2009-06-18 第171回国会 参議院 外交防衛委員会 第20号
引き続き過酷な任務は続くと思いますが、どうか立派に任務を遂行され、無事に故国日本へ戻られることを願っております。 現場では、エスコートを受けたすべての船舶から感謝の意が寄せられております。しかし、現在の海上警備行動下では、その護衛対象船舶は日本関連船舶に限定されております。
引き続き過酷な任務は続くと思いますが、どうか立派に任務を遂行され、無事に故国日本へ戻られることを願っております。 現場では、エスコートを受けたすべての船舶から感謝の意が寄せられております。しかし、現在の海上警備行動下では、その護衛対象船舶は日本関連船舶に限定されております。
今後、政府といたしましても、無念の気持ちで倒れられた、そして、今なお海、山に眠っておられる遺骨収集に対しては、一日も早く故国日本に帰れるよう努力していかなきゃならないと思っております。
去る十五日、五名の拉致被害者の方々を故国日本に迎えることができました。私は、心より歓迎申し上げるとともに、二十数年の歳月の間、被害者、御家族の方々が味わってこられた苦しみ、悲しみを思うとき、胸の引き裂かれる思いであります。 今般の一時帰国は、総理も述べられたように、問題解決の第一歩にすぎません。
平和で豊かな故国日本の再建を目指し、先生の情熱は、「まず雪国地帯を貧困から解放し、豊かな農村を築こう」という信念に昇華し、健康が回復するや、縁戚に当たる渡辺良夫代議士の知遇を得て、昭和二十七年、積雪寒冷地帯知事会の結成に奔走、みずからその事務局長に就任され、実践を基本とする政治への道に飛び込まれたのであります。
さらにまた、肉親の見つからない孤児の故国日本への受け入れであるとか、あるいは養父母に対する措置であるとか、いろいろな問題、これまでも徐々に解決してきておりますが、今後とも解決していかなければならぬ問題がございますので、これは改善を進めていきたい。いずれにしても、日中両国間で密接な連絡をとりながら、この解決のために努力を重ねてまいりたい、こういうふうに思います。
これに対しては、やはりわれわれとしては、中国の養父母、さらにこれに対していろいろと配慮をしていただきました政府並びに関係者に対して心から感謝を申し上げておるわけでありますが、その孤児たちが長ずるに及んで、故国日本に帰りたい、こういう気持ちを持ちまして、その切々たる要望というものに対して日本としてもこれにこたえていかなければならぬ、こういう観点から、中国の残留孤児を日本に迎えて、いわゆる両親捜しということについて
それで私の両わきへ座って雑談をしていたときに、私は、あなた方二十年、三十年もたったら故国日本へ帰りたいと思いませんか、とこう聞いたところが、初めはなるほど帰って非常にうれしかった、ところが、最近ではだんだん日本へ帰るのがいやになりましたと、こう言われたから、それはどういうことですか、と聞いたところが、まあ親は粗末にする、国旗は粗末にする、隣近所は冷たくなる、おまけに国鉄はストをやる、先生方までストをやる
釜山に連行されて以来ともに同じかまの飯を食べ、苦労をともにしてきました年長の船長をあとに残し、たもとを分ちお別れする私たちの気持は、言葉に表わせない断腸の思いでお別れして、十八日故国日本に帰って参りました、正門前で私たちを送る二十二名の姿はいまだに脳裏を離れません。
そういう問題になると、今言ったように向うでは当然今回の戦犯の引き揚げに大きい船が配船されて里帰りの人も帰してもらえるのだ——私が向うに行って聞いたところによりますと、向うに帰化したいと希望しても、帰化すればなかなか故国日本に帰れないようになるだろう、それでは不便になるだろう、だからしばらく日僑としておったらいいじゃないか、こういう扱い方が中国の扱い方、こういうことをお聞きしました。
こういうところは日本の総領事館なり、あるいは有力な日本人なりに十分御連絡をとっていただければ、一年に一ぺんくらい、五十人や百人くらいの団体が故国日本の観光にやってきて、久しぶりに故郷に帰って親戚と久しぶりに対面するといったようなことで、それはかなり生活に余裕があるのですから——日本人のふところから外貨を取り上げるということはおもしろくないと言えばそれまでですが、そういう点からでも開拓を始めれば、アメリカ
こういった生きているというよりも、暗黒の中にうごめいているといったほうが適当な、動物的な存在に、故国日本からの家族からのたより、小包くらい、励ましかつ人間らしい気持にさせることはありません。最初の通信は去年の六月ころ初めて許可されました。夢のような話に、だれもが最初は半信半疑で、中には一笑に付してたよりを書かなかった同胞諸氏もありましたが、その後数カ月をして返信をもらうことができたのであります。
○受田委員 十年近くもあちらにおいでになられて、しかも帰国の自由を得られなかつたということに対しては、これはほんとうに御同情申し上げ、またそうした原因の解決に努力の足りなかつたわれわれの責任も痛感しておるわけですけれども、この期間中故国日本におきましては皆様の安否を非常に心配しておつたわけです。
故国日本の様子はさつぱりわからぬままで十年近くあちらにおいでになられたことになりますか。
私は、今後日本国政府として、過去の経緯にかんがみて、今回AFP通信が伝えるこの討伐命令が事実とするならば、政府はいかなる方途を講じてこの残留元日本軍人の生命を守らんとするか、できれば平和裏に故国日本へ帰つていただくためのあらゆる努力を講じていただきたいと思うのであるが、政府はいかなる方策を持つておられるかをお伺いしたいのであります。
幾らでも病人の人々を保護する道はあるのですから、この点、常識として、故国日本を踏めば横浜ということになる。この間比島から帰られた方も横浜に上られたのですから、同じ取扱いをされて、故国の土を踏ましめ、なつかしき肉親にお会いさせるという措置をおとりになることに、どうして逡巡しておられるのですか。