2003-05-30 第156回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号
これをほかの教育ローン制度と比べると、例えば、国民生活金融公庫の利子が年一・六%ですから、百万円借りたとしたら一万六千円、民間銀行だと固定金利で三・五から六・五%ですから、同じく三万五千円から六万五千円となります。いかに〇・二%が安いか、わかると思います。
これをほかの教育ローン制度と比べると、例えば、国民生活金融公庫の利子が年一・六%ですから、百万円借りたとしたら一万六千円、民間銀行だと固定金利で三・五から六・五%ですから、同じく三万五千円から六万五千円となります。いかに〇・二%が安いか、わかると思います。
とりわけ教育ローンは、あるいは文部科学大臣の方からお答えがあるかもしれませんが、この教育ローン制度につきましても、各種の公的な制度におきまして、職業訓練を受けた場合を対象にした無利子または低利子の融資というものを行いたいというふうに思っています。
○中曽根国務大臣 大学の入学金につきましての公的制度としては、今委員からもお話ありましたように、国民生活金融公庫の教育ローン制度は昭和五十三年度から実施されておりまして、学生生徒一人につき最高二百万円まで融資を受けることができ、また、貸与基準は年収千二百十万円以下の者とされていると承知をしております。
我が党は、希望するすべての学生に奨学金を貸与する新教育ローン制度の早期創設を主張してまいりましたが、その主張が今年度の第一次補正予算案では、奨学金貸与人数の増加という形で一部実現をしました。
むしろ広く財源を、例えば利息ゼロの国債を発行するというのも一つ方法だろうし、あるいは郵貯に対して金利ゼロ郵貯というものを設けて、そして、そうしたものについては相続税の控除対象にするとかいうふうな方法の中で利息のかからない資金というものを調達しながら、せめて年間百万ぐらいの教育ローン制度を、受給する本人が将来払うということを前提とした教育ローン制度のようなものが必要なのではないかと思っております。
しかし、本来、今日生まれてきた教育ローン制度の発想の中では、どうやって庶民の生活を安定をさせ、福祉を増進させるという目的の郵便貯金の目減りに対して還元をしていくかというところに、実は中心発想がある。これを発展をして、郵便貯金をしない人に教育ローンをやるというのは、これは政策の問題として私は当然付随してくる問題であります。
このような制度を御審議願うに至りました経緯でございますが、いま申し上げましたように、入学時における父兄の負担が非常に増大してまいっておりますので、民間金融機関においてもいわゆる教育ローンというものにつきまして前向きに漸次対処してまいりまして、昭和五十年ごろから民側の一般の金融機関において教育ローン制度が実施されてまいってきたわけでございます。
これに対しては風聞の金融機関における教育ローン制度もかなり普及してまいっているわけでございますけれども、しかしながら、このような一般の民間金融機関からの融通を困難とするような国民大衆と申しますか、そのような父兄に対しまして国においても何らかの制度を考えるべきではないかというふうに考えられるわけでございまして、そのような見地から進学時における父兄の負担を在学期間中にならして、均分化してその軽減を図るということの
○小渕委員 文部省に伺いますが、このような教育ローン制度というものについて、郵政省でもこれを行う、これから大蔵省でも国民金融公庫で貸し出しをやる、あるいは労働省でも考えておる、さらに一般の市中銀行その他でもこういった問題を非常に取り上げてきておるということですが、その発端になったのは郵政省のいわゆる小宮山構想じゃなかったかという気がするのです。
これはいまの時点でやっぱり何といいますか、新しい教育のいろいろ模索をやっていらっしゃるわけでありますが、明治以来百年の教育のあの先人の勇気と英断と、まあ何といいますか、それで義務教育に踏み切ったその原点に思いをはせて、ここでやっぱり新しい角度でその種の問題の解決をしていかなきゃならない、その中に一つとしてローンの制度があると思いますが、この教育ローン制度について大臣はどのようにお考えになっていらっしゃいますか
○長谷川信君 大蔵省、おいでになっていらっしゃると思いますが、大蔵省にちょっとお聞きをいたしますが、大蔵省は、この教育ローン制度というのはいわば何といいますか、大臣が本会議で構想というか、御発言があった、それから新聞にいろいろこう連日書かれておりますが、名前はともかくとして、ローンの制度について大蔵省はどのような考え方を持っていらっしゃいますか、まずお聞きをいたしておきます。
○中野(寛)委員 教育ローン制度がはびこる、これは民間でやることですからそれを禁止することはできないでしょうけれども、やはりそういうものが幅をきかすということは、一般の学生や父兄に対するPRというものが十分に行き届いていないということが一つの原因ではないか。大学ではPRするんではなくて、むしろ高校でPRしなければいけないのじゃないだろうか。