2011-11-22 第179回国会 参議院 法務委員会 第3号
指揮権がどうだと、発動するのはこういう理由で発動すると、日中関係、アジアの安全考えたら、こういう戦争、幾ら相手が不法であっても戦争は避けなきゃならぬという判断で指揮権を発動したというなら、あとは政治的評価の問題ですから、国会なり世論でその当否を判断すればいいと思うんですけれども、ややこそくに、非常にこそくにそういう政治的なプレッシャーの中で司法自らが政治に歩み寄って妥協したと思わざるを得ないんです。
指揮権がどうだと、発動するのはこういう理由で発動すると、日中関係、アジアの安全考えたら、こういう戦争、幾ら相手が不法であっても戦争は避けなきゃならぬという判断で指揮権を発動したというなら、あとは政治的評価の問題ですから、国会なり世論でその当否を判断すればいいと思うんですけれども、ややこそくに、非常にこそくにそういう政治的なプレッシャーの中で司法自らが政治に歩み寄って妥協したと思わざるを得ないんです。
今、日本と中国がこの問題でとった態度について、どういう外交的あるいは国際政治的評価が行われているか。これを見れば、単に大きい声でほえ立てたり、単に強い態度で押し出していくというふうなことが今の国際政治の上で評価を受けないことは明らかである。私は、そういう総体がすべて危機管理あるいはダメージコントロールとしては必要なんだなと改めて思っているところであります。
終局的には国民の自由な言論とそして政治的評価にゆだねるということですから、私たちは、政党やあるいは国会議員一人一人が自分の考え方を明らかにすることによって、そして多くの市民の皆様に一体この不作為はどうだということをもう一度考えていただく、そういう機会になるのではないかというふうに思っております。
すなわち、政治的評価はさておきまして、純粋に制度原理上の問題に限って論じるわけでありますけれども、まず、大量の死票を構造的に生み出し、有権者国民の持つ選挙において平等に処遇される権利を侵害するものであります。
土井衆議院議長のやられたことの政治的評価はまたいろいろありますけれども、手続上ちょっと私は何かそこにあった、こういうふうに思いますので、これは残念ながらかなりけちのついた選挙制度改革である、こういうふうに考えております。これは私の見解を申し上げるにとどめておきたいと思います。
総理、政治的評価を平和回復行動と言うのはそれはいいですよ、性格を。しかし、平和回復行動ということでやっているのは武力の行使だということは、これはもうはっきりしているでしょう。アメリカが国連に報告をした。アメリカが国連に報 告したあの一月十六日に、アメリカ時間で十六日に報告したときには、はっきりと軍事行動、ミリタリーアクションというふうに言うていますよ、この作戦行動は。
トロント・サミットの政治的評価とでも申しましょうか、このサミットは、東西関係の現状と展望を中心に、カンボジア、中東、南アフリカ、朝鮮半島等の地域問題、そしてまた国際テロあるいは麻薬問題など、現在の世界が直面する広範な問題について、率直かつ有意義な意見交換が実施されたというふうに私も思っております。これらの問題に対します西側の対応ぶりにつきまして、広範な合意を得ることができたというふうに考えます。
○秦野章君 日韓大陸だな条約の評価の問題でいろいろ論議があることも、衆議院でもいろいろ論議もあることも知っているんだけれども、二国間条約で日韓の問題をどう見るか、政治的な評価、これも全く反対の見方もあるし、それが政治的評価だけではなくて、政治経済的な評価というものを考えて、積極論も消極論もあるわけですが、そういう日韓大陸だな条約の二国間の問題もさることながら、最初に申し上げましたけれども、実は資源のない
で、アラブの諸国の主権を無視してはもちろんいけないし、そうした中で産油国に対して日米が共同して努力して公正で調整を行なっていく、日米が産油国にこれを求める、こういう考え方は、この共同声明は世界じゅう知っておるわけでありますから、こういう点で日本に対してアラブが一定の政治的評価をしているのは、私はあたりまえだと思うのです。
それは佐藤総理の外交、防衛政策に対する高度の政治的評価の表現として用いられたものでありまして、両者の論争内容と切り離して、ことばから受ける感覚的印象のみで、これを無礼の盲あるいは品位損傷の言などと認めることは、理性の支配と言論自由のもとで、国会の場で働いておりますわれわれの断じて認めることのできないところであります。
次いで、日本社会党の黒田寿男君よりは、「穂積君の、「佐藤総理は売国者である」という発言を罵言であり、品位を傷つけるという理由で懲罰動議を出されたが、これは罵言という性質のものではなく、その意思も全然ないことは明らかであって、同君は政治的評価の表現としてあのようなことばを使ったのである。
政策論の内容から論理的に導き出される政治的評価の表現だ、このように言っておるのでありますけれども、われわれはこのことを率直に認めるべきであると思います。 そこで、問題は、穗積君の、佐藤総理は売国者ということばをどう見るか。懲罰動議提出者のごとく見るか、あるいはわれわれのごとく、政治的評価の表現と見るべきかが、問題の最初の論点であると考えます。
そうではなくて、これは佐藤さんがあの委員会で展開されました政策に対する論理的発展の中から、まるであべこべの大きな矛盾ある答弁をされておられますので、その誤りに対する政治的評価として、売国者——愛国者にあらざる売国者という表現にいたしたのであります。したがって、非常に私としては、感情的ではなくて論理的であった。
冷静に、佐藤首相との間における政策論争の論理を追うてみて、愛国者の反対のものであると断定をし、かつ政治的評価を加えたのみであります。御承知のとおり、由来、東洋語には、上といえば下、白といえば黒、善といえば悪というように、韻を踏んだ対語というものがあります。私の貧弱な語彙の中から、愛国者に対する対語として、とっさの場合、売国者ということばを選んだのでございます。
それでこの外交交渉であなたは政治的評価を高め、総理になろうという考えを持っているでしょう。三木さん、そういう人が、しかも立場上からいっても、外務大臣はこの問題に対して日本政府のリーディング・ヒッターですよ。責任者じゃありませんか。国民のあなたに期待しておるところはそういうことなんだ。あなたの責任はそこにあるのです。
去る一月、総選挙の結果に対する政治的評価について、自民党並びに政府は、議席数の減少しなかったことをもって勝利感にひたっておられるようでありまするが、これを得票数について見ますると、与党の得票数は、野党全体の総得票数より少ないのであります。このことは、自民党が国民過半数の支持を得ていないということを物語っておるのであります。
問題となっている農地報償法案に対し、いかなる態度で臨んだか等については、さきに質問をいたしましたが、さらに、個人重政の人間性について知ることができれば、今日以後、その期待される人間像の政治的評価も可能になってくるわけであります。自民党が必死となっている農地法は、結局、中以下の貧乏人をも含めてかき集めた税金を、上以上のいい身分の地主階級に適当に分かち与えるのと、結果的には同様であります。
○穗積委員 川島・周会談の政治的評価というものに対して、中国問題を前向きにせしめるために意義があったという評価を外相はしておられるわけですが、一体どういう評価でございましょうか。その評価の、意義のあったという内容を具体的にひとつ明らかにしていただきたいのです。
ただ、私は、政治的評価としては相当な価値、意義があったもの、かように考えておるのでありまして、なぜ一体それじゃ政治的評価が相当なものであるかという、その理由はどうも申し上げにくいのでございますので、御了承願いたいと思います。
それに対する政治的評価につきまして坂本教授に御意見を伺いたい。原因と今後の責任ですね。 それから、もう一つは、問題の焦点は、もうアメリカは永久に勝つ見込みのない戦争であることは知っておる。だからこそあせってひとりでのたうち回りて相手をさがしておる。その相手をなぜさがすかといえば、戦争はやめて、アジアにおける、すなわちインドシナ半島における軍事基地だけは撤去したくない。あそこに残りたい。
もちろん小野博士の法律学者、刑法学者としての御見解を承るということも、刑法学者でございますからこれは参考になるわけでありますが、同時に小野博士の世界観なりイデオロギーなりからくる一つの政治的評価、こういったものも参考にはわれわれ聞かしていただいたわけであります。
第一の政治的評価についてお尋ねをいたしますが、もし島審議官が考えているように、アメリカが台湾を確保し、台湾問題をこだわっておるのは、一にあそこにおいて第七艦隊を初めとするアメリカの軍事基地を確保するためである。こういうことでありますならば、そういう理由によってこれを一方的に確保しておることは、はなはだしく政治的に不当な行為であると私は思いますが、外務大臣はどうお考えでございますか。
しかし、それにいたしましても知事のそうした処分に対する政治的な判断というものは、これはいろいろあり得るわけであって、それは次の議会に見解としてその政治的評価をせらるべきものだと、知事はそれは当然服すべきものだと、こういうふうに考えておるわけでございます。