2021-06-15 第204回国会 衆議院 本会議 第34号
今こそ、小さな政府論に代表される、時代遅れになった昭和や平成の古い改革という衣を脱ぎ捨て、令和という新しい時代にふさわしい支え合う社会をつくる。支え合う役割を果たし得る、機能する政治、行政へ転換する。その大きな第一歩を踏み出すべきときであります。
今こそ、小さな政府論に代表される、時代遅れになった昭和や平成の古い改革という衣を脱ぎ捨て、令和という新しい時代にふさわしい支え合う社会をつくる。支え合う役割を果たし得る、機能する政治、行政へ転換する。その大きな第一歩を踏み出すべきときであります。
その上で、二問目の質問は、いわゆる総合政府論というふうにお聞きをいたしました。
要するに、小さな政府論があって、富裕層とか大手資本が海外に逃げないとかいろんな、そのために緊縮財政を押し付けてきたんじゃないかというようなことがだんだん分かってきて、そういうことも含めてこういう反発が起きて、ですから、私はこれ、不満の歴史的な爆発というふうに捉えるべきではないかと思うんです、政治的に言えば、歴史的に言えばですね。
財務省の脅しに乗るよりはよっぽど、この統合政府論をいつも描いておいた方がよっぽどいいなと私は思うんでありまして、何もこれもそんな否定するような話じゃないと。財務省が余りにも今まであおり過ぎるからこういう考え方が出てくるんではないかと思いますし。 先ほどもちょっとありましたけれども、六枚目のシムズ理論、FTPLですね、これも何で一々こんなこと書くのかなと思いますけれども。
○浅田均君 今大臣の方からそういう御発言がありましたのでお尋ねしますが、統合政府論というのがありますね。財金一体の経済政策ということで、日銀があれだけ国債を買っていても、政府の負債の方が日銀のアセットで打ち消されるので心配することはないと、そういう統合政府論というのがあります。
統合政府論というのがありますけれども、公述人はあれはどう思いますか。駄目か、納得いくか、それだけで結構でございます、時間がないので。
私自身はいわゆる大きな政府論者でありまして、この所得の再分配というものを強化していくこと、そして次世代に投資をしていくことというのが今の日本にとって最も求められているものではないかなというふうに思っております。
小泉構造改革では、市場主義、資源の効率的配分、小さな政府論ということが多く叫ばれたんですが、結果としてこれは格差を拡大をして財政を悪化するだけだったんではないのか。 そこで、麻生大臣の今後の処方箋をひとつ伺いたいと思います。
要するに、税を減税し予算を小さくしてきたという、いわゆる小さな政府論ですよね、民間の活力でやっていこうという。これが、結局は海外投資に回って国内で使わないと。で、資産デフレで一番この民間のお金が市場に回るのが少なくなっているときに政府も予算を下げちゃったから、これは大デフレになっちゃうと。
ですから、いわゆる小さな政府論とか新自由主義とは全然逆さまなことを私言っているわけですね。それでやればどうなのかというのをシミュレーション掛けたら、ここに出ているとおりなんですよ。GDPはどうなるかと、今ほっておくよりも上がるんですよね。それから、一般会計の税収もこのベースラインよりもずっと上がるわけです。
日本は支出の面でも公務員数の面でも一度も大きな政府になったことがないにもかかわらず、市場原理主義の大波の中で小さな政府論が台頭し、いつの間にか小さな政府シンドロームに陥り、いまだに抜け出せないでいます。そろそろ小さな政府シンドロームから脱却し、日本的な少し大きな政府を目指してもよいのではないでしょうか。 デフレ脱却と財政再建の両立に特効薬はありません。
ところが、今、残念ながらそのことが忘れ去られて、この国民負担率をいかにすべきかという根本的な議論が横に置かれて、今、またもう一度、いわゆる小さな政府論が出てきたり、それじゃ支出を減らしていこうとか、また減税を先行させようなんという話が出ているんですけれども、私は、これはもうまさに二十年間やってきた結果を見ていない本末転倒の議論だと思っています。
日本では、一九八〇年代以降、自治体の財政再建と並行して規制緩和と小さな政府論が優勢となってきましたけれども、今こそ豊かな都市とは何を指すのかを国民が考えるべきであって、戦後ずっと続いてきた先ほどから何回も引用しました全総のような発想で、地方中枢拠点都市が経済を牽引していくという成長重視型の地方制度改革はどうかなというのが思いとしてありますが、いかがでしょうか。
例えばどういう読書かということでございますが、和辻哲郎の「鎖国」でございますとか、ダーウィンの「種の起源」、プラトンの「ソクラテスの弁明」、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」、ロックの「市民政府論」、リップマンの「世論」。
まさにデフレからの脱却のためには、実は小さな政府論ではなくて、そういう、政府がかなり需要創出をさせていく、そのためには負担も需給のバランスを見ながら合わせていく、そうすると結果的には経済は好転していくというふうに思うんですけれども、お二人の先生方にまずこのことにつきましてお聞きしたいと思います。
一番大きな壁は何でしょうかというと、それは小さな政府論だと思います。 しかしながら、この小さな政府論というのはかなり誤解されていると思いますので、ここでその誤解を解く必要があると思います。まずは、小さい政府の小さいは財政規模ではございません。
広く言えば、小さな政府論に余りにとらわれ過ぎているんじゃないかという印象を持ちました。数年で根本的な政策理念が変わるということは、一番大変なのは父兄ですよ。国民です。もらったりもらえなかったりするのが家計の管理上は一番大変なことでございます。 改めて私は本法案の撤回を求めたいと思いますが、大臣の御答弁をお願いします。
言うならば、小さな政府論だというふうに思います。それ以来、そういう考え方が国民の根強い支持を受けている事実もあると思います。 あると思いますが、大臣に確認したいのは、前政権は一応普遍主義という考え方で制度をつくった。これを、四年たとうとしている今、ひっくり返そうということになるわけですが、なぜ今この選別主義を選ばなくちゃいかぬのか、その辺の理由、背景を改めてお願いします。
さらに、このグランドデザインを推進するに当たって、いわゆる小さな政府論や公共事業全てが悪いんだという悪玉論的な考え方から脱却しなければ、大臣、先ほどおっしゃっていただいたグランドデザインというのは絶対実現できないというふうに思っております。
○内閣総理大臣(野田佳彦君) 余り大きな政府か小さな政府かという二分論ではなくて、もちろん政府は効率良く仕事しなければいけないというふうに思いますが、いわゆる小さな政府論で何でもその規制を撤廃してという話ではありません。また一方で、やらなきゃいけないサービスもありますが、それも効率化という観点を持ってなければいけないと思いますので、大きいか小さいかという、そういう二項対立で私は考えておりません。
私は、社会保障も場合によっては投資的な効果があるんだという、そういう発想に切りかわらなかったことが、どうしても負担、負担というイメージで来ているものですから、負担はなるべく軽く、小さい政府論ということになると思うんです。
きいか小さいかということを比べると、明白に、公務員数等を世界各国と比べると、日本は既に極めて小さな政府になっているということは一目瞭然だ、先般の安心社会実現会議でいろいろな方が申されていたのは、やはり安心あっての活力、活力あっての安心と、一定の、社会全体としてお互いに支え合う制度を構築するという意味では、やはり大きい政府、小さい政府という議論はほとんど、議論は不毛な議論だ、以前議論されていた小さな政府論
そして、一九三〇年代の大恐慌は、実はマネーサプライを三分の一激減させたFRBの政策の失敗によるもので市場の失敗ではないというフリードマンがノーベル賞を受賞して、そのフリードマンやハイエクの思想である新自由主義、市場重視主義、小さな政府論というのがレーガン大統領、サッチャー大統領の登場によって一つの主流を占めていき、それが構造改革の流れにつながっていって、つい最近まで主流にあったわけでありますが。