2014-02-26 第186回国会 参議院 憲法審査会 第1号
日本と同様に第二次大戦の敗戦国、ドイツも、憲法の改正には両院の三分の二以上の賛成が必要ですが、戦後、既に五十九回も憲法を改正しています。 それでは、なぜ日本では戦後一度も憲法が改正されなかったのでしょうか。それは、そのときの与党だけではなく、野党も含めて、少なくとも主要政党間の広範なコンセンサスが成立しなかったからです。
日本と同様に第二次大戦の敗戦国、ドイツも、憲法の改正には両院の三分の二以上の賛成が必要ですが、戦後、既に五十九回も憲法を改正しています。 それでは、なぜ日本では戦後一度も憲法が改正されなかったのでしょうか。それは、そのときの与党だけではなく、野党も含めて、少なくとも主要政党間の広範なコンセンサスが成立しなかったからです。
実は、総司令部は、敗戦国ドイツの公務員に対しましても同じことを要求したのであります。しかし、ドイツは、官僚に政治活動の自由を保障することはドイツ官僚制の伝統であるとして、この要求を拒否しようとしたのでありますが、敗戦国ドイツはこれを正面から拒否する力はなかったのであります。
あのときに敗戦国ドイツに多額の賠償を科すことによってドイツの戦後の経済がめちゃめちゃになり、超インフレになり、そしてナチの台頭を招いたということがあるのではないかと思いますけれども、その反省に立って、今度は第二次大戦後の敗戦国に対してはかなり寛大に取り扱ったんではないかと思います。
諸外国ではどうなっているかということも私たちは検証しなければいけないというふうに思うんですが、その場合、特に同じ敗戦国ドイツではどうなのか、国旗・国歌をめぐって、日本とドイツの違いはどの辺にあるのか、その点もぜひ伺いたいというふうに思います。山住公述人にお願いいたします。
これは、ソビエトが崩壊したということと、敗戦国ドイツが非常に我慢して、突出しないように、しないようにしてフランスとの融和を基軸にしてあれをつくり上げてきたわけです。ところが、アジアじゃそれはできないですね、今おっしゃったような観点から。
敗戦国ドイツも含めて、ワイマールも一つの例ですけれども、むしろ戦争という力による正義の実現という手段は間違っていた。したがって、これから国際問題の解決のためには新しい発想で平和の貢献ということを通してどうするかということが課題になる。これが日本国憲法に結実をして今日があるわけであります。
ただし、この敵国条項は我が国ばかりでございませんで、旧敗戦国、ドイツ等もそうでございますが、これはいわば死文化しておりまして、これが存置されることは私どもとしては好ましいことではございませんから、きっぱりとこれの廃止を要求しております、すべきものだと存じますけれども、実際の運用上は死文化しております。 これが死文化しでなかったら大変です。
その結果、敗戦国ドイツはこのベルサイユ講和条約の結論に承服せず、再び力によって自己の主張を貫徹するため第二次世界大戦を起こしたわけであります。
政治の面におきましては、民主主義の擁護の宣言、これは、ちょうどノルマンジーの四十年記念式典が盛大に行われておりまして、その明くる日に実はサミットが開始されたものでありまして、当時の敗戦国ドイツあるいは日本、イタリーもそれに参加した。
大体、敗戦国、ドイツ、日本、これがマスコミの最も自由な国だといわれております。最も制限を受けるのがイデオロギーの強い国だと、かように表現されております。だから、まあ共産主義の国ではそれは統制されておる、かように理解しております。
敗戦国ドイツが直面した苦難は、同じ敗戦国日本の経験したそれ以上のものがあったかと思います。国家が分断され、ベルリンに厚い壁が今日なおきびしく立ちはだかって、自由な交通が許されない。ドイツを取り巻く西欧諸国が、戦後引き続きヒットラーの思い出とともに、この国を憎み、警戒し、欧州の中で村八分的な存在であったことは御承知のとおりでございます。
したがって、諸君はその先輩の死をむだにすることなく、この敗戦国ドイツではあるが、一枚のかわら、一片の木片にすがってもドイツを復興させようではないか、と書いてある。学校の門のところにこのような碑を建てて、それを登校、下校するときにながめてきたドイツの青少年は、国こそ敗戦後に二つに分けられても心は一つだという気持ちで、敗戦後のドイツの国を築いてきたじゃないですか。
同じ敗戦国ドイツと比較してごらんなさい。西ドイツはこの数年間に、貿易の振興、産業の合理化においてすばらしい成績を挙げております。日本では、朝鮮事変が休戦となわ、特需によるドル収入の途が断たれるや、政府は、その好むと好まざるとにかかわらず、MSAに頼つてその経済破局を切抜けざるを得なくなつたのであります。
そして、御自分もまた東洋におけるアデナウアーになりたいことを希望されたということを新聞で伺いましたが、その御意思まことにけつこうと存じますが、願わくは、敗戦国ドイツのアデナウアー首相がドイツの国の内外におきましていかなる政策をとつておるかをまずお学び願いたいのであります。
私はこの夏ヨーロツパにありまして、同じ敗戦国ドイツの青年たちが、自信に満ち、民族的誇りを持つて、働き又学んでいる姿を見ました。それは、その政治指導者たちが国民的自負心と信念を以て、真実を国民に語り、対外問題を処理し、経済復興に努めておると共に、国民生活の経済的社会的保障制度を確立しているからであります。衣食足つて礼節を知るということは、何も唯物論の公式ではありません。
また敗戦国ドイツもわが国より進んだ軍人恩給制度が行われておるのであります。西ドイツにおける旧職業軍人の法律関係を定める基本法は、一九四九年五月八日の連邦共和国基本法によりまして、復活することを定められておるのであります。