2017-03-16 第193回国会 衆議院 総務委員会 第9号
奄美にはそういうゆかりの地がたくさんありまして、この地で西郷南洲の敬天愛人の思想は育まれたというふうに言われております。これは事実だ、こう思っております。
奄美にはそういうゆかりの地がたくさんありまして、この地で西郷南洲の敬天愛人の思想は育まれたというふうに言われております。これは事実だ、こう思っております。
しかも、座右の銘が敬天愛人というじゃないですか。これは西郷隆盛の言葉ですよ、立派なこと。西郷隆盛と言われるなら、山岡鉄舟についても勉強されていると思うんだけれども、西郷が一番すごい男だと言ったのが山岡鉄舟。江戸城の無血開城は西郷隆盛と山岡鉄舟でやったのよ、勝海舟はその功績を横取りした男なんだけれども。
さて、柳田法務大臣は鹿児島県御出身で鶴丸高校御出身だそうですが、座右の銘は南洲翁が好んで揮毫した敬天愛人だそうです。私もこの言葉が好きで、人生の指針としています。大西郷のように、大臣も天命の自覚と国民に対する慈愛でもって法務大臣という重責を担っていらっしゃるとそんたくいたしまして、質問をさせていただきます。よろしくお願いします。
私は愛媛宇和島の出身ではありますが、大蔵省勤務中に鹿児島の加治木税務署長を拝命しておりまして、大変鹿児島の方々にはかわいがっていただきまして、そういった意味で、是非敬天愛人の精神を持って議論を深めていきたいというふうに考えておりますので、よろしく御指導お願い申し上げます。
鹿児島の家庭では、うちの中に西郷さんの写真があるかどうか、ただその横には敬天愛人という言葉が大体書いてあって、学校の教室にはほとんどあるんじゃないかなと思いますけれども、それを見ながらいろいろと育ってまいりました。 この職に就いて、今お話がありましたように、尖閣の問題は引継ぎでございました。先ほども触れましたように、週末の休み明け、役所に参りました。
そこの西郷さんが敬天愛人という言葉を大事にされております。今、総理を天の声とか、財務省を神と言われる大臣のそうしたお言葉というものは、私は余り評価はさせていただけない、正直。大臣としては、天の声があるならば、それは今の大臣の言われておる自然との共生ではないというふうに私は思っています。
西郷隆盛でも敬天愛人というような、天を敬い、人を愛すという言葉を残しているんです。ここの宗教にはそういうことが許されているんだかいないんだかわからないんですね。だからその辺、世間の人々が不信の目を持って見るのは当然だと思います。
先生は、日ごろ「敬天愛人」、「即天去私」を座右銘として、天を敬い、人を愛し、私心を捨てて国家国民のために献身されてまいりました。一見、小柄で温和な風貌の持ち主でありましたが、一たび行動を開始するや、おのれの信ずるところに向かって驀進するたくましい実行力の持ち主でありました。 また、その反面、非常に繊細な神経と愛情を持ち合わせられた方でもありました。
総合社会福祉施設旭川荘は、敬天愛人、人間尊重の社会の実現を目ざして、昭和三十一年六月に設立され、三十二年四月に、肢体不自由児、精神薄弱児、乳児等を収容する最も先駆的、効率的な子どもから老人までの総合施設を志向して発足しました。
私も白髪を加え、大臣も少しお太りになられ、貫禄がおつきになって、御先代の敬天愛人の南洲翁の面影をほうふつとさせられるお姿を私は拝見いたしまして、御同慶の至りでございます。 緑風会時代から、西郷大臣の思考方法が冷静で、そうして非常に公正であることは、私よく存じておりますので、敬意を表しつつ御質問申し上げますが、要点は二つでございます。
○長谷川(正)分科員 私は西郷隆盛の征韓論がどういう真意であるか、歴史家でありませんからわかりませんが、しかし隆盛が敬天愛人をモットーとして、日本国民の多くから今日なお深い敬愛を受けていることは御承知のとおりでございまして、この問題についていま法相がおっしゃったように、隆盛の血の流れておる西郷法務大臣のときにぜひひとつ、単に人道的という以上に、歴史的経過をも踏まえた良心をもって処理をしていただきたいということをまず