1952-05-21 第13回国会 衆議院 大蔵委員会 第72号
○池田国務大臣 敗戰当時から一、二年間の事情はよく存じませんが、先般アメリカより七百万ドル、六トン程度の外貨を渡すからというので、事情を調べてみましたところ、アメリカ軍の接收したものを日本へ返す、こういうことであります、従いましていろいろな事情を調べてみておるのでありますが、とにかくアメリカが終戰当時並びにその後そう長い期間じやないと思うのでありますが、接收した事跡がありますので、一応これを被接收者
○池田国務大臣 敗戰当時から一、二年間の事情はよく存じませんが、先般アメリカより七百万ドル、六トン程度の外貨を渡すからというので、事情を調べてみましたところ、アメリカ軍の接收したものを日本へ返す、こういうことであります、従いましていろいろな事情を調べてみておるのでありますが、とにかくアメリカが終戰当時並びにその後そう長い期間じやないと思うのでありますが、接收した事跡がありますので、一応これを被接收者
それで現にこの場合に射殺された人が拳銃をどうして手に入れたかと言いますと、この拳銃は敗戰当時に恐らく軍から流れ出た拳銃であつたろうというふうに推察されるのでありますが、その他の場合には、警察官の拳銃が失なわれて、そういう人々の手に入るということもあります。それでこの射殺ざれた人もいずれも前科があるというけれども、大した前科ではないのです。
一九四九年四月八日 六、六一三、六〇九人 一九四九年九月一日 六、六一五、〇八三人 と変更しており、これは引揚 完了の地域(中国、台湾、香港、北鮮、蘭印、比島、琉球、東南アジア)から引揚げて来たから基本数を増加したものである B 終戰前後の戰死者並びに在外部隊配備変更に関する資料の不祥 一 九四九年四月五日衆議院在外同胞引揚問題特別委員会で復員局高山復員課長は敗戰当時
(拍手)敗戰当時とは異なりまして、鉄道構内における暴行も少くなり、荷物の盗難も減つているのに、何の必要があつて鉄道公安職員に銃火器を持たすか、はなはだこれはふかしぎであります。
しかしながらこの三十数万の数字、これが行方不明になるということは、われわれがあの敗戰当時めちやくちやな中において、こうして日本に帰つて来た。その過程をいろいろ考えてみると、当然のことであると思います。しかもそのことに関しましては、日本の政府がやはり責任を持つて、終戰以来のあらゆる事実をはつきりさせたならば、この三十数万の行方不明の人数は明確になるだろう。こう考えております。
それから今の人口問題でありますが、敗戰当時農村は非常に都会から疎開をされておりまして、農村人日はふえておつたのでありますが、漸次都会の秩序の回復と相まつて、しかも受入れ態勢ができまして、疎開の方は大体元の都市に帰られまして、一応農村人口はおちついたと思うのであります。農林統計にどれだけふえておりますか、こまかく私は記憶いたしておりませんが、しかし自然増加率は農村は多いのであります。
そこで大体二十万トン程度の油としまして、物が確保できますれば、まず需給というものはよほど緩和し、むしろ配給統制の撤廃を考えてもよい段階ではないかというような考え方を持つているのでありまして、これはわれわれが敗戰当時に、総司令部に油脂の懇請をいたしました政府の資料からも、その当時は十九万トンくらいは輸入していただきたいという懇請を出しております。
君は敗戰当時の、終戰当時の満洲國内における同胞の悲惨な状況だとか、ソ連に入つてからの捕虜の状況がどうだとか非常に泣き事を言うが、我々に取つて、日本の敗北というものは大いに祝賀すべきことなのである。何故ならば、今まで米英、その他の相手國の向けていた武器を、國内の階級的なところに向けることができる。敗戰というこの情勢を活用して、一挙に革命を遂行することができる。
これを敗戰当時の金額にいたしまして——今日その数字を持つて参りませんでしたが、明細な資料ができておりますので、さつそく資料を増し刷りいたしまして、委員長を通じて差上げたいと思いますが、内務省令に基いて集積したことが何回もございますが、その各段階について総計いくらというものができ上つております。
これは日本人同士ということにつきまして、私たちが敗戰当時において愛琿事件というのがあります。これは仲田という少佐か中佐でありますが、それが戰爭が始まり、それからロシアの戰車が入つて來る、それに対して、特攻隊が行つて肉彈特攻撃をやる、そうして帰つて來る。そうすると貴様はなんだ、命が惜しいのか、命が惜しければ俺が殺してやると言つて帰つて來る人を銃殺している。
先程からいろいろと賛成論者又はその反対の方の御意見を伺つておりますと、今はこの姦通罪というものは非常に尚早であつて、まだその廃止までは現在は行つておらんという御意見が沢山ありましたが、日本が敗けて以來早や二年も経ち、それで社会の混乱は、敗戰当時と外見は、少しずつ原色におけるところの裝飾などによつて変化しておるものの、内実において少しも変らないところの結果になつておりますが、時期の尚早などという意見は