1962-03-22 第40回国会 衆議院 文教委員会 第16号
御承知の通りに、古典乙の一に漢文の文法を記述するということにつきましては、適切でないという教育者諸君の見解が一致しておりますが、こういうふうに、現状からいいましても非常に不当な、支配的な、あるいは一方的な判断でもって、調査官が出版社及び著者に圧力を加え、それが許可、不許可になる理由にされているというのは非常に不当だと思うのですが、こういう点はどうでしょう。
御承知の通りに、古典乙の一に漢文の文法を記述するということにつきましては、適切でないという教育者諸君の見解が一致しておりますが、こういうふうに、現状からいいましても非常に不当な、支配的な、あるいは一方的な判断でもって、調査官が出版社及び著者に圧力を加え、それが許可、不許可になる理由にされているというのは非常に不当だと思うのですが、こういう点はどうでしょう。
そこで、そういう立場で教科書の問題が現場の教育者諸君によって扱われるということになって参りますというと、せつかくの教育課程の改正あるいはそれに基づく指導要領が、結局ここで言われているように現場指導の中で実質的に粉砕される、かようなことは私はやはり日本の教育全体の上から考えて、非常に憂慮すべき事柄であるように考えられてならないわけです。
そこで、むろん教科書の採択でありますから、法律上、法制上教育委員会の権限、所掌に属するということであっても、おのずから現場の教育者諸君の意見を聞いてということになることは、これは常識からみても、現実に問題を処理する上からいっても当然のことだと私は思うのですが、一方で教員組合の方で、おれたちの気に入つた本でなければ使わせないのだと、こういうことになってきますというと、ここに教科書採択の公正な原則というものに
それから、優秀な教師が怠惰な教師と同じ給与を受けるというようなことも、世界の教育者諸君がそういうことを頭の中に置いておかないでこの手紙を書いているのでもなければ、世界中の教師が勤評に反対しているのではありません。
この遂行に伴いまして、あるいは多少の混乱も起るかと思いますが、私は全国の教育者諸君の良識と自覚に待ちたいと思います。最後の、十五日なら十五日のそのぎりぎりまで、私は全国の教育者諸君の自覚と反省を促してやまないものであります。また同時に勇気をふるい起してもらいたい。順法精神に立ち上ってもらいたいと実は思っております。
(拍手) そこで、申し上げるのでありまするが、まさに五十余万人の、正確にはそれより以上の多数の全国の教育者諸君の労苦に対し、私たちは感謝の気持で一ぱいであります。しかるに、政治に携わる国会のおとなたちが、死んだはずだと思った伝説をかつぎ出して、国民的祝日として押しつけると、彼ら青少年たちは、第一、当惑するでありましょう。
その教育者諸君には私は敬意を表しますけれども、私が今日日本の教育なり、教育者諸君の現状を見ておりまして、まだ私は教育の力だけによってこの子供たちを正しく育てていくことができるかどうかについては、私は大きな疑問なり不安を持っております。まだまだ今日の教師諸君の力では、そこまでは行きつかんのじゃないかという大きな疑問を抱きます。
○矢嶋三義君 この政令に定める基準というのは、最初決定されたものから若干変更された面もありますが、この基準については現場の教育者諸君とは十分了解済みの基準ですか。
そこでこの値段の高い問題は、これは大臣もただいま申されましたように、運賃について、あるいは出版会社に対する低利の融資について、あるいはまた宣伝費の問題がありますが、これは行監でも取り上げているようでありますが、展示会の常設的なものを置くことによって、いかに出版会社が宣伝をしても、父兄なりその他良識のある教育者諸君が、十分に長い時間をかけて比較検討すればよい本が入る。これは自然淘汰ができるはずです。
加うるに私は本法案の提出を契機といたしまして、今や従来沈黙を守つておりましたまじめな良心的な教育者諸君の多数が、教育界に対する轟々たる世論の批判を前にいたしましてみずからの良識とみずからの判断に基きまして自主的に自分たちのあり方を規制し、自分たちの社会を改善しようと立ち上りつつありますこの尊い姿、この事実を見落してはならないと思うのであります。
○加賀山之雄君 今言われたような気持でこの国立学校の教育公務員の例によるというようにされたということは一応わかりましたが、そうなつた場合に今度大巾に地方公務員たる資格から国家公務員と同じ取扱いを今度受ける教育者諸君の中で、私は非常に教育に熱心で而も良心的で、善意をもつて子供を愛育している先生がたが非常に多い数だろうと思うのでありますが、これは冒頭にも御質問申上げましたが、そういうような先生が今度のこの
教育基本法は如何にも立派な法律でありまして、その第六条には、教育者を全体の奉仕者と規定せられ、第八条には特定政党の支持を禁止せられ、第十条には不当支配に服することなく、国民全体に直接に責任を負う、こういうようなことが規定せられておりまして、多くの教育者諸君がこの基本法の各条章を重んじて自制し、責任を重んじておられるであろうということは私も信じておりまするが、併し先ほど来申述べたごとく、制しきれないものもあるのであります
全国五十万になんなんとする義務教育者諸君、そういう人を会員とすることのできる組織は、実に大きな力を持つておるものでございます。こういう組織によりまして、給与や勤務条件、その他厚生的活動なども盛んになることは、私は心からこれを祝福するところでございます。
朽ち果てたる校舎、教授に値しない教育施設、一切の不便と不備の中に今日の教育者諸君は立つて——みずから敢然と立つておるのであります。しかも、これらの教育者のもとにおいては、敗戦以来ようやくにして生れた、七才からあるいは何才かに至るまでの児童が、教育を求めて町から村から集まりつつあるというのが、今日の状態でありまし考。
特に倫理の問題でありますが、天野文部大臣は、先年田中文部大臣が大臣になられておつたときに、教職員がすわり込みをやつたという問題について「若き女性のために」という著書の中に、「さきごろ文部省に詰めかけた教育者諸君が大臣に対した態度なども、わたしなどには納得できません。田中文部大臣が誠実な信念の人であることは、社会の承認しているところだと思います。なぜもつと穏やかに相談的にやれぬものか。
そこで第一線の教育者諸君は、何とかしてこういう法案を通して政府の反省を促し、教育財政の裏付けをして頂かなければならないという意味において、全国の職業教育に携わる諸君が立ち上つた次第であります。
これは砂上の楼閣に等しいものであるということを主張し、そのために我が党は今後とも如何なる犠牲を惜しまず鬪つて行くと同時に、真に祖国を愛する教育者諸君との提携を望むものであります。 各党の提案になつております修正案は、非常に原案よりはよくなつております。
最近心ある教育者諸君がこれを感じまして、政府の今考えておるような方法でなく、みずから自分たちの教養に努めようとしている傾向が見られるのでありますが、これに対して政府の方でも、この免許法のみによつて教員の資質を向上するというようなことは妥当でない、もつと積極的に教員の意欲を燃やして行かなければならぬというような感じを、私たちが質問している中から多分に受けたので、今後そういうふうに努力して行かれると思うのであります
教育の軍事化ということを言われますが、私は最近長野県の教育者諸君に呼ばれて、長野全県の義務教育の諸君と話合いましたが、そういうふうな教育の軍事化などということを言う人は一人もおりませんでした。私は決してそういう事実はないと思つております。
若しほかの教育者諸君が私と同じ考えを持つていたら、この戦争は或いは起らなかつたと考えております。併しその場合に、こういうことが我々の世代において起つたということは、誠に青少年に対して相済まないと考えております。
若し日本の教育者諸君が皆政党に関心を持つて貰うほうがいいのであるか。私らのように和田さんに非難されるようですけれども、専ら教育本位で、教育ということに使命を感じ、そうして一個の市民として政治に勿論関心は持ちます。直接の行動は何もそれに対してはしないというふうなことでもいいのではないか。併し私はそれが理想だということではないのであつて、現段階において止むを得ないのではないか。
私は又敗戰による経済的遍迫の結果とは言いながらも、不遇なる待遇に甘んじ、默々として聖なる職責を自覚しつつ、次の時代の国民の教育に没頭されている全国幾十万の教育者諸君に対しまして、深甚なる敬意と感謝を表するものでありますが、併しながら又一面におきまして、一般的な社会道義の頽廃は延いては教育界にもそれが瀰漫しているという実情を大変に遺憾に思うのであります。