2021-06-15 第204回国会 衆議院 本会議 第34号
一つは、当時最重要の争点であった政治改革の断行、二つ目は、消費者保護のための製造物責任法いわゆるPL法の制定、三つ目が、選択的夫婦別姓の実現でした。 選択的夫婦別姓の実現と消費者保護は、私の政治活動の原点であり、ライフワークであります。
一つは、当時最重要の争点であった政治改革の断行、二つ目は、消費者保護のための製造物責任法いわゆるPL法の制定、三つ目が、選択的夫婦別姓の実現でした。 選択的夫婦別姓の実現と消費者保護は、私の政治活動の原点であり、ライフワークであります。
最後に、日本維新の会は、身を切る改革を始めとした政治改革、地方分権を始めとする統治機構改革に取り組んできましたが、今国会からは、尖閣防衛を始めとする外交防衛政策、経済成長と格差解消のための日本大改革プランの策定に取り組んできました。これをもって、政治改革、行政改革、政策改革という政党としてのフルスペックをそろえることができました。
実は私、那谷屋先生から指示を受けまして、立憲の政治部会の役員をしているんですが、この法案、何か仕組みを講じることができないのか検討せいということでございまして、当然、我が政治改革部会の公式なミッションにもいたしまして検討を進めておりまして、実は、五月の十七日にはもう法案の形で部会で法案登録を政調の方にはして、法案提出の準備も進めておりました。
船田先生は、いわゆる政治改革にも関与された御経験をお持ちですね。日本では、こうした国民代表原理と政党の党議拘束に縛られる国会議員との間の矛盾相克、こういうことを全く議論しないで政党中心主義の選挙制度をつくり、政党助成金をつくり、やっちまった、そういう経緯がございます。
ここは、国民民主党で政治改革推進本部長を務めておられる古川元久衆議院議員が、本当に、先立って、強い問題意識を持ってこの点については取り組んでおられて、今朝も会派でこの議員立法の案について議論していたところなんです。
以後、中選挙区制度で四回、小選挙区制度で一回当選し、この間、政治改革や選挙制度改革、自民党が初めて野党に転落するなど、激動の時代を経験してきました。 五期目の途中で、当時の長崎県知事が引退表明したのに伴い、ふるさと長崎県を良くしたいという一心で知事選への立候補を決意しました。
○国務大臣(武田良太君) 助成制度の目的、政党助成制度は、政治改革について議論を積み重ねた結果、政党の政治活動の経費を国民全体で負担していただくものとして設けられた制度であり、民主主義の発展に重要な意義を持つ制度であると考えております。
第三に、根本的な政治改革、行政改革を進めないまま、国民に安易に負担を押しつけていることです。 そして最後に、最も重要な問題は、現政府・与党は、その場その場で現状維持、微修正型の対応を繰り返すのみで、新しい時代にふさわしい社会像を目指した根本的な構造改革に踏み込むことができないことであります。
第三に、根本的な政治改革、行政改革を進めないまま、国民に安易に負担を押しつけていることでございます。 そして最後に、最も重大な問題として、現政府・与党は、その場その場で現状維持、微修正型の対応を繰り返すのみで、新しい時代にふさわしい社会像を目指した根本的な構造改革に踏み込むことができないことであります。 長らく、国民の生活実感は悪化し続けています。
当時は、天安門事件、ベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争と世界は激動し、国内では政治改革の嵐が吹き始め、大きな時代の転換期を迎える中、選挙でもその時代背景を映し、多くの新人議員が誕生いたしました。 その後、三期目を目指した平成八年の選挙は初めての小選挙区比例代表並立制で実施されましたが、私はみずからの未熟さと慢心により新しい選挙区を攻略できず、苦杯をなめる結果となりました。
三十年近く前、政治改革が政治の主要テーマというときに私は学生時代を過ごしておりまして、私にとってもライフワークの一つでもございます。政治家である私たち自身が、政治のあり方を、あるべき姿をつくり上げていくという意味で、この委員会、大変重要な分野であると考えております。 今回も、任期の初めから間もなく三年、この委員会で理事を務めさせていただいております。
いずれも、長年の政治改革の議論を経て、平成六年に導入されたものでございます。これは、民主主義の基礎となる議会政治の根幹、政党活動の自由にかかわる問題でございますので、その評価につきましては、各党各会派で御議論いただきたいと存じます。
さて、政治改革、小選挙区制の導入、そして政党助成法、これが制定されてもう二十数年がたちましたけれども、大臣、この政治改革は成功したと大臣はお考えになっていますか。いかがでしょうか。
私は、この間、政治改革、倫選特などでも議論をしてきていますけれども、クオータ制であるとか、あるいは政党ごとにしっかり女性候補を擁立するであるとかも含めまして、きちんとやっていかなきゃいけないなというふうに思っております。 それでは、女性問題についてはしっかり取り組んでいただくということと、次は水問題ですね。
日本維新の会は、大阪を中心とした自治体で、抜本的な政治改革、行政改革に成功してまいりました。しかし、国に目を移せば、地方議員の年金制度復活の動きがあったり、参議院の定数が増やされたりなど、政治改革、行政改革を放棄しているように思えます。規制緩和や行政システム改革は遅々として進まず、国民の税金負担だけ増やしている現状は、我が党の行政改革精神から見れば真逆の方向に進んでいると言えるものです。
次の皇太子殿下の御成婚のときは、これはまさに一九九三年のあの政治改革選挙の直前ですよ。これも政治恩赦に対する非常に批判があったんだけれども、時の法務大臣である後藤田正晴法務大臣が、政令恩赦で救うのは見送られたんだけれども、しかし、特別基準恩赦の審査の対象にするんだと法務大臣が自分の見解を示して、結果的にはそれが対象になっちゃったんですよね。
特に、平成六年の政治改革後は、政治資金の収支の公開や授受の規定に関する事項につきましては基本的に議員立法によりなされてきているというふうに承知しております。
今御議論がございましたけれども、政治資金パーティーに関わる収入については、政治資金規正法上、当該パーティーへの参加の対価として支払われておるものでございまして、寄附とは性質が異なるということでございまして、これも先ほど答弁ございましたけれども、公開基準等につきましては、今日までの政治改革の議論の中で各党から様々な案が提案され、各党間の協議の結果として今日の公開基準となっているわけでございます。
○政府参考人(大泉淳一君) 政治資金の規正法につきましては、公開基準あるいは購入限度額なども含めまして、政治改革の議論の中で各党から様々な案が出され、その中で各党の協議によって、協議の結果として現在の公開基準あるいは購入限度額などになってきているところでございますので、その流れ、そういうような動きを伴って、政治活動の自由に密接に関わる問題でもございますので、各党各会派の協議に基づいて決まってきているということだと
そのとき、私は民主党の政治改革推進本部の事務局長をしておりまして、ワーキングチームに党を代表して出ておりました。自民党は、当時、武部前幹事長と、それから石田先生、入っていらっしゃったと思うんですね。実務的に、大変政治資金の問題も公選法のことも詳しい私は政治家だと評価をしています。塩川さんも入っていましたかね、たしかね。そういうメンバーで、六党派でやりました。
私も、武部勤、その当時は自民党の政治改革本部長をされておられたかと思いますけれども、私はそのもとで事務局長をやっておりまして、まず、与党ということで公明党の皆さん方と案づくりを随分議論をいたしまして、その上で、今御指摘のあった、六党の会に出席させていただいて、その時点で野田委員も、民主党の代表という形で、代表者として参加をされておられたわけでございます。
そのときの政治改革国会で、今の小選挙区比例代表並立制、あるいは政党助成法など、いろいろな議論がありましたけれども、成立したことが政治家としての原点でございまして、多分、ここにいらっしゃるメンバーの中では、山口委員長とか、小此木筆頭とか、あるいは竹内さんとか、ちょっと限られたメンバーしかそのころの熱を思い出している人はいないかもしれませんが、どんなやはり立場があっても、丁寧に議論を交わして成案を得るというのが
平成五年四月の政治改革に関する調査特別委員会において、宮沢喜一総理への質問の中で、先生は次のように述べられております。 国際情勢が変わりました。国内では、自民党と社会党を中心とする野党が緊張感を持って対立した時代もありました。
我が党のイニシアティブにより、大阪を中心とした自治体でこれまで抜本的な政治改革、行政改革に成功してまいりましたが、翻って現在の国政を見ますと、そのやり方は全く逆であります。地方議員の年金制度復活の動きや国会議員定数増加、経済政策において大規模規制緩和や行政システムの改革を放棄している状態で、国民の税金の負担だけは増やしています。
政治改革の実現を目指し、同志とともに奔走した若手議員の時代を思い起こしながら、初心に立ち返り、これからも何事にも最善を尽くすことをお誓いし、謝辞といたします。 ありがとうございました。
その後政治改革の議論が再び起こり、翌平成六年には政治改革四法案が成立し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変更となったのです。党内での選挙区調整が困難を極める中、同じ選挙区地盤を抱える西田司先生から、「私が比例にまわるから、若い山本君、君が小選挙区で出てくれ、若い者がやらんといけん」と有難い言葉を頂いたのです。
政治改革、新党ブームの風が吹く、大変厳しい選挙でありましたが、ふるさと銚子の皆様を始め、選挙区の皆様方のお力添えに、改めて深く御礼を申し上げる次第であります。ありがとうございました。(拍手) この選挙で自民党は結党以来初めての野党となり、野党議員としてスタートしたわけですが、政権交代はいつでも起こり得るという事実は、私の政治活動に緊張感を与えてくれるものでした。
私が初当選したときの最大の政治課題は政治改革でありました。大変激しい党内論争、党内対立の末に政界再編が起こり、やがて小選挙区制度へと移行しました。この後も、バブル経済の崩壊、東西冷戦の終結、リーマン・ショック、そして、平成二十一年の総選挙では、私自身も落選し、政権交代が起こるなど、実に多くの出来事がありました。