2021-03-26 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第5号
糸満市―八重瀬町にかかる沖縄戦跡国定公園は、一九六五年に琉球政府立公園に指定され、沖縄の米施政権返還に伴って一九七二年に自然公園法に基づき国定公園に指定され、現在に至っています。 環境省に、沖縄戦跡公園が指定された経緯及び趣旨について伺います。
糸満市―八重瀬町にかかる沖縄戦跡国定公園は、一九六五年に琉球政府立公園に指定され、沖縄の米施政権返還に伴って一九七二年に自然公園法に基づき国定公園に指定され、現在に至っています。 環境省に、沖縄戦跡公園が指定された経緯及び趣旨について伺います。
当地域は、米国施政下の昭和四十年十月に沖縄戦跡政府立公園として指定され、その後、沖縄の復帰に伴い、沖縄の復帰に伴う環境庁関係法令の適用の特別措置に関する政令に基づき、昭和四十七年五月に自然公園法に基づく沖縄戦跡国定公園とみなすこととされたものと承知しております。 本公園につきましては、沖縄南部に存在する戦跡の保存と海岸地形及びそこに発達する自然植生等の保全をその主な趣旨としております。
このために、昭和四十五年でございますが、沖繩の本土復帰に際しまして、当時すでにこの地域は琉球政府立公園として成立いたしておりましたが、その区域をそのままわが国の誇るべき世界的な国立公園ということで引き継いだ経緯を持っております。
まず第一点は、琉球政府時代、琉球政府立公園シリーズで沖繩の西表公園の切手が印刷されましたけれども、これが切手として使用されないまま今日本土内に相当数出回っておりますし、その状況をあらまし説明いただきたいと思うんです。ただ時間がありませんので、この切手の問題は三十分ぐらいと私思っておりますから。
自然保護は、復帰後国立公園として、西表島国立公園、また国定公園としては沖繩戦跡国定公園、沖繩海岸国定公園などが旧琉球政府立公園をそのまま引き継いで指定されております。 ところが申し上げたいことは、海洋博会場となる本部半島一帯はこれらの指定からはずされているということであります。また、文化財や天然記念物などの保護は一部分指定されておりますけれども、それが非常に不十分である。
したがって、与勝国定公園と申しますか、琉球政府立公園の指定を解除するような状態になりました。これ以上石油産業というものはもう沖繩には立地いたしてもらいたくないという気持ちがいたしておりますが、なお金武湾に今後立地するといたしますと、いま予定いたしておりますものでは、これは中城湾になりますか、まだはっきりいたしませんが、たぶん金武湾になるだろうと思われるものにアルミ製錬があります。
○宇野説明員 私どもといたしましては、西表が琉球政府立公園になった場合には、復帰後これを本土の国立公園というふうに見なすというふうにする予定でございます。
なお、私どものほうといたしましては、観光の問題でございますが、沖繩のすぐれた自然を守っていくということがきわめて重要な問題であると考えておりまして、特に特有の動植物あるいは海中景観のほうといったような問題が沖繩において重要な問題であるというふうに考えておりまして、復帰と同時に、現在政府立公園になっております沖繩海岸政府立公園及び沖繩戦跡政府立公園につきましては、いずれも国定公園に指定をする予定でございます
ただ、与勝海上政府立公園ですか、これにつきましては、初め政府立公園でございましたが、現在は沖繩政府におきましても指定を解除する方針だろうと聞いておりますし、われわれとしましても、すでに石油基地がたくさんできまして、今後大いに経済的に開発する土地になりますと、国定公園あるいは国立公園としては不向きだろうと思いますので、これは指定しないという方針を考えておるわけでございます。
○内田善利君 私は、この三つが公園になっておりますが、この与勝海上政府立公園が一番山紫水明の美しい公園ではないか、海上政府立公園なんですね、名前からしても、あるいは現実にも、この海上政府立公園は三つのうちで一番いいんじゃないか、一番ふさわしいんじゃないかと思うのですが、また、これが工業立地にもふさわしいということだろうと思いますが、いち早く石油コンビナートもできるし、あるいは三菱開発株式会社等も開発
○内田善利君 次に、自然公園関係ですけれども、沖繩の指定公園が、政府立の公園が、沖繩戦跡政府立公園、沖繩海岸政府立公園、与勝海上政府立公園と、このように三つ指定されておるわけですが、今回この復帰に伴って最初の二つが国定公園に指定される予定で、最後の与勝海上政府立公園は国定公園にならないということですが、その理由をお聞かせ願いたいと思います。
その他いま沖繩ではいろいろと政府でも自然を保護いたしまして、いわゆる沖繩政府立公園とか、そういうものがございます。こういうものもわれわれはできるだけ十分に調査をいたしまして、そういうものを国立公園なり国定公園に指定いたしまして、十分に沖繩の自然景観を守ってまいりたいと思います。先ほどの海岸のオニヒトデの問題でございますが、これがサンゴを死滅させる一番悪い原因のようにいま考えられます。
ただ、場所等については、先ほど申された中城湾、金武湾、それから大浦湾、大体その一帯になるであろうと考えるわけでありますが、将来の北部の水系からの工業用水等の取水を考えますと、琉球政府のほうと話をしなければ、最終的にはまだその意向も確かめておりませんが、やはり東海岸だけということもどうであろうかというようなことも考えておりますが、西海岸の中、北部のほうは琉球政府立公園になっておりますので、そこらの自然保護
公害が起こって政府立公園指定がやめになるだろう、こういうことをまるで予想した文書を通産省の立地公害部がちゃんと発表しております。これはちゃんと通産省の文書に出ております。まるで公害を予定している。この金武湾一帯は政府立公園、つまり、いま国立公園ですが、この国立公園の指定を解除してもここにそういう産業を持っていくべきだ、こういうことを言っているのです。だから私は質問している。
○大石国務大臣 現在摩文仁の丘中心の南部地区は、沖繩政府立公園になっております。本土帰還後はわれわれはこれを戦跡国定公園として存置してまいりたいと考えております。
○首尾木説明員 現在沖繩に政府立公園として指定されておりますものが三つあるわけでございます。その三つの政府立公園につきましては、復帰後早急にこれを自然公園の体系の中で考えてまいりたい、かように考えておるわけでございます。
こういったようなことを具体的に考えておりますが、なお先生のおっしゃいました本島付近にも政府立公園というのがございまして、この政府立公園につきましては返還後私ども検討をいたしたいというふうに考えておるわけでございます。
えたのでありますけれども、現在の琉政の計画の中では、中城湾の埋め立て、並びに平安座(へあんざ)島、それから勝連半島の埋め立てということしか計画がありませんので、ぜひ北のほうというものを計画してもらいたい、できれば大浦湾一体、あるいは琉球政府立海岸公園というものになっておりますので、ここらのところはいろいろ議論もありましょうが、要するに、水に一番近いものは塩屋、屋我地の附近の海面でございますので、ここらのところを一部政府立公園
次に第六問は、沖繩本島には、現在、先ほど申し上げました三つの政府立公園がございますが、自然公園としての整備が立ちおくれておるのも事実でございます。
お尋ねの数点でございますが、これは沖繩の施政権が日本と一体になりました場合には、もちろんその自然公園法がそのまま適用を沖繩にされますので、現在ある沖繩の政府立公園法というものがそのまま吸収をされる。