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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2002-10-21 第155回国会 衆議院 本会議 第2号

去る十五日、五名の拉致被害者方々故国日本に迎えることができました。私は、心より歓迎申し上げるとともに、二十数年の歳月の間、被害者、御家族方々が味わってこられた苦しみ、悲しみを思うとき、胸の引き裂かれる思いであります。  今般の一時帰国は、総理も述べられたように、問題解決の第一歩にすぎません。

太田昭宏

1989-05-23 第114回国会 衆議院 本会議 第13号

平和で豊かな故国日本の再建を目指し、先生の情熱は、「まず雪国地帯を貧困から解放し、豊かな農村を築こう」という信念に昇華し、健康が回復するや、縁戚に当たる渡辺良夫代議士の知遇を得て、昭和二十七年、積雪寒冷地帯知事会の結成に奔走、みずからその事務局長に就任され、実践を基本とする政治への道に飛び込まれたのであります。

上坂昇

1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

さらにまた、肉親の見つからない孤児故国日本への受け入れであるとか、あるいは養父母に対する措置であるとか、いろいろな問題、これまでも徐々に解決してきておりますが、今後とも解決していかなければならぬ問題がございますので、これは改善を進めていきたい。いずれにしても、日中両国間で密接な連絡をとりながら、この解決のために努力を重ねてまいりたい、こういうふうに思います。

安倍晋太郎

1983-03-03 第98回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

これに対しては、やはりわれわれとしては、中国養父母、さらにこれに対していろいろと配慮をしていただきました政府並びに関係者に対して心から感謝を申し上げておるわけでありますが、その孤児たちが長ずるに及んで、故国日本に帰りたい、こういう気持ちを持ちまして、その切々たる要望というものに対して日本としてもこれにこたえていかなければならぬ、こういう観点から、中国残留孤児日本に迎えて、いわゆる両親捜しということについて

安倍晋太郎

1976-10-14 第78回国会 参議院 文教委員会 第2号

それで私の両わきへ座って雑談をしていたときに、私は、あなた方二十年、三十年もたったら故国日本へ帰りたいと思いませんか、とこう聞いたところが、初めはなるほど帰って非常にうれしかった、ところが、最近ではだんだん日本へ帰るのがいやになりましたと、こう言われたから、それはどういうことですか、と聞いたところが、まあ親は粗末にする、国旗は粗末にする、隣近所は冷たくなる、おまけに国鉄はストをやる、先生方までストをやる

高橋誉冨

1957-10-21 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第17号

そういう問題になると、今言ったように向うでは当然今回の戦犯の引き揚げに大きい船が配船されて里帰りの人も帰してもらえるのだ——私が向うに行って聞いたところによりますと、向うに帰化したいと希望しても、帰化すればなかなか故国日本に帰れないようになるだろう、それでは不便になるだろう、だからしばらく日僑としておったらいいじゃないか、こういう扱い方中国扱い方、こういうことをお聞きしました。

西村力弥

1955-06-14 第22回国会 衆議院 運輸委員会観光に関する小委員会 第2号

こういうところは日本の総領事館なり、あるいは有力な日本人なりに十分御連絡をとっていただければ、一年に一ぺんくらい、五十人や百人くらいの団体が故国日本の観光にやってきて、久しぶりに故郷に帰って親戚と久しぶりに対面するといったようなことで、それはかなり生活に余裕があるのですから——日本人のふところから外貨を取り上げるということはおもしろくないと言えばそれまでですが、そういう点からでも開拓を始めれば、アメリカ

青野武一

1955-05-12 第22回国会 参議院 社会労働委員会 第5号

こういった生きているというよりも、暗黒の中にうごめいているといったほうが適当な、動物的な存在に、故国日本からの家族からのたより、小包くらい、励ましかつ人間らしい気持にさせることはありません。最初通信は去年の六月ころ初めて許可されました。夢のような話に、だれもが最初は半信半疑で、中には一笑に付してたよりを書かなかった同胞諸氏もありましたが、その後数カ月をして返信をもらうことができたのであります。

藤田了俊

1954-12-06 第20回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

受田委員 十年近くもあちらにおいでになられて、しかも帰国の自由を得られなかつたということに対しては、これはほんとうに御同情申し上げ、またそうした原因の解決努力の足りなかつたわれわれの責任も痛感しておるわけですけれども、この期間中故国日本におきましては皆様の安否を非常に心配しておつたわけです。

受田新吉

1954-03-29 第19回国会 衆議院 本会議 第29号

私は、今後日本国政府として、過去の経緯にかんがみて、今回AFP通信が伝えるこの討伐命令が事実とするならば、政府はいかなる方途を講じてこの残留日本軍人の生命を守らんとするか、できれば平和裏故国日本へ帰つていただくためのあらゆる努力を講じていただきたいと思うのであるが、政府はいかなる方策を持つておられるかをお伺いしたいのであります。

受田新吉

1953-08-04 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号

幾らでも病人の人々を保護する道はあるのですから、この点、常識として、故国日本を踏めば横浜ということになる。この間比島から帰られた方も横浜に上られたのですから、同じ取扱いをされて、故国の土を踏ましめ、なつかしき肉親にお会いさせるという措置をおとりになることに、どうして逡巡しておられるのですか。

受田新吉

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