2018-02-19 第196回国会 衆議院 予算委員会 第13号
本県では、教育県岡山の復活と産業の振興を本県発展の好循環のエンジンとして、子育て、医療、福祉、中山間地域活性化など、県民生活の充実につなげることにより、県民に成果を実感いただけるよう努めております。 時間の関係から、教育県岡山の復活、産業の振興及び少子化対策の三点に絞って御説明いたします。
本県では、教育県岡山の復活と産業の振興を本県発展の好循環のエンジンとして、子育て、医療、福祉、中山間地域活性化など、県民生活の充実につなげることにより、県民に成果を実感いただけるよう努めております。 時間の関係から、教育県岡山の復活、産業の振興及び少子化対策の三点に絞って御説明いたします。
岡山県では、県の行動計画の冒頭に、重点政策一というふうにした上で、教育県岡山の復活を掲げております。その冒頭で、この全国学力テストの平均正答率を全国十位以内を目指すということが高らかにうたわれております。 これはまさに、文科省自身も繰り返し指摘をしている、数値データの上昇が主たる関心事になってしまっているんじゃないかと感じずにはおられないんですね。
われていますけれども、これ、全国学力テストに先んじて全県の学力テストをやってスタートをさせたり、あるいは県の独自予算で少人数学級をどんどん進めたり、さらには教育の専門監というのを置いて教員の指導に当たらせたり、そして移動教育委員会というんですか、学校現場やいろんなところに教育委員会が出ていって、その地域の皆さん、学校の皆さんともう膝詰めで様々な意見交換をしていく、こういう風通しのいい運営をして秋田県は今教育県
○三宅委員 その広島が、今本当に劇的によくなって、元来の教育県としての内容を回復しつつあるんです。今、広島県下の小中高、これは全部で九百校ぐらいあるんですけれども、全校で毎日国旗掲揚をしているんですよ、国旗掲揚。これはすばらしいことですよ。しかも、そのうちの六割は、生徒がその国旗掲揚をみずからやっているんです、こうやって。
もともと、広島県というのは、戦前は教育県として有名だったんです、広島。戦前ですと、広島、栃木、長野といったら全国に名立たる教育県だったんです。広島には、戦前、高等師範学校がありました。これは全国でも二つか三つしかない学校でして、広島というのは、教育というのは非常に大きな看板でもあったんです。あるいは、明治帝国憲法下で、広島と富山県、この二つの県だけは死刑囚が出なかった、凶悪犯罪がなかったんですよ。
私は十八歳までは群馬で育ちまして、その当時は、長野県というのは教育県だというのですごく評判の県の一つだったんです。その当時の、長野県は教育県だというイメージは、最近やや聞かれなくなったところもあるのではないかというふうに思います。 ですから、長野県が長野県全体の県立高校をどうするかということについては、これはぜひ県で考えていただきたい。
福島県も全国でも有名な教育県の一つと、そういうふうに聞いております。 少人数学級については、これまでも申し上げておりますけれども、一人一人に目が届いて、子供たちの様々な個性を教師がとらえ、そしてそれにふさわしいまた指導をしていくという意味では、きめ細かな指導ができるということにおいて私は教育上非常に重要な意義があると、このように思っております。
○重野委員 今大臣も触れましたけれども、小泉構造改革の時代に知事として、地方自治体の活力をどうアップしていくかというふうなことでいろいろな政策を打つわけですね、新幹線を八戸まで延伸するだとか教育県構想に基づく県立大学をつくるとか、それから、農業研究センターの設立だとか、加えて、景気対策に基づくいわゆる公共事業を打つわけですね。
是正指導を機に、県を挙げて新たな「教育県ひろしま」の創造に向けて動き始めたのです。 私は是正指導後に市の教育長に就任しましたが、是正指導のおかげで教育現場は大変伸びやかになっており、広島県が、いち早く学校評価、人事評価も導入し、開かれた学校づくりが進んでいることを強く実感いたしました。 地方分権時代に国からの是正の要求や指示というものはいかがなものかとの意見もあると思います。
それで、新たな教育県広島の創造に向けて一歩一歩今踏み出していっているところでございます。その動機づけを国にしていただいた、このように考えているところでございます。
こうした地方の教育格差、例えば、かつては熱心な教育県だった、あるいは熱心な教育校であった私の母校、島根県立の出雲高校は、先生もよかった、そして学校の気風もよかったと私は思います。しかし今回は、この世界史の未修のリストの中に入っております。島根県のほかの公立高校のほとんどが入っている。 原因をいろいろ考えました。関係者とも相談してみました。
これは大臣、長野県の出身で、これはやっぱり何か特別な、テクニックというわけじゃないんでしょうけれども、何かやはり教育県なんというふうに言われていますけれども、この結果を、この五百六十六という数字と、大臣御出身の長野はゼロ件だという、その辺も併せてちょっと御意見伺えればと思います。
山口県は近代日本を築き上げた有為な人材を多数輩出した教育県であり、そうした防長教育の伝統を大切にしながら新たな教育ニーズに対応するため、次のような重点プロジェクトを実施しております。幼稚園から大学まで各学校種間を円滑に移行できるよう、小学校教員の幼稚園や保育所への派遣、小学校六年での教科担任制実施や中高一貫教育等を推進しております。
昨日でございますが、日本商工会議所と経団連が、産業人材に政府を挙げて取り組むべきだと、それから産業界もこれに協力する用意ありと、それから、地域ごとに教育、県委員会その他と連携をしたいと、こういう提言を昨日まとめておりますので、日本全体で取り組む体制もでき上がってきたかなと思っております。
私の地元は、教育県としての再生を目指す広島でございます。それだけに、同郷の先輩であります斉藤理事それから岸田委員、今既にいらっしゃいませんけれども、お二人とともに与野党で議論できることは大変意義深いものではないかというふうに考えております。
それが昭和六十年に知事と議長と教育長が解放同盟と同時に組合の委員長と一緒になって協定文書を結んで、解放同盟が差別という問題については教育の現場に入っていけるというふうにしてから広島県はどんどん悪くなって、教育県広島が今や学力最低、非行少年最高という県になってしまったわけでありますが、そういう状況でございますので、非常に広島等はそういうことがあったんですが、違うのは、北海道の場合は四六協定という協定書
しかし、教育県と言われる広島県がこういうことになってしまった原因は何かということをよく考えてみなければならないと私は思います。
富山は、教育県というふうにも言われますとおり、生涯学習の声を上げましたのが大変早うございまして、既に昭和四十三年、今から二十二年前に精神開発室という部屋を教育委員会内に設けまして、当時の県民の生涯学習に取り組んでまいりました。
○森暢子君 富山県は大変教育県だということで、教育行政、教育委員会が大変しっかりしていらっしゃるので、そういうふうな取り組みが今までにできたと思うんですけれども、財政の面でも一括して財政が県におりてまいりますから、その中で生涯学習もしろ、何もかもしろといった場合に、県の教育委員会の姿勢によって、そういうところに力を入れられない県もあるかもわからないというふうなことを思うわけです。
昔から教育県という合い言葉があるのですけれども、県内だけで教育県と言っておってはだめなのですよ。よそから見て教育県だと言われるようにならなければいけません。私は生まれ育っておりますので、岡山県を褒めもし、悪口も言える立場でございますので、そういう実情だろうと思います。ありがとうございました。 さっき途中にいたしました臨教審の答申の内容につきまして二、三点伺います。
率直に言って、教育県長野というようなことが昔から言われるわけですけれども、私も長野県人の一人として何か胸に刺さるせつない思いを禁じ得ない。また県下の教育に関係する者のみならず心ある者が一様に、ヤンさんの心情を思うにつけ、またかたく閉ざされている門戸を思うにつけ、何とかならないのか、こういうことで事態の解決を求めているというのが今日的な状況だと思うのです。
○小川(新)分科員 一県の問題でまことに恐縮でございますが、文部大臣は一月三日の埼玉新聞紙上で「埼玉県を日本一の教育県にしたい」と述べております。これはどのような基準で日本一とするようにするのか。その実現についてのプロセス、大学への進学率日本一を目指すのか、それともどのような方法で教育日本一に持っていくのかということであります。
それからもう一つは、今の事実関係、この気の毒な梁弘子さんの事実関係が事実だとすれば、教育県の長野県に指導したと言うが、二十何人いるのでしょう、もう既に。外国籍の小中学校、全国に約三十人あり、韓国籍を持った者でも二十何人いる。そうすると、この大方はどうなるのだろう。