1974-02-19 第72回国会 衆議院 本会議 第13号
県会議員時代を含め、荒舩君の三十数年に及ぶ政治遍歴はまさに波乱万丈であり、かくかくたる功績もあれば、これまた幾つかの失敗もあるのであります。 その一つは、昭和四十六年十一月二十六日、衆議院本会議において行なわれた荒舩副議長不信任決議案の上程もその一つであります。沖繩国会において、議運理事会を無視し、職権をもって本会議を強行し、理事会無視の悪例を残した行為によって不信任を受けたのであります。
県会議員時代を含め、荒舩君の三十数年に及ぶ政治遍歴はまさに波乱万丈であり、かくかくたる功績もあれば、これまた幾つかの失敗もあるのであります。 その一つは、昭和四十六年十一月二十六日、衆議院本会議において行なわれた荒舩副議長不信任決議案の上程もその一つであります。沖繩国会において、議運理事会を無視し、職権をもって本会議を強行し、理事会無視の悪例を残した行為によって不信任を受けたのであります。
(拍手) 三木武夫君の政治遍歴の中で最も大きく指摘されなければならないことは、昨年七月、自民党総裁選挙に際しての彼のとった態度であるといわれておるのであります。御承知のように、昨年の自民党総裁選挙は、寛容と忍耐を旗じるしとする池田か、憲法改正こそわが政治の基本路線であるという佐藤か、二者択一の選挙でありました。
鳩山首相は、緒方君の先ほど指摘したことくに、自由党より分れ、自由党に帰り、また自由党を出て民主党を作られるまでの目まぐるしいほどの政治遍歴も、わずかに憲法改正を理由として合理化していたのであります。しかるに、鳩山首相が今政権の座につかれて、みずからの政治的生命を国民の審判にゆだねようとするときに、何ゆえに憲法改正に対する信念を打ち出さないのでありましようか。