1987-08-25 第109回国会 参議院 文教委員会 第2号
しかし、一般的に言いまして、諸外国と比較した場合に、私は日本の教師諸君ぐらい子供と一緒に生活をする、そういうことが長い我が国の歴史の中で続けられてきており、なおかつこの問題に懸命に取り組んでいる、こういうことは、私は諸外国に比べて本当に希有なことではないかという気がするわけであります。
しかし、一般的に言いまして、諸外国と比較した場合に、私は日本の教師諸君ぐらい子供と一緒に生活をする、そういうことが長い我が国の歴史の中で続けられてきており、なおかつこの問題に懸命に取り組んでいる、こういうことは、私は諸外国に比べて本当に希有なことではないかという気がするわけであります。
どうしたらいいでしょうか、進学指導を何とかしていただきたい、入学試験準備のために何とかひとつ先生も御努力していただきたいというような声が大きく集ってくるのじゃないかと思っておるわけでございますけれども、そういう点につきまして、日教組の委員長といたしまして教師諸君に対してその面についてどのようなことを指導上お考えになっておられるであろうか。
そして営々として日夜努力しておる教師諸君に対する最大の侮べつ、教育に対する冒涜でなくて何でありましょう。月日のたつごとに日本の教育現場が混乱しているというのであれば、それを余すところなくただいまここでその全部を発表していただきたい。私が最も憂慮することは、文部大臣や文部省がこうした予断と偏見を持って、これを前提として文教政策を進めてきているということです。まさにここに日本の教育の悲劇があるのです。
「これから行われる全国の教師諸君の、激しい討論の材料とするために、いまこれが起草されるる間に論議されたものを中心にして、きわめて簡単な解説をほどこそうと思うが、その解説をも含めて、全国各地の各学校で真剣な討議が開始されることをのぞんでやまない。」こう書いてあるのです。村議の資料なんですよ。討議の資料でしょう。(「解説といっているじゃないか」と呼ぶ者あり)どこでいっていますか。
私はそのような姿を見まして、このような教師諸君が、ほんとうに日本の次代をになう青少年の教育を行なう資格があるのかということについて、憤激の念にたえなかった次第であります。福岡県の先生方にとどまらず、今日の日教組の実態というものを考えてみまするに、選挙や政治に血道を上げておりまして本来の職責を忘れておる姿が、あまりにも目に余るものがあるわけであります。
私は、何も学習指導要領に法的拘束力はないですから、これはひとつ現場の教師諸君の弾力的な運用にまかせてけっこうですとおっしゃるなら、またこれもこれで考えようがあります。しかし、学習指導要領に、法的な拘束力があるということを強調しておられる立場からいうならば、私はそういう答弁は許されないと思うんです。この点文部大臣いかがでしょうか。
先ほど小林君は、私が教師を特に責めたと、かように言われますが、特に、教師諸君は、あすの日本をになう青少年の育成という、きわめて大事な仕事、その分野を担当しているのでありますから、私が教師に対して期待するのは、これは当然ではないでしょうか。その点をどうか御了承いただきたいと思います。
いずれにいたしましても、このような問題になりますと、政府が画一的に何かのものを押しつけるというふうなことでなく、政府としましても、法の趣旨のあるところは十分その徹底につとめなければなりませんけれども、やはり教師諸君にその気になって勉強してもらうということがなければ、何をやりましたところで効果はあがらないものでございますから、こういう問題について教師相互間におきましても、また、研修等の機会におきまして
○灘尾国務大臣 多くの教師諸君が、この問題についてそれほど無理解だとか考えがないとか、そういうふうにも私は思いませんけれども、しかし、いろいろな方がおられるわけでございますから、いろいろな考え方もございましょう。そういう意味におきまして、必ずしもはっきりしないものがあるということを否定するわけにもまいらぬと思います。
○灘尾国務大臣 お互いがということは、主として教師諸君の間でいろいろと御勉強を願いたいということが主たるものでございます。
よくわかっておりますが、文部省としましては、あのようなものの考え方の教師諸君では困るのであります。したがって、教師諸君が教師らしく正しい姿において教育をすることを望んでいる、そういう意味において文部行政は進められている、このようにお考え願いたいと思うのであります。
どこが悪い、どこが気にくわない、いまの教育がそのためにどういうように質的に低下している、教育上に一体どんな支障をきたしている、戦後、学芸学部で養成された教師諸君が、一体、日本の将来に心配をかけるような状況にある理由をここに全部あげてもらって、だから、この点こうしなければならぬ、学問的にたいへんとにかくぐあいが悪い、何がぐあいが悪いか言ってもらいたいです。
戦後の学芸学部というものから出た教師諸君が、将来の日本を展望して、一体日本の教育にどんなマイナスを及ぼすかというような議論をどうしてやったのか、そういうあれをひとつ聞かしてもらいたい。 なお、出すのなら、資料として、そういう速記録は全部出してもらいたい。
○小林武君 そういう答弁をいただくというと、どうしてもまた続けてやらなけりゃならぬことになるわけでありますけれども、そうするとあれですか、この文章を見て、ああこれは文部省の見解だな、初中局の見解だな、特に地方公務員であるところの教師諸君に関係の深いものである、こういうふうに理解するということは想像できませんか。これは文部省の初中局の見解だ、そういうふうに理解してはいけないのですか。
私は、総理に質問をいたします最初に申し上げましたように、本土側からの国会議員としては初めてであると思いますが、本島の北部にあります安波、あるいは楚州、安田という、ほんとうの僻地の学校にもまいりまして、その実態も見てまいり、現場の教師諸君の悩みも聞いてまいったのであります。
将来ますますそうありたいものだと念願しておりますが、これらの地方の教師諸君を指導する立場にあられる方々が、私はよほど反省もし、考えていただきませんと、せっかく協力したいと思いましても、協力のしようがないということにもなるわけでありますから、われわれ自身の至らざるところはもとより反省し、改善をするにやぶさかではございませんけれども、いまの有力なる教職員組合の指導者の諸君におかれましても、この点については
そういうふうな点につきましては、学校の教師諸君の、やはり子供を育てるという気持ちにおいて考え直してもらいたい点も多々あると思うのであります。その点も私ども努力しなけりゃいけませんし、しかしそれだけにとどまらず、幾多の原因がありますために、それらについて、国民全体がやはり協力して、そういうふうなものを除いていくということに真剣にならなければならない、こういうふうに考えております。
そして、その文部省から道徳教育の資料なんかが出てくるということは、はなはだ迷惑しごくだと全国の教師諸君が考えると思うが、そのことはさておいて、一体あなたは、どうですか、第一に当時の大牟田市の一体小学校、中学校の児童、生徒というようなものがレクリエーションに明け暮れたというようなことは、これはあなた少し、私は見てないからわからないけれども、事実を誇張しているんじゃありませんか。
そう信じ切って一応作っておる、それを全国大会で一再ならず再確認しておるという性格を持った幹部の人たちに会って、そのことについて討論してみても意味をなさない、事柄それ自体の客観的な誤りを指摘するということによって、組合員たる教師、もしくは組合員でない教師諸君にそのことを知ってもらう。
また非常にふやす計画で進んでおるということがございますし、それから、これは中学でございますが、教科課程が変えられまして、今度の教科課目は、私が拝見いたしましたところによると、非常に適切に配分されておるように思われますが、要は人員並びに質、これがそろいませんと、せっかくいい教科課程を作られても、これを教師諸君がよく理解し、これを納得して、そうしてほんとうによく教えてくれなければ意味のないことになると思
今小学校、中学校、それから現在高等学校へ奉職している教師諸君が何と言いますか。われわれにああいうことを要求しておりながら、今度はこういうことになってきておる。このことの教育に対するマイナス面を考えるべきじゃないかと同僚委員からも、これは何回も警告しておりましたが、私もそれを聞いて肯定しておったのですが、これは撤回して、この五条の三号を使ったらどうですか。そうなれば免許法が生きますよ。
それは何といっても現場の教師諸君の働きに待たざるを得ないことと思います。
これではどうにもならぬではないかと痛感いたしますが、日教組と大論争なさるほどのエネルギーをむしろそちらの方にお向けになったならば、禅で言う大死一番で、案外局面が展開するのではないかということを、私は痛感いたしますが、特に大学教授、科学者、それから大学職員、その他一般の高等学校、小学校の教師諸君の待遇も含めて、大臣はこの辺が適当とお考えでしょうか。
御同慶の至りでございますけれども、私は文部行政の仕事というものは、たとえば明治初年でいえば森有礼とか、また文部大臣の適任者はどういう人かと問われるならば、保守政党であっても合理主義的に社会の進歩に貢献した政治家は多いのでございますから、たとえば後藤新平伯とか尾崎咢堂翁とか、またば政治家でありませんけれども福沢諭吉氏であるとか、そういう方であるならば、私はおのずから風格がにじみ出て、そうして学生諸君も教師諸君
○帆足分科員 私は、今日学校の教師諸君の待遇が悪いことは、歴代の文部大臣にやはり責任があると思います。それを実現するだけの熱意と認識と迫力が足らなかったと言われても返す言葉がない。というのは、少しばかり低い程度ではない。全く言語道断です。