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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-05-19 第77回国会 衆議院 文教委員会 第7号

○佐野(文)政府委員 先ほども申し上げましたように、副学長の人事について通常の場合と異なった遺憾の状態でございましたけれども、五学部長会議意向教育大学側意向が食い違った。教育大学側は榊原氏を副学長として迎えたいという強い意向を持っていたということがあったわけでございます。それに基づいて文部大臣の方へ副学長発令の上申が最終的には行われて、私どもはそれに従って発令をしたわけでございます。

佐野文一郎

1973-09-19 第71回国会 参議院 文教委員会 第28号

ところが、ここで東京教育大学内部で考えている案と、それから文部省創設準備会での案とが食い違っているということで、しかも、東京教育大学側の案がほとんど採用されないということで、その不満が、移転を推進しめいる方々の内部に非常に強くなってきたということで、これは正確な年月はいま記憶しておりませんけれども、一体この文部省準備会に参加している三人の委員はどういう資格で参加しているのかということが問題になりました

大江志乃夫

1973-09-13 第71回国会 参議院 文教委員会 第27号

説明員大崎仁君) ちょっとことばが足りないで申しわけございませんでしたが、新大学のカリキュラムの組み立ての基本的な考え方、つまり授業科目の区分をどのような形で組み合わせるかというような基本的な考え方につきまして、教育大学側の御検討の成果をもとにいたしまして創設準備会で御審議をいただいたものでございまして、その成果はさきに御提出をいたしております「筑波大学創設準備について(第一次まとめ)(改訂案

大崎仁

1973-09-13 第71回国会 参議院 文教委員会 第27号

この御構想を受けまして、準備会等で検討いたしました結果、研究所という名称を使いますことが、旧来の研究所と同様の性質を持つというような誤解を招くのではないかということになりまして、プロジェクト研究組織特別プロジェクト研究組織というような形で準備会の案では位置づけられておりまして、教育大学側とされても、それにつきまして御了承になっておられるわけでございまして、ここに、基本計画案に掲げられております十研究所

大崎仁

1973-09-13 第71回国会 参議院 文教委員会 第27号

説明員大崎仁君) 先ほど局長から申し上げましたように、教育大学では、基本計画案発表後、基本計画案を基礎といたしまして具体的な計画を検討いたしますために、学内に新大学開設準備委員会というものを設けまして、四十八年の二月ごろまでに四十回以上の会議を開いたというふうに承っておりますが、その開設準備委員会審議の結果が、文部省に置かれております新大学創設準備会に案として教育大学側から御出席になっておられる

大崎仁

1973-06-27 第71回国会 衆議院 文教委員会 第25号

準備会審議の性格としまして、特に準備調査会から準備会に移りまして以後の考え方としましては、東京教育大学筑波大学において実施されようとする具体的な計画を、他の学識経験者のお力をかりてさらによいものにしていくために御審議をいただくということじゃなかろうかと思っておるわけでありまして、その意味で「第一次まとめ改訂案」の内容につきましては、教育大学から御参加の委員を通じまして、教育大学側のいわば共通了解

大崎仁

1973-06-27 第71回国会 衆議院 文教委員会 第25号

教育大学基本計画案では、教育審議会研究審議会等は副学長諮問機関ということで位置づけたいというお話でございまして、新大学創設準備調査会のあの黄色いほうの報告書では、副学長学長補佐機関であるから、補佐機関諮問機関を持つのはおかしいのではないか、形式的には学長諮問機関としたほうがよろしいのではないかということで、学長諮問機関というふうに、その時点で教育大学側の案と調査会側の案が若干形式面

大崎仁

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

ですが、その過程について木村先生にちょっとお聞きさせていただきたいのですけれども、たとえば教育研究というような問題に関連して、東京教育大学の側で構想された考え方と、当時の文部省のほうの準備調査会との間に、東京教育大学側の自主的な改革というものを受けとめていくような形でスムーズに事態が運びながら四十六年の決定に至っているんだろうか。

嶋崎譲

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

嶋崎委員 いまの福田先生経過の御確認と、この間から討論してきた文部省当局との御確認と大体一致しておると思いますけれども、昭和四十七年七月二十四日の評議会で、ビジョンを前提にして新しい筑波大学構想することを評議会できめた、それで続いて四十六年に基本計画案評議会できめた、大体これが東京教育大学側ビジョンに関する評議会決定の大きな段階的な決定だというふうに御確認させていただきたいと思います。

嶋崎譲

1973-06-13 第71回国会 衆議院 文教委員会 第21号

○大崎説明員 教育大学側の御意見を承らしていただきながら、こちらで判断をしたということかと存じますが、具体的にこれも名前に即して申し上げますと、総会の委員でございます福田信之教授MP委員長として教育大学側計画をまとめられたいわば実質的な責任者でもあられるので、福田教授。それから大島清教授、これもMP委員会のやはり中心的なメンバーだと存じます。

大崎仁

1971-09-10 第66回国会 衆議院 文教委員会 第3号

高見国務大臣 それは非常にむずかしいお尋ねで、イエスともノーとも申し上げかねますが、この問題は新構想大学というものと、それからこれはたまたま東京教育大学のキャンパスが御承知のような状態で何とかしなきゃならぬということで、筑波学園都市に入りたいという教育大学側からの御希望もありましたことで、そこで移転を契機として、ひとつそれでは新構想大学をつくろうじゃないかということになったわけでありまして、ウエート

高見三郎

1971-03-11 第65回国会 参議院 文教委員会 第6号

で、非常に何か評議会決定したからというようなことで教育大学側の意思に従ったというような、こういう結論を出しているようですけれども、どうなんでしょう、いままでの例からいって、学内に非常に問題があれば、たとえば文学部なら文学部がこの移転反対だとか、農学部も反対だとか、あるいはどこどこが賛成だとかいうような、こういう学内に非常に問題のある場合には、どうでしょう、多数決できまったからそれが大学の総意であるというようなぐあいにいままで

小林武

1967-08-09 第56回国会 参議院 決算委員会 第3号

中村喜四郎君 ただいま教育大学あるいは医科歯科大学の分室、素粒子研究所等々の移転計画について発表がありましたわけですけれども、その中で東京教育大学移転については、文部省側大学側とで、今日までどういう折衝を持たれておるかお伺いしたいわけでございすけれども、ことしの六月十四日に教育大学学長及び部局長大臣とでは内々いろいろとお話し合いを進められておったように聞いておりますが、その際に、教育大学側

中村喜四郎

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