1958-04-01 第28回国会 衆議院 運輸委員会 第17号
救命浮器は救命艇と同じ状況でございます。救命胴衣は浮揚時は相当数船内に残っておりました。救命具はいずれもほとんど使用されていない状況でございました。 以上のような状況でございまして、南海丸は三月二十三日午後に七重丸に曳航されまして、明石海峡を経由、広島の尾道の日立造船向島工場に向ったわけであります。以上報告を終ります。
救命浮器は救命艇と同じ状況でございます。救命胴衣は浮揚時は相当数船内に残っておりました。救命具はいずれもほとんど使用されていない状況でございました。 以上のような状況でございまして、南海丸は三月二十三日午後に七重丸に曳航されまして、明石海峡を経由、広島の尾道の日立造船向島工場に向ったわけであります。以上報告を終ります。
実は現行の法規では短艇、伝馬、救命浮器、救命浮環、救命胴衣、こういったものを全部合せまして定員数だけを持てばいいというのが、現在の規定でございます。それでその中でなお救命胴衣は、少くとも全定員の三〇%持てというのが現在の法規でございます。
紫雲丸は直ちに緊急信号を吹鳴、全員に救命胴衣の着装及び退船、あわせて第三宇高丸への移乗の手配をし、救命艇及び救命浮器の降下作業中、急激に左舷に横転し、沈没したのでありますが、衝突から沈没までにはわずか数分の時間を経過したにすぎなかったのであります。沈没位置は女木島三角点(二百十七メートルの山頂)より二百四十五度、距離一・三海里の地点であります。