惑をめぐりまして国会論議が沸騰しましたし、特に十一月の一日に長谷川建設大臣が問題の信濃川河川敷の廃川敷処分を行ったわけでございます。昨日の参議院建設委員会論議を聞いておりましても、建設大臣疑惑は晴れたと、だから告示したと言っておりますけれども、昨日の質疑の経過から見まして、これはわが党の上田委員質問におきましても疑惑は晴れていない。

沓脱タケ子

1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号

つまり、今度と同じ半分ずつということを三木首相はそのとき同意しなかったんです、その廃川敷処分内容を。ところがあなたは、かつて三木首相同意しなかったと同じ今度の覚書内容を、しかも三木首相国会ではっきり約束した、首相協議、了承のもとにという約束を行ったのに対して、あなたは福田首相と何らの協議もしないで独断で強行したということになる。

上田耕一郎

1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号

私は廃川敷処分問題についていろいろ質問して、もうすでに大臣決裁していたわけでしょう、十一月一日に告示するつもりだった。ところが、本委員会で私が質問したのに対して、一言も私はもう決裁したとかということを言わないわけだ。これはもう国会に対する侮辱でね、食言ですよ。事実をごまかしているんじゃありませんか。

上田耕一郎

1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号

あの直後、突如として十一月一日に廃川敷処分が告示されまして、十一月二日には衆議院建設委員会参議院決算委員会で大きな問題とたり、各新聞社説を載せ、投書も出るなど大きな政治問題の一つになっていることは御承知のとおりです。  まず、十一月一日に廃川敷処分が告示されましたけれども、大臣決裁は十月二十五日だったと報道されておりますが、間違いありませんか。

上田耕一郎

1977-11-02 第82回国会 参議院 決算委員会 第3号

この問題、もう御存じと思いますけれども、非常に大きな問題になっておりますし、たとえば新聞社説でも、朝日は、政治史一つの汚点として記録されると、今回の廃川敷処分ですね。そう書き、「「不明朗」の一語に尽きる」と、そう指摘しています。また読売新聞の夕刊の論評は、この問題非常に建設省を批判して、「忘れっぽい国民大衆も、全身に糞(ふん)尿を浴びせられたら怒る。」という言葉で結んでいます。

上田耕一郎

1977-11-02 第82回国会 参議院 決算委員会 第3号

国務大臣園田直君) 地元長岡市長からは、五十二年九月二十九日に信濃川河川敷の廃川敷処分について陳情があり、これについては「信濃川河川敷用地利用計画及び譲渡に関する覚書」を添えてきておりますので、建設省としては、地元が多数の支持によって出てきたものと判断をしておったわけで、これは調査をいたします。

園田直

1977-11-02 第82回国会 衆議院 決算委員会 第6号

今度の廃川敷処分が、その後の新聞マスコミももちろんですが、議会におけるわれわれの皆さんに対する質問等全体の雰囲気からいって、とにかくあの種の疑惑がまだ晴れていないという前提に立って、そうであるのにここで室町産業を通じて相当大きな利益を与えるというふうな前提に立って、不満を持ち、批判を行い、これを撤回すべきだというような気持ちを相当程度みんなが持っているというのがいまの状況だと思うのですね。

原茂

1977-11-02 第82回国会 衆議院 決算委員会 第6号

一部の新聞に廃川敷処分跡地利用は関係ないという私の何かありましたけれども、私はあの日そういう質問を受けた覚えはございません。しかしながら、行政的に見てみますと、いわゆる廃川敷処分跡地利用とは実際無関係である。しかしながら、やはりこういうふうな問題がある場合には、十分跡地利用についても考えた廃川敷処分はせぬといけないというふうに考えてございます。

栂野康行

1977-10-27 第82回国会 参議院 建設委員会 第3号

だからこそ建設省としてはこの問題で簡単に廃川敷処分をすべきでないんです、疑惑が明らかになるまで。予算小委員会の結論、報告もいまだに出ていない。参議院決算委員会も本会議内閣に対する重大な警告をしている。首相並びに建設大臣もそれについて疑惑の起きるようなことはしないということを明言している。

上田耕一郎

1977-10-27 第82回国会 参議院 建設委員会 第3号

三月二十四日のこの委員会でも私は、前大臣中馬さんが約束したとおり、疑惑がある限り廃川敷処分をやるようなことはしないという態度長谷川さんもとるかどうかをただしました。あなたは「前大臣から引き継ぎを受けておることは当然でありまして、でありますから、前大臣の御意見も私の意見も同じでございます。」と答えられましたが、その態度はいまも変わらないでしょうか。

上田耕一郎

1976-10-19 第78回国会 参議院 建設委員会 第2号

そうなりますと、問題の廃川敷処分をもし建設省が行ったならば、そのうちの一部は公共利用になるかもしれないけれども、残りの部分については室町産業の手にそのまま渡ってしまうと。それで、国民があれだけ大きな疑惑を持ったこの信濃川河川敷の膨大な土地とその利権が、田中ファミリー一つである室町産業の手に移ってしまう疑惑があるわけであります。

上田耕一郎

1976-10-19 第78回国会 参議院 建設委員会 第2号

これは一度新聞で報道されまして、その後国会追及されて、竹下建設大臣は取り消しましたけれども、   〔理事沢田政治君退席、委員長着席竹下氏はことしの中ごろ、専決処分で廃川敷処分を行おうとするという報道が新聞に載ったことさえあるわけであります。これまで建設省は、この室町産業の買い占め問題が取り上げられると、民間の売買問題で建設省は関知しないというような態度をとったこともありました。

上田耕一郎

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