2015-05-27 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第12号
天笠先生からも御指摘いただきましたとおり、基本的には、子供たちの生きる力を醸成するというその一点のみをもって小中一貫教育の取り組みを私どもは進めてきたわけでありますが、結果としては、小学校の教員の小学校の教員だけが持っている独特の文化、そして、中学校の教員の中学校の教員のみが持ち得る独特の文化というものが現実的には存在している中で、小中一貫教育を進めていく中で、この両者の文化が明らかに異なっている教師群
天笠先生からも御指摘いただきましたとおり、基本的には、子供たちの生きる力を醸成するというその一点のみをもって小中一貫教育の取り組みを私どもは進めてきたわけでありますが、結果としては、小学校の教員の小学校の教員だけが持っている独特の文化、そして、中学校の教員の中学校の教員のみが持ち得る独特の文化というものが現実的には存在している中で、小中一貫教育を進めていく中で、この両者の文化が明らかに異なっている教師群
この人たちは脂の乗り切った超ベテランの教師群でございます。しかもこの結果、職場の年齢構成が大変アンバランスになりまして、学校によっては一般教員の平均年齢が二十七歳というところまで出ているわけであります。学校には若い教師も、そして熟練教師も必要とするのではないのでしょうか。若年で退職いたしますと、年金受給まで七年から八年くらいはだれが生活の保障をしてくれるのか。
そういうことから考えても、画一的なこの初任研をすることによって本当に枠にはめられた教師群ができてしまって、これでは子供の個性が豊かに伸びるなんということはとても考えられないわけですね。そういう意味で、この初任研制度というのは非常に問題があると私は指摘をしたいと思います。
私は私なりに、教育とは、社会と学校、家庭と学校、校長やそして教師群、そしてまた教師と児童、生徒との魂の触れ合いの場であるというふうに実は思っているわけであります。しかしいま審議官が答弁されたように、果たして主任制度の採用が調和のとれた教育の場と言いますか、教育環境を保障していくでしょうか。私は大変疑問に思っております。
○小川(省)委員 勤評以来の教育の管理面の強化の中で、校長の大部分というのは教育者という立場よりも学校の施設整備や教師群に対するところの管理的な部面のみが強まってまいりまして、ときどき教育委員会の代弁者的な立場になってしまったのではないかというふうに思われてなりません。
紹介しますと、第一の質問は、「八鹿高校教師群に対して、どのような措置をとるのか。」つまり殴られて、暴行されて傷を負わされた教師群に対してどういう措置をとるのか、これが第一の質問であります。それに対する県教育長の回答は、「八鹿高校の教師群に対しては、」中をちょっと省略しますが、「継続的な指導説得をとおして、教職員の体質改善を図っていきます。
読み上げますと、「解放研生徒の願いを拒否しつづけた教師群の行為にみられる差別性や、校内における差別的言辞の事実など、同校の教育が差別教育であったところに、この事態の原因があると考えます。」、こういうふうに明記されておるわけなんです。