2015-05-13 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
民主主義、平和主義、自由主義、平等主義、これらの価値や意味合いが履き違えられて戦後の教育思想に流れ、それが学校や青少年にかかわるさまざまな事案に直接、間接的に影響しているように私には思われます。 文科省としても、戦後教育の全てに胸を張れるわけではないと思うのであります。今私が述べた四つの誤謬について文科省はどう考えておりますか。
民主主義、平和主義、自由主義、平等主義、これらの価値や意味合いが履き違えられて戦後の教育思想に流れ、それが学校や青少年にかかわるさまざまな事案に直接、間接的に影響しているように私には思われます。 文科省としても、戦後教育の全てに胸を張れるわけではないと思うのであります。今私が述べた四つの誤謬について文科省はどう考えておりますか。
また質問の切り口を変えて、再び三輪参考人にお聞きしたいと思いますが、三輪先生は教育行政学の大家ということでいらっしゃいますけれども、先ほどヨーロッパの、フランス革命から、要するに無償教育思想というのがずっと広がっている、また先生が書かれた文章にも、日本の寺子屋においても、あれは授業料ではなくてあくまでも感謝の気持ち、謝礼であるということであって、教育というものは無償であるべきだという御議論は、本当に
他方、中堅あるいはベテランの先生については、教育学であるとか教育思想であるとかあるいは社会学であるとか、そういった方向からの研修にウエートを置いてやっていくであるとか、ややこれは民主党さんも自民党さんも具体性に非常に欠けますので、私は抽象論でしかないなという印象を両法案について強く持ったんですが、こういった具体的なところをもう少し盛り込んでいかれた方がよろしいんじゃないのかなというふうに感じました。
それで、この法案が例えば成立して、もし仮に憲法改正の国民投票になるまでに四年から四年半掛かると、その間に特定の教育、思想を子供たちに教えられるということについての危惧がございまして、私も、なるほどそういったこともあるんだなと思いました。
もう一度言いますが、使命感の再確認と教育の新たな課題、社会と保護者のニーズ、それから子供の変化、これをやりながら、もう一つプラスアルファといいますか、非常に私自身が個人的に大事だと思っておりますのは、日本の伝統的な教育思想にもう一度触れ直していただく。 例えば、デューイのことについて一生懸命勉強した人は教師の中でおります。ペスタロッチもいます。
そして不幸な戦争をして大変なことになったというようなことの中で、その中では極端な国家主義的又は軍国主義的なイデオロギーによる教育、思想、学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であったと、昔は。 この制度がなくならない限り自由自主的な教育は生まれることは極めて困難であったというようなことを書いて、この十条のところのことについて目標と、十条のことについて書いています。
このことを、近現代の教育思想界に大きな影響を及ぼしましたフランスの教育思想家であるコンドルセという人物は、次のような言葉で語っております。 教育の目的は、既成の意見、既にある意見ですね、既成の意見を神聖化するのではなく、既成の意見を次々の世代の自由な検証にゆだねることにあると、このようにコンドルセは申しております。
これに答えていると大変になるんですけれども、私は、近代日本教育思想史の大きな本を一冊書いています。それで教育勅語の成立についても丁寧に書いていますし、それから、教育基本法の成立に関してはこういう本を書いています。 そういう立場からいいますと、教育勅語に関しては、御指摘のように、あれは天皇の言葉ということになっているけれども、基本は、つくられたわけです。だれがつくったか。
私たちがこの国に住んでいること、地球上の人々とどのように連帯するかということこそ重要な、私たちの子供たちの二十一世紀をつくる教育思想でなければならないという点で、ただいまの御意見に私は反対したいと思います。 終わります。 〔葉梨会長代理退席、会長着席〕
しかし、そういうふうなところまでさかのぼって今の教育改革を議論するときに、教育思想、長い人間の歴史の、東洋でもヨーロッパでも、そういうものを含めて、その辺のことを教育改革の中で議論をしていただいているんだろうかというちょっと懸念があるもので。
外交、それから教育、思想、そういうふうなことが得意で、ある意味では、不得手の中で今度の閣僚の中に入ったということは、建設行政とか国土行政ももちろん期待しますけれども、内閣の万般にわたるかなめとして入閣なさっている、そう信じております。
私は、東京大学にいたときには教育哲学、教育思想を講じておりました。現在は中央大学の文学部と法学部で主として国際教育論と教育法を教えております。そういう専門の立場から、そして国民の一人としてこの問題に対する意見を申し述べたいと思います。
第二は、長い軍都広島の歴史の反省の上に、二度と教え子を戦場に送るまいという教育思想が、なぜか戦後の広島には行政の上で生かされませんでした。 その検証は数々ありますが、その一つに、一九九四年、広島でアジア競技大会が開かれました。その開会式全体会では、アジア各国七千余名の選手団を前にして、最初が、一人の歌手による君が代の独唱でした。
○国務大臣(与謝野馨君) 教育基本法の第一条に書いておりますように、日本の教育というのは知識偏重でもなければ、あるいは職業教育偏重でもないわけでございまして、教育基本法の第一条に書いておりますのは、「人格の完成をめざしこというところが私は戦後一貫した教育思想だと思っております。
そういうことからいいましても、何とか、教育史あるいは教育思想史、さらには教育に対して昔からのいろんな思想家が、哲学者がさまざまな提言している事柄を学ぶということをしなければだめなんだ、その場で、まるで一億総教育評論家みたいな顔をして、学校が悪い、先生が悪い、親が悪い、政治が悪い、やれどうだこうだとだけ言って解決する問題じゃないと思うんです。
そうなった以上は、やはり責任を持ってやってもらわぬと困りますのでお願いをするわけですが、教育基本法と教師のいわゆる教育思想というものとの関係、これは一体どうなっているんだろうか。
○飯田忠雄君 教科書の点についてはそういう御方針だということはわかりましたが、それじゃ、教師の教育思想についての点はどうでしょうか。教師の教育思想が文部省のお考えになっておるようなものでないとすると、教科書を検定しても結局同じことではないか、こう思いますが、いかがですか。
の教育に非常に大きな影響を与えましたのは、昭和二十一年のアメリカの教育使節団、教育ミッションの報告書であると思うのでありますけれども、あの報告書は、もちろんいい面も含まれておりますけれども、私に言わせますと非常に一面的で、というのは、あのミッションのレポートを流れている思想というのは、ジャン・ジャック・ルソーでありますとか、ジョン・デューイでありますとか、いわば人間の性質を非常に楽天的に見ている教育思想
官吏養成の必要から発した官学優先の明治時代の教育思想が百年にわたって実存をし、行政側の怠慢もあって、この弊風がまかり通り、国公私立に学ぶ学生諸君の間に、国の権力で大きな格差が生ぜしめられておるわけであります。このことは、まことに残念至極であります。
近代の偉大な教育思想は、教育が能率主義に流れるということについて常に批判的な構えをとってまいりました。そのことを、まず私は申し上げたいと思います。そして私は、教育は非能率的であっていいということを申すつもりはございません。しかしながら、能率だけを目指すということになりますと、これはいま申しましたように、大変教育にとって望ましくない結果を招くということ。
ドイツ的な観念論からきたいわゆる教育哲学というのが、戦前は教育学の主流をなしておったように思いますけれども、戦後は特にアメリカの実在論的な、あるいはデューイの教育学、そういう教育思想が日本に入ってきた、そして骨格をつくったように思うのですが、これは当然実学的であるし、技術的、能率的であろうかと思いますが、これはどんなに憂えてみても、私が思いますのは、教育学そのものが積極的な意味で主体的な学問であるのかどうか
それで、西洋の教育学が明治初年に入ってきて、そこで本来ならば、西洋のまねをする日本の教育ですから、その教育思想も入りそうなところを、これは東洋の伝統的な教育に対する考え方の方が克服したと私は思うんです。なぜ克服したかと言えば、発展途上の富国強兵をとっていたということが背景にあると思います。で、師範学校という名称もそれにぴったりで生まれてきたと思うんです。