2021-02-24 第204回国会 衆議院 財務金融委員会 第6号
何かあると財源のことを無視したような形での政治批判、あるいは野党の政府に対する批判や政策提案について、財源問題について真剣な検討がなされていないんじゃないかというふうに思わざるを得ないような状況が生じております。 一方で、アメリカ、EUでは、今日資料でおつけいたしました、財政規律に関するいろいろなルールがございます。
何かあると財源のことを無視したような形での政治批判、あるいは野党の政府に対する批判や政策提案について、財源問題について真剣な検討がなされていないんじゃないかというふうに思わざるを得ないような状況が生じております。 一方で、アメリカ、EUでは、今日資料でおつけいたしました、財政規律に関するいろいろなルールがございます。
でも、この人はほかにもやっぱりかなり政治批判もやっているんですね、政治批判と思われる。多分、裁判官ですから、その辺というのは非常に上手な方だなと思うんですね。直接は言っていないけど、ああもうこれは明らかに政権批判じゃないかなみたいな、そういうことですね。
ところが、それをしているうちに、まず与党のベテラン議員、またベルルスコーニ氏などの首相経験者の離反、既成政治批判の五つ星運動などの反対で否決されましたが、ベルルスコーニ氏は、みずからの裁判に対して首相がそれを支持しなかったというようなことで離反をしていったということで、やはり政局的な問題もありますし、内容的にも、上院の権限をなくするということで、権力の集中化に対する批判的な意見もあったということで、
それが、平成八年にかわりまして、五百人、しかし小選挙区が三百ということになったわけで、そうなった経緯は、自民党で金権政治批判、その他政治改革が起こりまして、小選挙区制度が望ましいということで、小選挙区比例代表並立制が導入されたわけでございます。 しかし、最初は、やはり激変緩和であると。
世論は非常に厳しい反応はありますけれども、いわば国会議員の年金なんか要らない、そういう政治批判の中でそういう話になったのは、果たして、冷静に考えるとどうだったんだろうかというふうに思っております。 これから若い議員を、まあ、私ももうそういう意味では、まだ若いとは思っていながらも在職年数は比較的来ましたが……(発言する者あり)いやいや、自民党が提案したんです。
要は、そのときにとにかく言い続けたことは、とかく政治批判というのは、何をしてくれない、何をしてくれないということなんですね。それを、とにかく、それは自分たちの責任だし、自分たちがまず行政に対して、地域に対して働きかけてほしいということを訴え続けておりました。それさえ成れば、その感覚が地域、地方に充満すれば、必ず地域は再生できるというふうに私は思っているんです。
ロッキード事件の後の選挙で、金権政治批判、政権交代のない日本政治の欠陥等が問われた選挙でした。今日の国政でも同様のことが論じ続けられることを考えると、自分自身の力のなさを反省せざるを得ません。 二十五年間の国政活動の中で、一番の思い出は細川内閣の成立です。首班指名投票で、自分自身の記した名前が初めて総理大臣に当選したときの感激を忘れることはできません。
一部だけを御引用になりましたが、確かに当時、大蔵省を初め幾つかの役所で問題が起き、非常に厳しい政治批判の声がございましたときだけに、お招きをいただいて、私が参加をすることが果たしていいかどうかは確かに私は迷いました。そして、中小企業の問題に詳しいと思っておりましたし、村上さんに相談をかけましたところ、村上さんは、それは行かれたらいいじゃないですかということでしたから、私は行きました。
それから、今の国民の政治批判の中身というのは、お金とか利権とか、これが優先する政治になっているということで、これを何とかやはり人権優先、あるいは金とか利権の逆といいますと社会正義というんでしょうか、これを実現できるような社会にしなくてはいけない、こういう願望を持っているわけであります。
その公演活動の中で演劇の登場人物が政治の批判を行うというような場面があった、政治批判が出た。それは特定の政党に反対するとか特定の政治家に反対するとかいう運動が出たぞということで直ちに問題にするというようなことがあるのではないかという危惧を抱いているわけですが、その点はどうでございましょうか。
今御指摘がございました市民活動法人をとった演劇団体等が劇の中で政治批判をしたというようなケースが、今申し上げたような個人攻撃に当たるか当たらないか、こういうことを考えていかなきゃいけないだろう、こういうふうに思うのでありますが、劇の中では往々にして世相を風刺する、政治批判をするということは現実にはある。
この党大会で、国会の早期開催、軍部の政治会議を否定したとか、あるいは政治活動の自由とか言論の自由とか、政治批判あるいは党大会前に逮捕された二百六十人以上の党員の即時釈放等が決議されました。最近の情報では、軍事政権は市民対話集会も禁止したというようなことがきょうの新聞にも出ておりますが、このミャンマー情勢についてどう見ておられるのか、見解を伺います。
私は、この中でやっぱり政治批判、このレベルについてちょっと取り上げたいんですけれども、彼は日本の権力の行使というのは責任の中枢が欠如している、国民が仕方がないと思っているということを言っていまして、なぜそうなるかというと、一つはやっぱり日本のマスコミ、学界の政治批判が弱いというんですね。
今日、予算委員会の審議再開を与野党国対委員長会談にお任せになることについて、総理の国対政治批判の発言とどう関係づけられるのか、どう考えてみえるのか。国会運営について、格好よく国対政治を批判したものの、やはり政党間の話し合いは必要だと反省してのことでしょうか。国会運営に関する総理の無責任さを厳しく追及するとともに、このことに関して明確な答弁を求めるものであります。
国対政治でとにかく足して二で割って、いつの間にかできてしまっている国対政治批判が一番強い。それに変えて、やはり政権交代可能な政策論争で対立型の政治体制をつくりましょうということで、私どもは政治改革を推進してきたところでございます。 そうであるならば、やはり新しい政党ができて、政治システムができて、そこで争点をする場合に、いついかなるときに選挙をやるにしても、争点は一つではございません。
私は、政治不祥事の解明のための国政調査権の行使というものは、国民の政治に対する批判の高まる中において、政治批判のために必要な判断材料を獲得するためになされるものではないかと思います。いわば、国会または議院の国政監視機能、国政見守り機能というものを完全ならしめるためのものでなかろうか、こういうふうに思います。
次に、やはり検察の取り扱いの問題、冒頭申し上げましたとおり、政治批判と警察批判、検察批判というのは今度の大変大きな特徴となっているわけでありますけれども、問題は、金丸前副総裁に対する五億円、二十万、上申書の処理ということに批判が集まっているということについては言うまでもありません。この金丸前副総裁に対する五億円に関する疑問につきましては、整理すると六つぐらいあったのじゃないかと思います。
○宮澤内閣総理大臣 基本的には政治と金をめぐる問題、あるいは政治家のあり方につきまして、国民からかつて例を見ない厳しい政治批判のあることをひしひしと感じております。また、冒頭にちょっとお触れがありましたが、政治改革が十分に実を上げていないということも、この国民の不安をさらに助長することになっておるというふうに考えております。 そこで、暴力団の問題についてお話がございました。
に書きましたとおり、衆議院選挙の際の三百億円の政治献金問題、また自民党が今年度財界に対して百六十 億円の献金要請をした、こうしたことが当たり前と考えられている政治感覚に猛省を促さなければならないと思いますし、これまで選挙制度審議会の第七次に至るまでの基調でありました企業献金禁止の方針を百八十度転換させ、より多額の企業献金を容認することが政治改革であるとしている自民党政治改革基本要綱は、国民の金権政治批判
政治改革を象徴している言葉、批評でもあろうかと思って聞いておったのですが、とにかくそういう中で経済一流、政治三流という批評、大変心外ではありますが、半ば認めざるを得ない状況もあると思いますし、この点について、国外からの政治改革の要請といいますか、日本の政治批判を踏まえた要請から出たこの言葉について、吹田大臣、どうお感じでございましょうか。
私は、政治批判の中心はあくまでも政治に金がかかり過ぎることと思います。その代表的なものが現行の衆議院の中選挙区制であり、参議院の比例区制であると考えるのであります。 中選挙区制について見れば、一党で複数の候補者を立てる我が党にとって、選挙が政策論争以前の選挙民に対するサービス合戦や利益誘導の争いとなり、金のかかる温床となっています。
過去二回の大きな改正を見ると、いずれも金権政治批判ということにこたえての改正だったわけですが、どうも今回のきっかけは、これまでありましたとおり、二十億円集めるというようなパーティーに対する批判から問題が始まったわけであります。