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49件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1981-05-15 第94回国会 衆議院 文教委員会 第16号

また、私は、この際、特に大臣政党大臣ですから、そういうのを排除する、たとえ自分の党であろうが何であろうが、そういう不当な支配を排除する、それがあなたの役目です。それが教育基本法十条だと私は信じております。また、良識ある自民党の皆さんだって、このことはよくおわかりです。大臣も、もちろん、そうおわかりだと思いますが、大臣、いかがですか。

湯山勇

1980-03-04 第91回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

その荒波に押し返されまして、政党大臣が全部大臣を占めるなんということは遠慮しなければならないようになりまして、あるときは一人もしくは二人、あるときは衆議院から二人、参議院、当時は貴族院ですか、そこから二人、せいぜい多くて四名、それ以外は全部ほかの大臣、ほかのキャリアの大臣を任命したものです。  

竹本孫一

1979-12-07 第90回国会 衆議院 文教委員会 第2号

いいはいい、悪いは悪い、いろいろ入れるのはだめ、素人の政党大臣であるならば、むしろそういうことを率直にいろいろな方から——それは日教組だけという意味じゃありませんよ。もっといろいろな方と気楽に会うという姿勢ですね。いまいつ会えとかなんとかというのじゃないですよ。そういう基本的な姿勢ですね。不当の支配という中で長いそういう抗争があったわけです。そんなものをぶち破るためにも気楽に会いませんか。

木島喜兵衞

1976-10-29 第78回国会 参議院 運輸委員会公聴会 第1号

実はこれは国会だけでなく、政党大臣が長をしておられる省、大臣に任せるという場合でもこれは起こるのであります。  たとえば、国鉄ではありませんが、電電の料金というものは、さきおととしぐらいに改定する必要があったのであります。ところが、自民党政府はまだいかぬと言うて抑えられる。ですから、四十九年に、それまで順調な経営をやっておりました電電がおととし赤字を出しました。

細野日出男

1975-12-12 第76回国会 衆議院 文教委員会 第1号

大変失礼でございますが、もう一回、あなたが民間からあえて——昭和二十七年からずっと続いたところの政党大臣からあえて、教育基本法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、」というその立場に立って民間大臣に返った——私は本来の姿に返ったと言いたい、四権分立的な思想から言うならば。もちろん自民党内閣一員であるというあなたの立場もわかります。

木島喜兵衞

1975-12-12 第76回国会 衆議院 文教委員会 第1号

昭和二十七年まで民間学者大臣が続いて、岡野清豪さんが二十七年に政党大臣になられた。その次が大達さん、そういうことは、そこからなぜ民間大臣から政党大臣になったのかとお聞きいたしたときに、あなたは、そのころから、すなわち朝鮮戦争の少し前から世界の冷戦構造が続いてきた、その冷戦構造から政治は反応をし、そのことが教育にも及んだということをおっしゃいました。

木島喜兵衞

1975-06-03 第75回国会 参議院 文教委員会 第11号

宮之原貞光君 今後の教育の課題と展望の若干問題についてお伺いいたしたいと思いますが、まず、大臣にお伺いしたい第一点は、例の文明問題懇談会というのを設置して、何か「文部広報」によりますと、二、三回討論をされておるようですが、いままでの政党大臣には見られなかった長期展望を踏まえた日本教育施策を樹立しょうという意欲からだとは思うのでございますけれども、このような懇談会を設置された基本的なものの考え方、

宮之原貞光

1975-02-26 第75回国会 衆議院 文教委員会 第3号

政治に反映して、昭和二十七年岡野清豪さん、その次二十八年大達さん、政党大臣があなたの前まで続いたわけであります。それはいまおっしゃる冷戦によって政治支配され、そして与党である自民党思想をもって教育支配されてきた。そこから文部省と日教組自民党日教組の政争という言葉で言うならば、いわばその出発点があると私は考えます。  

木島喜兵衞

1973-03-02 第71回国会 衆議院 文教委員会 第4号

岡野さんから大達、清瀬と政党大臣になって、現在あなたになっているわけですよ。だから、この教育基本法をつくったときにはそういう思想があったと思うのです。だから私はいまあなたにすぐやめなさいとか、党籍を離脱しなさい、参議院議長みたいなことまで言いませんけれども、どっちがよりこの条文からいったら好ましいだろうか。

木島喜兵衞

1964-05-27 第46回国会 衆議院 国際労働条約第八十七号等特別委員会 第9号

政党内閣の政令や閣令によって、これが定められ、政党大臣がその権限を掌握することになる。そうでございましょう。そうすれば、人情のおもむくところ、当然自己の政党に忠節を誓う者が昇進をしたり重要視されたり、あるいは出世したりするようなことは、常識として考えられるじゃありませんか。私は、この弊害を一体どうして防いでくれるのですかと言うのです。

小林進

1964-02-06 第46回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

そういうこともあってもいいが、何だか政党大臣である田中大臣が、金融界に飛び込んで全くあがいておるのだ。そしてあがきの果ては、結局あなたの下にある得度の店舗金融あたり決済権大臣が取り上げてしまっていくような傾向に見える。こういうように見ると、どうも政党大蔵大臣あがきが、やがては金融政党支配していくのじゃないかというようなあがきにも見えてくるわけなんです。

小松幹

1963-05-07 第43回国会 参議院 地方行政委員会 第17号

それが新聞に出まして、非常にこじれてきまして、まあ、いいポストがあるから出るということは、従来の警察の精神に反するとか、あるいは政党大臣——新聞によりますと、政党大臣から世話を受けるということはよくない。いろいろ雑音と申しますか批判と申しますか、いろいろ入りました。そこで、私自身の黒星ということで実は一応事件がおさまっております。

篠田弘作

1962-09-05 第41回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号

まかされておることがよいことになって、政党大臣というものは実は案外にたな上げをされておる。これであっては、国の行政というものはこれはできないわけです。あなたは、単に農林大臣というばかりでなく、国務大臣なんだ。こういう国政全般について、あなたのやはり発言力というものは、これは下部に浸透されなければならぬ。

相澤重明

1962-08-21 第41回国会 衆議院 予算委員会 第2号

文部大臣政党大臣ですから、あなたが介入するということは政党が介入するということです。自民党からいろんな命令が出ると、あなたはそれを言わざるを得ない。大学の自治が侵害されたならば学問の自由はないのです。学問の自由がなければ大学使命を達成することはできないのです。それで、大学治外法権じゃないということを内藤次官は論文に書いておる。あるいは治外法権でないかもしれない。

野原覺

1962-02-07 第40回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号

灘尾さんは政党大臣ですから、憲法調査会のような国会でやったものをやるのならば、私はやっても文句は言いません。憲法調査会ではわれわれは負けたのだから、やむを得ぬ。これだって、私は令すぐ発足させてくれとは言っていないのです。一体いつごろまでに目鼻をつけるのかということです。いつも待った、待った、相手がいるから説得するまで待ってくれ、せっかく努力中だというが、十一月からやっておる。

滝井義高