1951-06-20 第10回国会 参議院 通商産業委員会 閉会後第1号
榎本第二中学校の教頭は、年齢的影響は小学校よりも多いと思われますが、ここまで進んだ工事に反対することもできない、今は実現してからの補導教育を心がけております。小林校長は出張中ですが意見は同じですといつておられるのであります。この辺のところがはつきり、私は弱い立場にある教育者がせめても、この問題に対しての反対の意思表示をしておると私は思うのであります。
榎本第二中学校の教頭は、年齢的影響は小学校よりも多いと思われますが、ここまで進んだ工事に反対することもできない、今は実現してからの補導教育を心がけております。小林校長は出張中ですが意見は同じですといつておられるのであります。この辺のところがはつきり、私は弱い立場にある教育者がせめても、この問題に対しての反対の意思表示をしておると私は思うのであります。
東北のほうの小学校では一・五といつても、そのうちには校長さんも教頭さんも養護の先生もおる。現に授業をしないような先生もそのうちに加えておる。而もその上に事務局もそのうちに加えておる。そして実際に教壇を守る教員というものは、一・三、一・二で、一・一ぐらいのところも現在ある。この一・一ぐらいのところで先生が結核でお休みになつた場合はお互いの信義と友情を以てカバーしながらやつておる。
教頭が慣例によつてした、命じたというはつきりした根拠はないわけでありまして、超過勤務の場合には必ず所属の長が命令いたさなければならない、こういうようなこと。或いは教育委員会がどういう指示をしておつたかという問題もあります。教育委員会としては何ら指示をしていない。
一四、志里池小学校教頭は生徒を避難させた。 一五、八百屋の台を暴徒にひつくり返された。(被害一千二百円) 一六、事務所の門を閉めた。 一七、事務所の警戒についた。 一八、警察官に対する暴行を見て不安焦躁にかられた。 一九、鮮人が唐辛を持つているのを現認した。 二〇、事務所の責任者が人夫を避難させた。 二一、区役所で机の下に隠れていた。 二二、区役所の小使室に逃げた。
校長さんとか教頭とか、そういうような学校の運営に直接携わる責任者は非常に困つておるという実情が発生したのですね。そういう点については最初から準備ですね、計算されたのですか。つまり免許法によつて正確に実施されると何人の教員がこれば事故することになるか、それによつて授業の運営がどういうような欠陥が起るか、これに対する計画ですな、そういうデータを作られて検討して発足したかどうか、こういう問題です。
そうでなければ、講習所において総合的な科目の講習を受けることができない実情にある、これがやがて学校経営にどういう影響を及ぼすかと申しますると、校長は釧路の方に行く、教頭は函館の方に行く、こういうふうに分れ分れになつてしまつておるために、この学校経営の連絡が到底とれない。ここから青森まで行くところの時間が、札幌から根室の方に、或いは釧路の方に行くだけの時間がかかるのが、北海道の実情であります。
そしてそのうち講師への謝礼は月千円、それから接待費が一日に二百円、それで二万五千円ほどで、それからもう一つは二万五千円ほどでもつて講師と教育庁の役人と交渉に当つた幹部の間で宴会を持ちまして、そして野方小学校の教頭のごときは、くつをはくことができないで、くつを間違えるくらい深醉いしていたというようなことが言われております。
附属に来たり、或いは附属の学校から地方の校長さんなり、或いは教頭になつたりするというような交流が非常に多いのであります。そういうような関係から何らかこれに対する一つの給與の上において特例が作られないものであるか。こういうふうに考えるのであります。
明治大学法学部長松岡熊三郎君、早稻田大学法学部長大濱信泉君、中央高等学校教頭堀内操君、東京大学教授我妻榮君、中央大学教授片山金章君、なお日本教職員組合よりも一人参考人としてお呼びすることになつておりますが、まだお見えになりませんので後ほど申し上げたいと存じます。以上六名を参考人に指名いたすに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原委員長 次に日本私立中等高等学校連合会、中央高等学校教頭堀内操君。
それから今は成る程ありませんが、教員の序列の中には、あの俸級表でも何でも頭から校長から教頭から順をとつております。それが教員の中においてさえもそういうふうな感じがあつたわけなんです。年取つた檢定上りの先生が若い師範学校出の先生や大学出の先生から見て俸給が安い。而も序列が下に書かれているとこれは非常に不満である。やはり教員も人間なんですからね。教員の中でさえそういうような感じは可なりある。
その間その教頭なり、或いは職員なりは、その校長に特殊教育を理解させるために非常な努力を拂わなければならん。そのためにその学校のその他の面におけるすべてのものが停止すると申上げれば、聊か過言のようにも聞えますが、私はこのことは敢て過言ではないと思います。それらのことがあちこちの学校に事実として巻き起つている。
そして在來の市町村の、市町村会における学校関係、教育関係のことを扱つておつたのは、旧制度においては、学務委員というものでありましたけれども、この学務委員がその能力を果し得ない場合には現職の校長、教頭というような人々を嘱託として学務委員に兼ねさしておつたことはあるのでありまして、そういう意味から言いましても、予算のパーセントが多いという意味から言いましても、現職の教員が本職に支障なき限り兼ねるということは
小学校においても中学校におきましても、高等学校におきましても、教壇に立つての教授力というのと、教頭としての腕、人物と、それから校長としては別であります。ところが從來人物選考の場合にはそれをすべて混同しまして、ただ單に教授力があれば校長によいと考えられる。あなたもそうお考えじやないかと思うが、そういうことじやないと私は思います。非常にこれはむずかしい。
有松昇君は、大正十三年東京帝國大学法学部卒業後、内務省に入られ、神奈川、千葉両縣保安課長、警視廳事務官、警視廳監察官、衆議院書記官、兵庫縣内務部商工課長、山梨縣警察部長、警察講習所教頭、北海道及び宮城縣各経済部津、新潟縣勅任経済部長、行政裁判所評定官及び総理廳事務官一級官等を歴任し、昭和二十三年七月衆議院治安及び地方制度委員会單門調査員に任ぜられた方でああります。
但しその一年若しくは二年の務めを果して來れば君は昔で言えば教頭にする、或いは校長にするという約束の下に、納得づくで一年乃至二年或いは三年、或いは五年とそこは我慢をさせて配置につかしたような筋合でありますので、現在こうした目下の教育機構がそうしたことを許されない。
それからもう一つは現在文部省の指導方針によつてやつておつたのでありますが、いかなる小さい学校でも中等学校が独立して三学級ぐらいの中等学校が沢山できておるのでありますが、これは小学校時代の八学級ぐらいの学校に二校入れて、校長が二人おるという状況であつて、而もその校長は、中学校の方の校長というものは殆んどこれは元の教頭級の校長が中学校に入つておる。
こういうふうではとても続けて学校へやるわけにいかんというので、轉校を願い出たのでありますが、当局のお話では、そういう事情ならば轉校をさしてもよいと、こういう方針だということでありましたので、その旨を私は本人の方へ通知してやつたのでありますが、先方の学校の教頭さんの言われるのには、文部省の方針はどうだと、その葉書を持つて行つて示しましたところが、これではいかんからその方針を書いて持つて來いと、こういうことであつたので
大きな小学校の教頭、場合によつては学級主任、もう少し小さければ受持主任というような、クラシフインケーシヨンをして、一定の程度の者を校長に当てる。同じようなグレードのものを大きな学校の教頭にも当てる。