2011-11-14 第179回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
そういうようなことからするならば、これが事実無根だとするならばやっぱり訴えてきっちりけじめを付けられるべき、そして場合によっては公開でこの政治ジャーナリストと向かい合ってけじめ付けるぐらいの、そういうことをしないと、ジャーナリストというものに対してもやはりちゃんとけじめを付けるということを政治家がやっていくということをしないと私は駄目だと。
そういうようなことからするならば、これが事実無根だとするならばやっぱり訴えてきっちりけじめを付けられるべき、そして場合によっては公開でこの政治ジャーナリストと向かい合ってけじめ付けるぐらいの、そういうことをしないと、ジャーナリストというものに対してもやはりちゃんとけじめを付けるということを政治家がやっていくということをしないと私は駄目だと。
さて、きょうは私の話は加藤さんのお話とは全く違うというか、私は五十年近く政治ジャーナリストでございます。日本の戦後の政治のウオッチャーとして活動してまいりました。その見地からきょうは極めてナウな、現実的な問題について考えを申し上げたいと思います。 憲法は一九四七年に公布されまして、もう五十三年たったわけであります。
ベルトウエーという、四九五という道路がベルトのように取り囲んでいるわけですけれども、その中だけで通用するロジック、つまり、日本でいうとちょうど永田町の論理というふうに言われる表現と同じような表現でインサイドベルトウエーという表現があるわけですけれども、そこにつまり政治機能が集中し過ぎることによって、政治をなりわいにするさまざまな政治マフィアみたいな、あるいはロビイストみたいな人たちが徘回し、政治ジャーナリスト