2008-06-04 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第23号
観光資源で申し上げると、私のところは、金印の発見された志賀島とか、あるいは昔、元寇がありまして、元が攻めてきた、それの祈りをささげる敵国降伏というものが掲げられた筥崎宮があったりとか、あるいは玄洋社の発祥の地であったりとか、官幣大社の香椎宮があったりとか、あるいは山笠の櫛田神社、あるいは相撲で有名な住吉神社、住吉の一番初めにできた神社ですね。とにかく観光資源は物すごくいっぱいあるんですね。
観光資源で申し上げると、私のところは、金印の発見された志賀島とか、あるいは昔、元寇がありまして、元が攻めてきた、それの祈りをささげる敵国降伏というものが掲げられた筥崎宮があったりとか、あるいは玄洋社の発祥の地であったりとか、官幣大社の香椎宮があったりとか、あるいは山笠の櫛田神社、あるいは相撲で有名な住吉神社、住吉の一番初めにできた神社ですね。とにかく観光資源は物すごくいっぱいあるんですね。
やはり私の地元に、筥崎宮という、元寇があったときに敵国降伏というのを掲げた極めて伝統のある神社があります。ここでは、お祭りで放生会というのがありまして、七百も夜店が出るようなにぎやかなところであります。また、公共機関として東区役所があります。しかしながら、需要の問題といいますか、乗降客が少ないということで、ほかの市内にはとまる急行がとまらない。
ところが、公家では、元が攻め寄せてくるときいて、あわてふためき、神主や僧を集めて「敵国降伏」をいのるだけで、何の対策ももっていなかった。一二七四年、元の大軍はたくさんの軍船をつらねて朝鮮を出発し、途中、対馬や壱岐でひどいらんぼうをしたうえ、ついに博多湾に攻め入ってきた。