1980-03-25 第91回国会 参議院 文教委員会 第4号
この試みは教育行政の民主化のアクセサリー的存在となっている教育委員の選任に、民意を反映させることで教委制度に活を入れようとするところの住民運動の実りだと、われわれは教委制度が名目的になり、教育の中央支配が進められてきておる反省から、いま一度教育委員会のあり方を見直そうとする住民運動を見習うべきだと書いている。 十二月六日の東京新聞は、「教育委員公選への試行」と、こういう見出しです。
この試みは教育行政の民主化のアクセサリー的存在となっている教育委員の選任に、民意を反映させることで教委制度に活を入れようとするところの住民運動の実りだと、われわれは教委制度が名目的になり、教育の中央支配が進められてきておる反省から、いま一度教育委員会のあり方を見直そうとする住民運動を見習うべきだと書いている。 十二月六日の東京新聞は、「教育委員公選への試行」と、こういう見出しです。
たとえば九月十七日、坂田文相が沖繩に来て、教委制度は七二年復帰時点までに公選制は廃して、本土同様任命する、こういう言明をされたときの現地の反対の声ですね。
(拍手) さらに、さきの教委法改正が委員会の審議を中途で打ち切られまして、中間報告という、類例のない強行手段によって本院の通過をはかり、今回の教科書法も審議を尽すことを忘れて、いたずらに採決に専念したことは、現行の地教委制度が、昭和二十七年、政府の一年延期の提案に与党の一部が反対し、いいとも悪いとも国会が意思表示をしないままに、いわゆる審議未了によって生まれた経過とあわせて見て現政府の教育行政は国民
それはただいま京都新聞の点をちょっと触れたわけですが、四月二十一日の毎日新聞の土曜評論、教委制度の改正、阿部真之助、これが出されています。
しかもそれは皆の、国民の意思によって、地域住民の意思によって選ばれたものであるということ、だからこれがあって初めて日本の教育は、いわゆるいろいろな自治体の下であるとか、あるいは国家権力の下であるとかいうようなものでなしに、純粋に国民の意思によって、国民のものとしての教育として発展すべき素地がここにできたわけだと考えるので、私は先ほども公述のときに述べました通り、教委制度というものは、今のような現行制度
「教育の自由性を危ぶむ」朝日新聞三十一年三月十四日の社説、「教委制度の公選を続けよ」毎日新聞三十一年一月十二日の社説、「教育の中立性をめぐる論争」毎日新聞三十一年三月二十一日社説、「民主教育を守れ」読売新聞三十一年三月二十一日社説、「教委制度の改革は慎重に」大分合同新聞三十一年一月十四日の社説、「教育行政の民主化を守れ」河北新聞三十一年一月十八日社説、「教育制度の改革は慎重に」河北新聞三十一年一月十八日社説
しかし、それは政府が提案したとか、あるいは趣旨が通らぬというようなことで審議未了の形になって、できたのが現在の地教委制度でございます。これに対しまして、教壇に立っておる第一線の教師はどんな考えを持ってきたか、まことに納得しない制度が生まれて私たちはそれによって支配されるのだ、果して教育をもって日本の再建の基盤とするという大きなる国家の方針がこうしたわけのわからないものでもって出ていいかどうか。
その他地教委制度のもたらす障害といたしましては、地教委や教育長がボス的人物である場合には、いたずらに教師の監督的立場を強化いたしまして、へき地の教育は大きくボスによって左右せられるような危険性が都会より一そうひどいといわねばなりません。
もちろんそういつたことは全般とは申しませんけれども、総体的にいいまして、このことは今日の地教委制度とかつての視学制度とを考えてみますると、いわゆる非常に強大な権限を教職員の最も近い立場に置かしますると、その点が一面においてはそういう人たちのボス化のために圧迫を受け、同時にそのことが教員をして非常に卑屈な立場をとらしめ、そうでなければ自分の地位というものが安定して行かないというふうなことで、非常に学校