2003-03-26 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第4号
○政府参考人(矢野重典君) 御指摘の点でございますけれども、これは平成十五年度から平成十九年度までの五年間に、すべての英語教員が教員自身の英語コミュニケーション能力を高め、そして実践的コミュニケーション能力の育成のための英語教授力の向上を図ることができるような、そういう研修を都道府県教育委員会において実施するための予算を計上いたしているところでございます。
○政府参考人(矢野重典君) 御指摘の点でございますけれども、これは平成十五年度から平成十九年度までの五年間に、すべての英語教員が教員自身の英語コミュニケーション能力を高め、そして実践的コミュニケーション能力の育成のための英語教授力の向上を図ることができるような、そういう研修を都道府県教育委員会において実施するための予算を計上いたしているところでございます。
○諸澤政府委員 義務教育教員の資質の向上ということでどういうことをねらうかというお話でございますが、一般的に申し上げれば、やはり教員も学問研究をしていただいて、その研究の過程で教育の内容なり方法というものについて十分その能力を高め、結果的に教授力を高めていただくということが資質向上ということだろうと思います。
教授力の問題から言いましても非常に困難な問題だと思いますが、しかし、それだからと言って、地方の大学には全然大学院を置かないかと申しますと、私はその場合には、せめて修士課程まではこの他の大学に置いてもいいじゃないか、しかし、博士課程になりますと、やはり相当集中的に、大学院を置くのを集中しまして、その大学の卒業生だけでなしに、すべての大学から受け入れて大学院の課程をやっていく、こういうような構想というものを
帯広の場合におきましても同様に、帯広畜産大学におきましては、その修士課程を置くに足るだけの学部の教授力が充実しておるという観点におきまして修士課程を認める、こういうことにいたしたわけでございます。
非常に抽象的なことを申し上げることになろうかと思うのでありますが、われわれとしましてはやはり子供の教育について、いわゆる豊富な教授力を持った教師がまずほしいわけであります。同時にただ知識、技術その他の点においてのみ豊富でありましても、教師と子供との関係というものはそれだけのものではない。
一方におきましては教授力の充実をはかっていくということ、一方におきましては教師の激減といも問題に対応して調整をはかっていく、こういう考え方でできておるわけであります。
日本の教育の将来のあり方について、きわめて真摯な御研究を続けられ、そうして御意見を御発表下さることは、私どもにとりましても非常に有益であり、参考になるわけですが、私どもも考えているのでありますが、先ほど来いろいろと御意見を承っておりますと、結局いろいろな制度的にも問題があるが、この法律を実施する上において、その効果を期待するためには、教職員の待遇の問題とか、それから設備、施設の改善充実とか、あるいは教授力
これはどうしても小規模学校ですと、教員 の配置も十分でございませんし、また教授力も低いということで、できるだけ私どもは統合していただきたいと思う。やはり一定の規模の学校になりますと、教育の面においても、教員の配置の面においても、あるいは学校経費 の面においても、少なくて効率が上がるわけであります。
○小林(行)政府委員 ただいまお尋ねのございました有名校に志願者が集中するのを防止する方法といたしましては、やはりその地方の新制大学の施設、設備を充実するということと、それから教授力の充実と申しますか、教官のりっぱな方に学科目の担当をしてもらう、教育をしてもらうということであろうと思います。
○政府委員(内藤誉三郎君) 岐阜県が定数をはみ出しておるかどうか私存じませんけれども、先ほど来申しますように、教員の身分を持っておる以上は、定数の範囲内、従って、専従が多ければ、それだけ現場の教授力が手薄になる、こういうことでございます。
従って教授力が低下する、こういうわけでございます。
さような場合における学校長を中心といたしましての教職員の教育活動におきましては、あらゆる面におきまして、日々、今日勤務評定のいろいろの項目があるようでございますけれども、その中には教師の指導力、あるいは責任感、あるいは教授力というような勤務実績というものは、やはり教師であれば教師の人格を通しまして、教師の性格なり、能力を通しまして、それらのものが表現されてくると思うのであります。
ほんとうに児童に対してどれだけの教授力を持っておるか、感化カを持っておるかというようなことは、その教員のほんとうの生活の中に飛び込んでいって、教員と同じ生活をするくらいの人間じゃないと、不可能なんです。ところが役場におってぶらぶらとして、あれは何だ。ときどき役場へ来た態度がいかぬからこうだ、——もちろん態度というところがあります。
またどれを持ってきても教材とするだけの先生の教授力がなければ、少くとも今の先生は教育者としての資格はありませんよ。そんな先生はおそらく私はないと思います。教師用書だけ見て教授をしておるというような先生はおそらくないと思います。緒方局長にこの点聞きたいと思います。
○稻田政府委員 私ただいまの御質疑を、学部という意味を、いわゆる用意すべき教授力とか学校の施設という意味で了解いたしたのであります。そうなれば夜間は昼間の施設に相当依存いたしておりますから、昼は昼、夜は夜、それぞれ認可を受けて作らなければならない。今御指摘の第五十六条から見ましても、一応夜間を作るためには特別の認可を受けて作るのだ、こういうように申したのであります。
御承知のように去る年大学設置審議会におきましては、各大学ごとにその大学の教授力なり施設をできるだけ活用する意味において、理想的なあるべき姿はどうであるかということを描いて示されたのであります。
○稻田政府委員 法律またはそれに基きます規則には、もちろん直接抵触しないのでございますけれども、それぞれの大学を設立いたしますときには、教授力、施設設備、その他を見まして認可をいたしております。その認可を、いたしました状態と著しく違う状況において学校が運営されることになりますので、そうなりますと、やはりそうした計画の変更をまた大学設置審議会と御相談をして実現をしなければならないと思います。
これは正規の学生として入学せしめるのではなくて、それぞれの教育機関において定員の余裕があり、教授力あるいは設備の余裕ある場合に限って、当該大学が特別の計らいをもって聴講生その他の扱いと同様な扱いにおいて講義を聞かせる、こういう計らいでございます。
私のおやじはあそこの学校を卒業した、だからむすこもそこへ行きたいということで、私ども考えると、決して内容がいい、先生の教授力がいいというのではないけれども、昔の伝統でいくようなふうになっております。であるから、こういう伝統というものは何ともしようがないのですが、やはり各学校々々にそれぞれの長所もあるということも一つのいいことではないか、こう考えておるわけでございます。
この一年という短かい期間になるべく語学の内容を多分に習得したいという意欲が学生にあるわけでありますが、現在教授力が少いために毎週六時間ないし八時間くらいの授業しかできない。そこで先生等の定員を増しますればもっと短期に内容の充実した教育ができる。
現在別科というものがあるわけでありますけれども、非常にまだ不十分な状態でありますので、教授力なり設備を増強し、学生経費を増加することによって別科そのものの内容を充実する。あえて新しい施設は考えないとしても、その方法によってある意味において勤労青年の勉学意欲を満たすことができはしないかということを研究いたしておるわけであります。
ただこれは今施設も教授力も非常に乏しい状態でございますので、勤労青少年が現実に夜間において語学を勉強するために夜間別科を利用するという問題も相当あるようでございますから、この夜間別科について教授力なり設備なりを充実することも一つの問題解決の方法ではないかというような点で、目下研究いたしておるような次第でございます。
従いまして学部の教授一人に対して二人を指導するというような基準で計画いたしておりまするが、学部の教授力を四年間に全国の大学院について四百人の教授、助教授を増したという計画を立てまして、本年三年であります。初年百人、次年七十九人、本年九十五人というふうに増してきております。 それから研究費につきましては、講座研究費を他の大学の研究費の約二倍に立てて参っております。
また一番大事な教授力の充実につきましては、やはり御審議いただいておりまする予算におきまして相当不完全講座の充実を企図いたしておりまするが、これら教授力、設備施設等につきましては、この上とも充実をはかって参りたいと思います。