2015-06-11 第189回国会 参議院 文教科学委員会 第13号
それから、五番、六番は子供同士の学び合い、教師同士の学び合いの問題であります。 子供が、小学生、中学生、行き来しながら相互に学び合うとか、あるいは小学生のうちに中学に行って中学生の姿を見る、また、中学生が小学校に出かけて、学習や時に部活などの面の指導を行うということが子供たちの成長に大いに役立つ面があります。 もう一つは、教師の学び合いであります。
それから、五番、六番は子供同士の学び合い、教師同士の学び合いの問題であります。 子供が、小学生、中学生、行き来しながら相互に学び合うとか、あるいは小学生のうちに中学に行って中学生の姿を見る、また、中学生が小学校に出かけて、学習や時に部活などの面の指導を行うということが子供たちの成長に大いに役立つ面があります。 もう一つは、教師の学び合いであります。
完璧になるまで一人の教師が全部やり切るような形で、教師同士の連携という形ではなく、一人で全部やり切る仕組みになっていたりというような、そういった教育の仕組みが、恐らく子供にもそういったメッセージになっているのではないかなというところで、教育とも連動して、時間をかけて勉強することが大事なのではなく、効率よく学び、アウトプットをしていくことが大事なんだというような、教育とも連動して変わっていかなければ、
また、お互いに、教師同士が一緒に共同研究や授業研究を行うことによって、教師力もアップするということにつながってくるというふうに思います。 ただ、今後、三点目、四点目は削除いたします。
○亀田参考人 先ほど申し上げましたように、学校にとっては信頼関係、そしてそれは、子ども同士、教師と子ども、教師同士の信頼関係があって初めて、学校というのは成り立つものだと考えております。
リフレッシュ、日々のリフレッシュ、そして若い教師から年配の教師が学び、年配の教師から若い教師が学ぶという、そういう教師同士の学び合いということが私の実感でございます。
しかし、教師自身の中にも、社会的にも、その教師たちは、自分たちの苦しみや、時には、例えば本当に荒れている子供がいたら、この子が休んでくれたらうんと楽になるのになとか、そういうふうに思うことだってあるわけですね、そういう教師の、子供に向かって、今の社会状況の中で仕事を続けていくための、例えば自分の内面の揺れ動きとか、傷つきとか、くたびれとか、そういうものを出し合って、教師同士がお互いに理解し支え合うというか
そして、同僚の教師同士の関係がきついわけですから、教師同士の関係を相談し合える関係に一歩でも変えていく以外に事態の打開の道はないわけです。要するに、教師たちが、子供理解を深める論議を重ねながら、教師同士の関係を支え合う関係に変えていく以外に解決の糸口は見出せないということを示していると思います。
そして、これは固定しているわけではありませんから、そういう意味で、ある意味で教師同士が次は自分がなるかもしれないという状況にもあるわけですし、いろいろなそういう仕組みの中でうまくいっている学校は、ほとんどがこの仕組みが非常にポジティブに働いています。 まず一つには、若手を育成する、リーダーシップを発揮できるような若手教師を育成するという役割を果たしております。
これは、学校教育というものは、競争によって、子供同士の競争、教師同士の競争、そして学校同士の競争、地域の競争によって向上するものではないと考えています。私たちは、子供が学ぶ喜び、これが学校教育にとっては一番大事なことなんだと、その顔を見たいんだということです。そのためには、教師が喜ぶ、教師もやはり学ぶ、教えることに喜びを感じなければならない。
もっと学校裁量を大事にして、自由にして、そして教師同士の切磋琢磨をさせていく、これが正しいやり方じゃないか。上を見て教育をしたら子供が見えなくなっちゃう、これが一番怖いことであって、さっき最後の結びに言ったのが、押しつける教育ではいけない。 評価にしても、外部評価を持ち込むということは非常に難しいと思います。
○都築委員 その教師同士のつながりの問題などについては、もう少し後でまたお伺いをしたいと思います。 今、欧米並み二十五人とか、そういったお話が出てまいりました。私は、欧米並みで本当にいいのかというのもまた一つ問題があると。資料などを拝見いたしますと、先ほども出ておりましたが、確かに、アメリカ・カリフォルニア州の例とか、イギリス、フランス、ドイツの例、こういったものがございます。
学級崩壊というのは、結果ではそういうことですけれども、そこにはやはり粗末さといいますか、ミスマッチもあってそういう事態になってしまうわけですから、私はそういうことについては、昔の教師のようにおおらかにいられない状況がありますから、しっかりと勉強しなきゃならぬと思いますし、教師同士がやはり力を合わせるような、教員同士の力のつながりというものをつくっていく、あるいはつくっていける、そういう学校にしなきゃならぬ
ここにはその教育活動についての評価を書いて、それが専門家としての教師同士の指導の資料になるわけですし、また将来的にはその子供の学習についての公的な原簿になるわけですね。ここには、この国旗・国歌に対する教育指導の評価というのは書くのか書かないのか、どうなんでしょうか。大臣、簡単にお願いします。
教師同士の支援関係、子供同士の助け合いの関係が希薄になっている。三番目は、個人差を考慮する。それから、子供同士の助け合うファシリテーターを育成するといったようなことが重要になってまいります。 家庭教育としては、やはり子供をモニターして、今だれとどこにいるかを親が知りていること。ささいな問題は無視して、重大な問題はきちっとしつける一貫性のある子育てをする。
そして、これは現場へおろした方がいいとか、これはどうだということをやっぱり、目安箱とかあるいは子供のアンケートとか、あるいは教師同士でもいいんですが、ぜひとも。
○沢藤委員 時間が非常に少のうございますので、幾つかの項目については要望、指摘ということで申し上げたいのですが、学校における教師同士の、教師集団と申しますか、その話し合い、つまり今の職員会議はいろんな事項の伝達とかあるいは生徒に対する指導、処分ということが主体になっておりまして、一つのテーマあるいは今のような問題について徹底して同じ学校の先生方が話し合うという機会がすごく少ないという指摘を私は受けているわけです
大学教育がすぐ悪者にされて私はちょっと困るのですが、時には、大学では産業動物獣医学の教育を軽視しているのではないか、こういうお話がございますけれども、これはよく教師同士で話しますが、これはどう見ても違う、実際には半分以上は大動物の講義をしております。現場も見せております。
○石井道子君 次に、平成二年度の洋上研修のことについてお伺いをしたいと思いますが、この制度はいろいろ実績を積まれているのでございますが、この体験というものは、やはり教師としての知見を広めて、使命感を養ったり、あるいは教師同士の相互扶助の精神とか連帯感を培うという点については、非常に教師の資質の向上に役立つものであると思います。
大学において身につけますものというのは、それはしっかりやっていくにこしたことはないのでございますけれども、時間的な制約がございますし、またいろんな幅を身につけるにしましても制約がございますのですが、それから後の、教師同士がいろいろ切磋琢磨し合って身につけていく、このことが現場にとりましては非常に大事な課題であると考えております。
学校管理につきましては、例えば教育委員会の学校に対する指導性、そして校長先生の資質とリーダーシップ、そして校長と職員との関係、とりわけ職員会議の位置づけについてややもすると大変な覚書があったりいたしますが、そういうことの実態、そして教師間の協力、とりわけ問題が起こりましたところを調べますと、出てくるのは親の問題と教師同士の協力、これがないということでありをする。
これは優勝劣敗では決してなくて、子供同士、教師同士、お互いに助け合って、励まし合って、能力を引き出し合う、つまり成長し合うという意味での競争だというふうに考えるのですが、大臣、その点はどのようにお考えでしょうか。
もう一つは、そのお互いのよさを教師同士の中で子供の前で光らせるようになっているかどうか、とりわけ校長先生がそういうような雰囲気をつくっているかどうか、そういう校長をバックアップしているかどうかというのはかなり大事です。ただ、現状から言いますと、四十代が少ないというのが率直な現状だと思います。地域によって格差があります。