2016-04-27 第190回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
ただ、最近はなかなか教員、大学を出てすぐ通るところもありますし、通らないところもあります。何年も臨時をやりながらようやく教員になれた、そのときはもう二十代の半ばを過ぎている。その後にあちこちに異動するとなると、結婚して、出産をして、子育てをするといったときに、例えば、保育所の問題が最近いろいろ議論されていますけれども、どこの保育所に入れていいのかがわからない。
ただ、最近はなかなか教員、大学を出てすぐ通るところもありますし、通らないところもあります。何年も臨時をやりながらようやく教員になれた、そのときはもう二十代の半ばを過ぎている。その後にあちこちに異動するとなると、結婚して、出産をして、子育てをするといったときに、例えば、保育所の問題が最近いろいろ議論されていますけれども、どこの保育所に入れていいのかがわからない。
イギリスの経済誌エコノミストも、新基地建設問題を取り上げた記事の中で、極端な過激派はほとんどおらず、市民の中には元公務員や教員、大学教員らの姿もあると伝えています。 沖縄では、キャンプ・シュワブゲート前での抗議集会はごく普通の光景であります。現地での集会もこれまでに何度も開かれてきました。 そもそも、集会、結社の自由、表現の自由は憲法に保障された国民の権利であります。
その中で教職系といいますか教育系の大学に対する運営費交付金は更なるカットをされておりますから、そこはきちっと、まず運営費交付金を絶対カットしない、我々はやっぱり少しでもきちっと増やしていきたいと思っておりますし、今までカットされ過ぎてきた教員大学に対する運営費交付金をやっぱり元の水準に戻すということをした上で、そして現有の教育学部の教員をきちっと教職大学養成のコースにシフトをしていく、あるいはそこに
また、委員の構成でございますが、法律におきましては、地域住民、保護者についてはこれは必ず委員として含んでいただくということで法律上も明記をしたわけでございますが、それ以外には校長や教員、大学教授等教育行政や学校教育に識見を有する有識者あるいは社会教育関係者などが委員として考えられるところでございます。 こういった学校運営協議会の委員の人数や構成、どうするかと。
私たちは、いろんな場面において、国民の皆さんに国政に関心を払っていただけるような努力をしなければならない立場にある者でありますが、同時に、学校の教員、大学の教授、それぞれの方々におかれましても、それぞれの生徒あるいは研究者を教育する立場におられる、あられる方々でありますから、分かりやすい言葉で、それから、今私たちが生活の中に存在する理科、数学がどういうふうに絡まってくるのか、こういったところを細かく
いじめや青少年犯罪、学級崩壊や問題教員、大学教育の現状や成人式の混乱など、本当にこの国はこのままで大丈夫なのか、率直にそのような危機感を覚えます。しかし、我が国の二十一世紀を担うのは、青少年、子供たちであります。子供は国の宝なのです。
学問をする者の共同体といたしまして、構成員であるところの大学の教員、大学教授たちは、学問と大学という組織の二つにいわば帰属感といいますか、忠誠心を持って生活をしてきた存在であります。ある学問領域を専門にしている、そしてある大学に所属をしているということでございます。 この大学というのは長い間孤独と自由ということをモットーにしてまいりました。
したがって、私どもの大学、新構想の教員大学をつくります場合にも、文部省の方で条件が整い次第、順次その国立大学、他の学部にも修士課程を置くんだという趣旨の話があったわけです。したがって、現在は条件が整い次第、それぞれの大学学部で修士課程をつくっているわけです。
○粕谷照美君 新規学卒者ということになりますと、短大を卒業して採用試験に受かりまして任用された者、学部を卒業して任用された者、大学院を卒業して任用された者、さらに新構想の教員大学の大学院を卒業して任用された者、みんな同じ研修を受けるわけでありますね。
また、現職の先生に教員大学の大学院に行ってみずからの指導力を高めていただくとか、あるいは現場の先生に何千人ということで海外に研修旅行に出ていただく、そういったことなんかも、全部児童生徒にいい教育をしていただくための制度ですから、私たちはこういったことはどんどん充実していきたいとも思ってきょうまでやってまいりました。
○粕谷照美君 新構想の教員大学法案が提案されましたときも、たしかあのときは教員という大学はないということで本参議院においてずいぶん討論がなされ、あのときは公明党さんからの修正提案がなされまして教育大学というふうになったということを覚えておりますけれども、名称についてこの国会の審議というのは非常に重要に考えてよろしいかどうか。
新構想の大学、教員大学の問題でも、全国にブロックにつくるんだと言ったけども、結局三つしかできなかったと。しかしあとは……、いやもうこれで終わりです。そこに何か政策そのもののやっぱり見通しがない一という中での私は一つの文教政策の失敗だと思うんですが、これとても、第一期計画はやってみたけれどもと。そこで解決できない問題がいっぱいできたと。
○本岡昭次君 そこで、そうすると、少ない多いは別にしまして、この新構想教員大学ができるときの一つの問題は、既設の教育系の大学の大学院へ現職の教員が派遣される場合と新構想の方へ行く場合、これが差異はない、同じ扱いをするんだということが約束されているわけです。これは文部省も約束をしていますね。
こういう形で新しい教員大学が次々に厳しい制限を設けていくのであれば、これは大変問題が多いというふうに思うわけでございます。 その点で、あくまでも学問の自由、大学の自治を侵さないものであるべきだという点について、もう一度お考えを伺います。
現職のままで二年離れるわけでございますから、それは教員大学の大学院でありましょうと、一般の大学でありましょうと、あるいは外国留学でありましょうと、やはり所属の任命権者に対してお断りをして試験を受けるというのが、これはどの社会でも当然の筋道であるというふうに思います。
あわせて、既存する教員大学におきます大学院の整備も行っていくということは、先ほど来御答弁も申し上げておるわけでございまして、今後、それらについても計画の整ったものから順次整備充実を図っていくという考えでございます。
私、先ほど議事録を見ておりましたら、鹿屋の教員大学の問題が出ていました。ちょうど一昨年のことで、そのときにはまだ体育大学という名前じゃなくて、兵庫・上越・鹿屋という同じ教員大学としてここで論議しているわけです。それが途中で体育大学に変わるわけですね。
これら審議会を通じて文部省は対応してきたわけですが、文部省の最後の大学院構想、新しい大学・大学院構想が提出された四十九年に、その後を追いかけるようにして国大協の方は、教員大学・学部における大学院の問題を昭和四十九年の十一月にまとめ上げました。
○有島委員 こういったことを承りたいと思いますのは、この前の教員大学ないしは教育大学の論争の前後あたりから、現職教員の研修というようなことについて非常にその重要性が認められた。これは四十七年の例の教養審の答申、報告というようなことが積み重なってきたわけでございますけれども、ワンステップとして新しい構想のこうした教員養成の大学というものができ初めた。
○宮地政府委員 御案内のとおり鹿屋の体育大学の創設に至るまでには、ただいま御議論もいただいております鳴門教育大学を含めまして、当初は新構想の教員大学・大学院の設置に関する調査というような形で発足をしたわけでございます。
○柏原ヤス君 私、この放送大学の問題と一緒に教育大学——最初教員大学という名前で出てきましたけれども、あの教育大学ができますときには、この教育大学というのはいい大学だと、大変いいお話をさんざん聞かされた。
しかし、これは申し上げるまでもないことなんですけれども、先生方の質の向上、これがやはり最後の決め手になると、最も重要な問題だと私は思っておりますが、この点について教員養成制度の抜本的な改善、特に教員大学——教育大学という名前で発足しておりますけれども、そうした部分的な問題じゃなくて、教員養成制度の抜本的な改善、これを今後文部省としては図るお考えがおありなのかどうか、お聞きしておきたいと思います。
これは先ほど御指摘がありましたような点を考えて研修の機会をふやしていく、あるいはもっと言いますれば教員の養成をいたしますやり方そのものにもう少し改善を加えていく、すでに出発をいたしておりますいろんな教員大学のあり方を拡充していくというような問題を含めまして努力をしていかなければならないと考えておるところであります。
これは、収入はそのままもらって、生活もできるわ授業料も払えるわでしょう、国立のいまの教員大学の場合。私立の場合も助成やっておるでしょう。漸進的に拡大されているでしょう。漸進的に助成が拡大しているということは、漸進的に授業料は安くなって無償の方向にいっているんですよ。どう思う。