2020-10-30 第203回国会 参議院 本会議 第3号
四十人の子供たちそれぞれに十分な指導やケアができたかと日々悩みながら頑張っている教職員たちです。総理は、御自分の経験からして、公教育とは決して一斉に一律に効率的に行えるものではないということを御理解されているはずです。 そこで、質問五です。 総理は、日本の教育はどうあるべきだとお考えですか。
四十人の子供たちそれぞれに十分な指導やケアができたかと日々悩みながら頑張っている教職員たちです。総理は、御自分の経験からして、公教育とは決して一斉に一律に効率的に行えるものではないということを御理解されているはずです。 そこで、質問五です。 総理は、日本の教育はどうあるべきだとお考えですか。
例えば、これは神奈川県の高校の教職員たちが作った資料ですが、この高校の教職員たちの作った資料の竹島の記述は独島になっているわけですよ。つまり、北海道だけの話じゃないわけですね。 こういうおかしな偏向教育の犠牲に子供たちをするわけにはいかない、その思いでこれからもしっかりと指摘してまいりますので、私の質問は以上で終わらせていただきます。
しかし、全国の教職員たちは、文部科学省の考えを理解するよう努め、懸命に努力をしてきたわけです。今、ようやく総合的な学習も定着し掛けており、取組の成果が芽を出そうというこのときに、先祖返りとも言える方針転換は愚の骨頂であります。 今、全国の学校現場では大変な混乱が起こっています。
そういう意味では、こういう制度上の制約の中にあるこの義務教育の教職員たちの再任用というのを一体どう考えているのか。 まず、文部省が今回高齢者再任用制度を実施する場合に、どういう視点でどういう実態を把握して取り組もうとしているのか、御答弁いただきたいと思います。
そういう意味で、若干、学校現場で働く教職員たちの問題という形で少し文部省にお伺いしていきたいと思います。 実は、私が高等学校の教師になりましたのは昭和二十四年でございまして、そのときは新制高等学校発足後でございますが、教科書がなかった。化学の教師でありますから教科書がないと大変困るのでありますけれども、教科書がなかった。どうするんだと言ったら、自分でつくれと。
そのことが可能かどうかは別問題だと思いますけれども、むしろそういうふうにすることが、その学校の子供たちの幸せであり、教職員たちの幸せでもあるというふうにすら思うわけでございます。 そこで、そういうような役割りを持ってもらう養護教諭の資質の問題でございますけれども、現在は、先ほどお話がありましたように、養護教諭の歴史的な背景がありますから、いろいろな質の人が実際に仕事についておられると思います。
そして、このような法律がもし成立いたしますならば、大学の現状を改革しようとしているまじめな学生、まじめな教職員たちを萎縮させ、学外へ排除させられる結果をもたらすでありましょう。
こんな困難な条件の中で、東大当局と学生教職員たちは、これらの圧迫、干渉、妨害をはねのけて、民主的な討議を下から組織して、実に粘り強い努力を積み重ねて、確認書というものの調印をかちとったのです。このことが、非常に大きな、教育を新しくつくる原動力だと私は思う。ここに依存するかどうかということは、大学問題を解決する基本的な問題です。
全部はやれなかった、しかし私もおまえたちを愛する真心からこれだけのことはやったと、こうしたものが教職員たちにしみじみとわかりますように、そうしたものをぜひお願いを申し上げまして、質問を終わらせていただきたいと存じます。
そうしてこの人事院勧告の完全実施が行なわれないという時点におきまして、十月八日に、さらにはまたあすといったようにこの教職員たちがこうした問題を起こすことにつきましては、私としても耐えられない感じがするわけでございます。
ところが文部省のほうは、今回の場合では、一番関心の高い、また強く要望してきております教職員たちに対しては、しょっぱなから完全実施ということへの努力、そういう姿勢は何ら示すことなく、不当でも何でもないんだ、かまわぬのだ、こういう形式論理でいっておるわけです。だから私は先ほど文部大臣に完全実施へのその意欲というもの、そしてそれが根性を説く文部大臣の立場でどう貫かれたかを尋ねた。
そういう事態になる前に、もっと私はこれを発議した文部省と現場の教職員たちが作っておる組合の代表者と、法的にはどんな論議がされようとも、私はお互いに問題を論ずべきであったのではないか。それを拒否し続けて、法律的に云々と言って拒否し続けて、教職員組合は語るべき相手がない。文部大臣は発議しております、その文部大臣とこのことをめぐって論じ合う機会が一回も与えられない。
それには少なくも文部大臣がこの場合、地方の教育委員会が教職員たちといろいろ話し合って円満に事が遂行できるのであれば自主性は認める。文部省としてはこういう内容をやってほしいけれども、その内容と異なる問題があっても、この場合やむを得ないという腹をきめるべきではないか。文部大臣はどうなんですか。どんな混乱が起こってもやる、混乱を起こそうとするほうにやめてもらうのだ。
いますが、こういう日教組、総評の闘争にもかかわらず、国民の中にも、また先生方の中にも、この勤評という問題の本質がだんだんわかってきて、要するに理解者が出てきておると思うし、これの反対闘争に先生が実際授業を放棄して、そして闘争に参加するというふうなことも、漸次反省されてきておると、これは非常にけっこうなことだと思うのですが、そういう傾向があると見受けられておりますけれども、文部省として、そういう全国の教職員
日本の教職員たちは、或はそれに力をかし、或いはぼう然とそこに立ちすくみ、或いはそれを知らずに、相たずさえて日本の教育の危機をつくっているのである。」という言葉であります。五十余万の、全国で教育に携わつている人々に対する、これ以上悪意ある侮辱がまたとあるでありましようか。
日本の教職員たちは、或いはそれに力をかし、或いはぼう然とそこに立ちすくみ、或いはそれを知らずに、相たずさえて日本の教育の危機をつくっているのである。」ソ連や中共が教科書をもって日本の攻略を始めているのだ、それに対する教師の態度は三つに分れる。一つは、それに力をかしている。もう一つは、ぼう然とそこに立ちすくむだけである。第三の態度はそれを知らずに相携えて日本の教育の危機を作っているのだ。
五十万教職員たちは、この二法案の帰趨が如何になろうとも、勇気を持つて教育を正しく守り抜くことを私は強く期待いたします。真理を求める正しい理性と深い子弟愛に貫かれた教育の尊厳は何物にも、又どのような法にも侵されませんし、侵すことのできないものでございます。これはすでに長い歴史が明白に証明しておるところでございます。
一体あなたは教育に携つておる現在の教職員たちが願つておるほんとうの心からの願いは何だと質問すれば、私はわからない、どんなボロ校舎の中でも教育はできるという。しからば一体この教育の二法案を必要とする偏向教育の実例はどうかといえば、まことにずさんきわまりない二十四の例を出して、このような例証がある、ほんの一例ではあるが、それだからこれが必要であるというようなことをおつしやる。
幸いにして大臣は働く労働者として組合活動をやることは大いによろしいことであると、まことに切ないような肯定の御答弁をなさいましたが、今のわが日本の教職員たちがこうした当然の自分たちの権利、憲法に定められた、働く者に与えられたその権利をも放棄して、団結権までも放棄して、自分だけの立身出世主義のからに立てこもつて、そうした観点から教育を行うことになつたら、これこそ偏向教育であり、わが日本民族のために重大なる
私が頭の下るのは定時制教育の教職員たちでございます。これらの方々は赤旗を振つたり俸給を上げてくれというようなりくつを言う時間がないのでございます。先ほど申しましたように、ほとんど定員が少いのと乙号基準の六掛、七掛ぐらいの教員しか持つていないので、ほかのことをやつている余裕がない。中学校でこういう学校が多いのです。校長、副校長、主席、これだけの先生が遊んでいる。何ら教育はいたしません。
○渡部委員 大体この教職員の就職禁止というものは、軍国主義、超国家主義者に対する追放ということに関連しておつたわけでありますが、これはその教職員たちが、実際上日本の犯罪戦争の遂行に協力したという意味で、しかもこれは戦後日本の民衆が実現しようとして来た民主国家の発展のためには、ぜひとも必要なものとして、国民もこれに協力したわけであります。
○渡部委員 そうしますと、赤色パージというような形で、全国的に不当な浪放を受けた教授あるいは教職員たちが、今後は当局者の考えいかんによつて、自由に就職できるということなんですか。
併しこれは教職員たちのやはり相当な負担において保障されるのであつて、この法律の目的である教職員の福利厚生並びに学校の経営に必要な資金の貸付の均霑と並行して行うというような真実の意味の保障の線とは非常にズレて来ておる。こういうことがあるならばあるように、私たちにはもう少し腹を割つた説明をして下されば、私も何もこれを口外しようというような考えは毛頭ない。
その点に関連して、学校当局が、学校全体として私学の発展を推進されるという立場から言いますと、やはり学校の教職員間の意思の統一、あるいは意見の反映というものが、十分に考えられなければならぬわけですし、これが十分に行つてこそ、全学一致して、私学の発展のために、いろいろな困難を背負つても立つて行くという教職員たちの力強い精神力、また協力というものが生れて来ると思うのです。