1983-04-26 第98回国会 衆議院 環境委員会 第7号
同時に、政党責任内閣でありながら与党の中の意見もまとまってない。これは、この環境アセスメント法案が今日こういう状況になっておる一番大きな理由だと私は思うのです。したがって、閣僚の一人として、法案を提出しておきながら、その辺の十分な意思の整合ができていないという点について、大臣はどうお考えになっておるのだろうかと思って、私は不思議でならないのです。
同時に、政党責任内閣でありながら与党の中の意見もまとまってない。これは、この環境アセスメント法案が今日こういう状況になっておる一番大きな理由だと私は思うのです。したがって、閣僚の一人として、法案を提出しておきながら、その辺の十分な意思の整合ができていないという点について、大臣はどうお考えになっておるのだろうかと思って、私は不思議でならないのです。
これは、政党責任内閣なのですから、閣法として提案をされる以上は、十分与党の皆さんの御了解もいただいて、政府が責任を持って提案したものであるはずだと私は思うのです。しかし、新聞の報道によりますと、与党の中にだけでなく、内閣の中にも十分なコンセンサスがないのだということが報道されておるのです。その辺は一体どういうことになっておるのですか。
それがいわゆる政党責任内閣だと一つ考える筋もありますね。だからどうしてこれはおやりにならぬで、与党の提案になったのだろうかという疑問がありますので、時間もありませんから簡単に御答弁いただきたい。
政党責任内閣のもとにおいては、国会答弁を絶対に軽視することは許されない。つまり、議会制民主主義というのは、国民と国会の間における……
なるほど政党責任内閣でありますので、その間、与党である自民党と意見を調整されることは自由でありますけれども、当然でありますけれども、それは今度の生産者米価を米審に諮問し、その諮問を受けて、大体その時分までに並行してやられておるのがほんとうでありまして、今度のようなものは、いかに自民党の責任できめるといいながら、自民党でつくっておる政府に対して自民党がこね上げるというような姿は、あまり政府の権威を高からしめるゆえんではない
従って、いうならば、各歴代内閣が思いつきでやっておるというのではなくて、政党責任内閣制という建前からするならば、自由民主党自身がほんとうは踏み切っておる問題だというふうにさえ私どもは理解をしたい状態だと思います。
本来の政党責任内閣制でありまするならば、基本的に大体こういう点とこういう点についてこういう考え方をしたいと思うが、具体的、技術的にどうだろうか、こういう諮問をなされるのが筋道ではなかろうかと思うのであります。今度の臨時行政調査会の設置法は、純粋に白紙の状態で検討するという建前になっておりますから、そのことはあるいは出過ぎになるかもしれません。
御承知のように、元来行政機構改革の必要性は 言うならば、あまりにも強大化したところの官僚機構と、いわゆる官僚主義と称せられる形式官僚行政の非を早正しまして、そして政党責任内閣制のもとにおける忠実なる政策遂行を円滑ならしめるとともに、また、国民へのサービス行政を全からしめるものであると存じます。
しかしながら、いやしくも政党責任内閣制というものは、普通の常識で言うならば、政党がみずからの政策を実施するために責任を持って内閣をつくるということだ。その政党が責任をもってつくった内閣が、その内閣の総理の勝手気ままによって二年か三年で次々にやめられて、そしてそのしりをふく者がないということでありますならば、ここらに無責任時代の一番基本的な根源があるような気がするわけであります。
厚生大臣が、政党責任内閣として、政党人をもって充てている限り党に忠実でなければならぬ、こういう角度からいうと、古井さんが今まで一貫してとっている態度は、政党人としてあるまじき、がんこきわまりない意見であるということになると思うのです。
ところが、政党責任内閣の現段階において、党三役の考え方と山中委員会の考え方と、それから厚生大臣の考え方がばらばらになっているということが、いよいよこの両医師会に対してやり切れないような焦燥感を抱かしていると思うのです。
一体、政党、責任内閣のもとにおいて総裁であり総理大臣であるあなたは、明らかに国会運営に対しては議長とともにその責任を分担し、これに対して協力しなければならない必然的な責任と運命とを持っている。この際、池田内閣総理大臣は、議会主義擁護の立場に立ってこれら国会運営に対しまするところの率直なる見解あらば承っておきたいと思うのであります。 以上をもって私の質問を終わります。
政党責任内閣の総理大臣として少しも協力も支持もしていないではないか。私はこのことをきわめて遺憾に思うのであります。今日まで幾たびか責任政治制を主張しておきながら、何らの協力も支持もやっておらないじゃないか、こういう状態で国会の権威を保つことは断じてできないと私は思う。岸総理の今回におけるこれに対する決意をお伺いしたい。
それで政党責任内閣制というものがとれるのであるか。とれないじゃないか。
私は民主政治の運営というものは、政治家の見識と、その人格によって作られるのであって、イギリスが二大政党責任内閣制を確立したのも、ビクトリア王朝時代におけるグラッドストーン、ジスレリー、あの見識と人格で作られたと思う。それを岸さんに期待している。岸さんに期待しているのは、政治家が作る新しい歴史、新らしいルール、制度を作るのだ。内閣と国会がここにおいて作るのだ。
それが政党責任内閣なんです。内閣は各界、学識経験者その他の意見を聞く必要はない。学識経験者とか、あるいは各界の意見は政党が聞いたらいい。これが政党内閣だ。官僚内閣はそうはいかぬから、こういうふうな審議会を作ってもよろしい。超然内閣ならこういうものを作ってもよろしい。政党というものは政調会というものが厳存している以上は、そういうことは政調会が立案して、そこで内閣に命じてやったらいい。
たまたま時の政府、つまり政党責任内閣でありますから、保守党の責任内閣ができれば保守党の政策が現われる。この政策が仮にこの目的を遂げるためにあらかじめ障害をなすがごとき姿を以て現われたときにはそれはよけて通ればよろしい。目的だけは見失わないようにしなければならん。これが私ども教育者の理想を掲げて現実を歩むものであろうと思つて私は今日まで参つておる。
これは政党責任内閣の当然なこととして、自分のしたこと、自分の内閣においてその内閣のしたことに責任を負うべきで、従来の内閣、或いは文部省の名において行われたことを一切ことごとく責任を負う、私はそれは責任というものの観念じやないと思います。
こういうことを認めることは私は政党責任内閣政治をこれは破壊することだと思う、破壊することです、これは……。超然内閣みたいになつてしまう。それだからこそ内閣にのみ予算の編成提出権を認めているのであつて、若しそうでなかつたならば、その主倒的判断によつてしよつちゆうそういうふうに国会が予算の編成提出権をにぎつたらどうなりますか。
併しそういうことにると、非常にこれは政党の下にあつては、政党責任内閣のこの予算の編成が崩れるから、予算の編成権を、或いは提出権を内閣のみに限つたと思うのです。それを何か程度の差によつて、これが認めることが侵さなかつたり、或いは侵したりということは、私はおかしい。この点についてもう一度伺いたい。