2000-05-18 第147回国会 参議院 労働・社会政策委員会 第13号
このグローバル化時代の敗残者にならないためにも、大胆な企業管理システムの改革や株式の世界公開、そしてまた世界企業との提携等に踏み切ることが要請されていると伺っております。こうした日本企業が置かれた現状を見るときに、三年前から行われてきました企業組織の再編成における一連の諸改革もやむを得なかったかという感がいたしております。
このグローバル化時代の敗残者にならないためにも、大胆な企業管理システムの改革や株式の世界公開、そしてまた世界企業との提携等に踏み切ることが要請されていると伺っております。こうした日本企業が置かれた現状を見るときに、三年前から行われてきました企業組織の再編成における一連の諸改革もやむを得なかったかという感がいたしております。
やめるときのチャンスに勇気づけてやっぱりこういう方向に転換した方がいいよと言ってやりますと、同じやめていくにしても敗残者としてじゃなくて転向という自信を持って方向転換だ、勇気ある次の道だということで元気づけてやらせているというのが現状です。 次に、意見の食い違いがあるんではなかろうかとおっしゃいました。
これは全部住宅ローンその他から来る支払い不能に陥った善良な敗残者ですよ。そういう者がいま底辺に非常に広がっている。私の理解でも、銀行の一般大衆の預金率は大体八一%を超えている。しかし、実際貸し出し状況を見まするとわずか二〇%ちょっとですね。
石炭離職者あたりをはじめとしまして、郵便の職場にも中高年齢の人たちが初めて入ってくるという道が開け、その人数もあるいはこれから労働力の需給関係からますます多くならざるを得ないんではないかと思いますけれども、その人たちが入りやすいような方法、内容は十分な選考をしなければならないが、いわば社会の敗残者、この人たちを救うということなら別ですけれども、敗残者がそのまま一番入りやすいというような形でもっていいかどうかということは
いわゆる世の敗残者になる。でありますから、帰国をさせることには至らないような対策を十分とっていただきたい。それが農業移住の場合における最大の目的でなければならぬと思うのでございますから、それらの点については、全員帰国を申請いたしますというような陳情が外務大臣及びわれわれのところに来ておるということは、非常に遺憾なことでありますので、積極的に対処していただきたいと思うのです。
由来わが国では、社会福祉関係の仕事となりますと、施設も貧しく、その関係の従業員の給与は薄く、そして弱肉強食は世のならいであって、その自由競争の敗残者に対して恵みをたれるという封建観念が強かったのでございます。
そうすると、局長で一等級へ残っておるのは非常に粗末、と言っては失礼でございますが、気の毒な敗残者であって、指定職にならなければもう局長としてはだめなんだということになる。重要なる局長のポストじゃないですよ。重要なる局長なら、指定職の数は甲にしても乙にしても少なくなればいけぬ。
○吉田(賢)委員 やはりその実態を正確に把握するということは、別の角度から見まして、社会保障ないしはスラム街あるいはそういう人生の敗残者の吹きだまりの諸般の問題を解決する上におきまして、厚生省の重大な仕事になるのじゃないかと私は思うのです。
つまり行きつくところは人生の敗残者的な意識が次第に濃厚になってまいりまして、とうとう人間性というものが逐次そこなわれていく。
アフターケアに集中するとすると、いままでのおざなりな職業訓練や、職安機関を通じてただあっせんして出してやるという程度では心配だから、いまのようにして特別の島なり場所なり、まあ場所よりは島のほうがいいでしょうから、そういうところに行ってなおしたほかにちゃんと技能もつけて帰れるようにして、それ以外の方法だってあるわけですから、最悪の場合その辺まで考えてやって、日本にはそういう敗残者がいない、こういうようなところまで
そういうふうに悪の道へ落ちた人、これはあえて言うと社会的な敗残者なんです。かわいそうな人だ。このかわいそうな人を最もいい人に仕上げてやったならば、国としてもいいわけです。まさに池田さんの言う人づくりになるでしょう。こういうような人を、シンガポールあたりでやっているそうですが、解毒島というのですか、そういう島へ収容して、そこで社会復帰させるまでの間に完全な技能をつけて出す。
国民医療というものが、官僚に統制された公的医療のみが行なわれて、いわゆる自由開業、自由診療というものが逐次圧迫されて、社会の敗残者となって落ちていくのではないかという根底にある疑念が摩擦となって、表面、結果に現われてくるのではないか。
これはまことに遺憾千万なことでありまして、三十二年の九月以降多額の国費を使い、かつまた移民諸君には全財産を処分して自営農業を夢みたが、その夢が破れて悲惨な敗残者のような立場でお帰りになった。
一方はみじめな敗残者になっている、しかもこれは政策のお陰だ、こういうことになるわけです。そうなるならば関税もかけようじゃないか、消費税もかけようじゃないかというお気持があるなら、そうなっているのだから関税もかけましょう、消費税もかけましょう、それでも出てくる失業者に対しては一つこうしましょう、という御相談があるなら私もその相談に乗りましょう、そうすべきじゃないですか、こう言っているわけですよ。
その二代目くらいはいいが、三代目くらいになると敗残者になって、ボーダーライン層になって、次に新しいのが出てくるという、こういう人的な循環が肉体的に行われているのかもしれません。しかしこれは文化の面からいっても人物経済の面からいっても、これはきわめて不経済、不合理なことだと思うのです。そこでいなかから僕らが出てきて痛切にこの東京の空気の悪さを感ずるのです。
社会の落後者であり、敗残者なんであります。この人たちをただ処罰の対象にして、刑罰をもってこれに臨むというだけでは問題は解決をいたさないと私は考える。むしろまことにお気の毒なる人々であり、これらに対しましてはほんとうの愛をもってこれを保護し擁護する、そういう態度が一番必要なんじゃないか。
その最大の問題は、何といつても医療の社会的な使命、それを達成する見地から、十分國立病院の社会性を確保したいということで、國立病院にやつかいにならなければならないところの、ある意味における社会の敗残者に対する思いやりから出発しているものと、敬服しているのでありますが、直接的には苅田委員も指摘せられておつたように、この特別会計の設定を契機として、國立病院の從業員に対する行政整理の問題が、当然取上げられて
今の世は、時代に便乘したいわゆるやみ成金という人と、時代の敗残者である人との、その差が最もはなはだしいということは、申すまでもないのであります。
(「そうだ」と呼ぶ者あり)引揚者というものは敗残者ではないということであります。(「乞食じやないぞ」と呼ぶ者あり)引揚者というものは、戰爭の犠牲者であつても、断じて敗残者ではない。敗残者とは日本の軍國主義者であるということであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)引揚者に対するところの対策は、この基点より出発しなければならないと思うのであります。(拍手)