運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
25件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2021-03-16 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第3号

日本学術振興会特別研究員東京大学先端科学技術センター所属中村雅也さんは、著書の「障害教師論の中で、私は、障害教員当事者団体である全国視覚障害教師の会、ノーマライゼーション・教育ネットワーク日本教職員組合障害のある教職員ネットワークなどの集会において、障害教員学級担任を希望しても実現されないという当事者の訴えを度々耳にしてきた、他方、障害教員への配慮として担任を免除しているという教育委員会

舩後靖彦

2007-06-14 第166回国会 参議院 文教科学委員会 第19号

教師論というような言葉を生意気にも書かせていただきましたが、先生人間をつくる仕事。私も教育委員のお仕事をいただいて、どういうふうにこの任を果たしていくかというような中で、古い本でございますが、森信三先生がお書きになった、昭和十二年から十三年、師範学校での講義録を拝読させていただきました。  やっぱり、人間をつくる仕事ということですので、教師がまず人間力教師力を培わなきゃいけない。

今田忠彦

2006-06-08 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第12号

最後に、私は教師論を申し上げたいと思うんです。  私は教師論を考えるときに、またこれも私の気持ちの中に、ぐさっと刺さっているように大きく響いている言葉があります。  それはソクラテス言葉でありますが、ソクラテスは、教育は拒否に始まると言っております。あなたはもう勉強する必要ありませんよ、私のところなんか来なくていいですよと言って一遍断る。

保利耕輔

2004-03-30 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第6号

教育論から考えて、教師論から考えて私は必ずしもその論は成り立たないと思う。やはりそこには財政的な自らの責任を伴う任命権が生ずることによって初めてその一つの基礎的自治体は自らの地域における教育の様々なアイデンティティーや新しいクリエーティビティーに富んだ政策を出してこれるんだろう。そこから教育委員会活性化といったようなものも私は十分考えられるのではないだろうかと。  

若月秀夫

1998-05-27 第142回国会 衆議院 文教委員会 第14号

かつての教育原理、従来の、教育の本質と目標、教育の社会的行政的な事項そのものが、広義の教職ガイダンスの役割を担っていたものと考えられ、その中には、必ず、教師論、教職論教職専門職論教職への勧めを含んできたものと考えております。今日、あらためてそれのみを二単位三十時相当講じることの意義を明確に提示することは難しいように思います。  

中野光

1998-05-27 第142回国会 衆議院 文教委員会 第14号

まず答申では、教師論など、教職への志向一体感形成に関する科目必修科目として新設することが提言されております。教職に対する情熱というものは、志願者本人志向や性格によるところが大きいわけでありますが、採用後の教員生活には、学生のそれまでの児童生徒としての立場から想像することを超えたさまざまな職務の実態があるわけでございます。

杉田豊

1998-04-16 第142回国会 参議院 文教・科学委員会 第15号

今回教職に関する科目がふえるので非常に偏った教師の卵が育つんじゃないかという御指摘でございますが、例えば新しい科目として教職概説でありますとか、教師論でありますとか、教師使命でありますとか、教職への志向一体感形成に関する科目、こういうようなものを新たに設けてはどうかとか、あるいは総合演習という新しい科目をつくりまして、そこではむしろ幅広く、例えば少子・高齢化問題に関する演習をやり、それと実際の

町村信孝

1978-05-11 第84回国会 参議院 文教委員会 第11号

そういうようなことから論じていきますと、それをあえて承知の上でやられたというならば、いわゆるそれは教師論に返りますけれども、教師というものの像を一体大臣初め文部省はどう考えているのだろうか、またそう疑いたくなる。先ほど大臣はりっぱな教師像のことについて教員に期待するところのものを言われた。

宮之原貞光

1978-03-23 第84回国会 参議院 文教委員会 第3号

NHKなんかも毎年毎年、もう四月になりますとすぐ婦人教師論などを出しまして、お母さんを大ぜい集めまして、いや当たったの当たらないのなんて、そういうことをやっておられますけれども、私はそういうことに対して本当にもう何か胸が痛むというんですか、怒りを持ちたいというふうに思っているんです。けれども、事実そういうことはあるんだろう。そういう言葉が当然出ているということも、私自身も耳にしています。

粕谷照美

1976-10-20 第78回国会 衆議院 文教委員会 第3号

受田委員 私、時間が進んでおりますので、縮めまして、いまの具体的な教師論にちょっと触れていきたいのです。  文部省が提案されて、いま一般職の職員の給与に関する法律の継続審議改正案の中に、伏線としての主任手当というものが出ておるわけです。私、戦前戦後を通じて六年間学校長経験をしております。一般教師経験もしておる。主任ということも経験した。

受田新吉

1976-10-14 第78回国会 参議院 文教委員会 第2号

次に、私は特殊な問題についてひとつお尋ねをしたいのでありますが、先ほど教師論というような立場でいろいろお話がございましたが、私はその教師論という立場に立ってみましても、また私学の経営という教育的な経営という立場に立ってみましても、はなはだ問題が多いと思われます鹿児島の国分市にあります坂元学園の問題について、監督官庁である文部省の考え方をお聞きしておきたいと思うのであります。

久保亘

1975-12-09 第76回国会 参議院 文教委員会 第2号

だから、そういう教師論というものを、これをもう一回私は再認識する必要があるんじゃないか。第三の立場、これは教育者家庭人でありますから、家に帰ったときは妻に対しては主人であり、親に対しては子であり、子に対して親である。宗教を語り、いろいろ友情を温める、そういう個人的な生活があり得る。

有田一寿

1975-06-26 第75回国会 参議院 文教委員会 第17号

そういう点から考えますと、教師論の問題は、政党間のやりとりとかいうことではなくて、教師自身がまあ私自身日本教師の一人でございますが、教師自身がいまやらなければならないことは一体何なのか。わけても、やれることは何なのかということを真剣に問い詰めていかなければならない時期にきているというぐあいに考えております。

大槻健

1974-05-22 第72回国会 衆議院 文教委員会 第29号

総理大臣のことについては、教師論その他も最近出されていますから、それはいま委員長のほうで総理大臣をこの文教委員会の席上に出ていただく御努力がなされておるそうですから、そのことは総理大臣に聞くべきことでありますが、ただ私は、この田中総理が、知恵太り、徳やせと、こう言っておりますので、私は、必ずしもいま知恵太りの状態ではない、知恵は必ずしも正確に、しかも基礎学力がつけられるような状態にない面がたくさんあるということを

山原健二郎

  • 1
  • 2