1951-02-10 第10回国会 衆議院 予算委員会 第12号
しかしその違うところのいろいろの勢力が、あなたの言うところの西欧民主主義の政体のもとにおきましては、議会に出て来ていろいろ論議をするのが議会政治です。だから違うと言われるのならば、違う点はどこで明らかにするのだと大臣は考えておるのですか。私の考えでは議会だと思うのですが、違いますか。
しかしその違うところのいろいろの勢力が、あなたの言うところの西欧民主主義の政体のもとにおきましては、議会に出て来ていろいろ論議をするのが議会政治です。だから違うと言われるのならば、違う点はどこで明らかにするのだと大臣は考えておるのですか。私の考えでは議会だと思うのですが、違いますか。
となつており、刑法その他の適用がある場合は日本人であり、或る場合は外国人であり、いわゆるこの取扱いに困つて非日本人という一つの取扱い方で扱われておるようなところがございますが、実はこの問題は勿論講和会議で決定されるものと思つて、国民は今まで講和会議を非常に待望いたしており、講和会議の結果これらから来るいろいろの影響はなくなるものと考えておりましたが、今日の情勢を考えると、その帰属する本国の状態における政体
これは私から申すまでもなく、支那の三皇五帝というものも、元来水を治めてあの三皇五帝といつたような名君が出ておるわけでありまして、政治は君主政体であろうと、民主政体であろうと、どんな政体であろうと、水をりつぱに治めるということがやはり政治の中核の一つである。あるいは大部分であるといつてもよいのではないかと考えております。そこで治水関係を見ますと、日本の治水はまだなかなか完成いたしておりません。
現在私どもが受取りました民主主義政体というものは、西洋が近世文明において個人主義的な教育を十分にして初めてこれができて来たもので、ここにそういう形態はできても、それを受取るだけの力がわれわれにないと、一般的には言えるのではないかと思うのであります。
日本国と交渉ができませんが、世の中の独立政体とお認めになりますかと言うと、それはまだできない。それではソ連の軍政下において、そういう政体をお許しになるということは、私は不可能だと思いますがへいかがですか。それは君の解釈次第だ。もうあとはとりつく島もありません。そうしておいて、それから一箇月たたないうちに、ソ連は正々堂々と日本人の引揚げを発表しておる。
すなわち、これら国際間の状況を観察いたしまするのに、わが日本国は、連合国の指導のもとに、輝かしき戰後平和無血革命を断行して、政体、国体の上に、また政治、経済、社会の上において、目ざましき文化国家、民主国家としての実態を整えてきたのであります。もしこの上に、各国が日本を独立国家として承認を與えぬとするなれば、この上われわれに何を突行せよと言われるのであるか。
ソ連の方もいわゆる強権政体というのも変化されざるを得ない。こういう世界情勢があるという、それからもう一つ世界の見方について常識的に米ソ両圏というふうに分けて見れば、むしろ具体的には曾ての弱小民族というものの興起過程にあるのではないか。つまり中国はソ連の衛星になつたという考えをするものもあるが、むしろこれは自主性を持ちつつある。印度はアメリカ圏だというが、併しこれも独立性を非常に発揮し出した。
こう申上げたところがゲルハノフ曰く、いや、それは世界に一つしかない政体である。どういう政体でございますかと聞いたところが、民衆の声によつてでき上つたところのいわゆる政体であつて、ソ連はただそれを認めているに過ぎない。従つて中共政府のやることについて指導権は自分は持ち得ない。だからあなた方を帰すとか、帰さないとかいう決定は私にはできない、こういう話であります。
もう少しわれわれは限界を廣くして、ことに今度古い君主政体の憲法が廃止になつて、文民の民主主義の憲法である。何でもかんでも民主主義、民主主義といつても、事実は民主主義でもなんでもない。民主主義を蹂躙しておる。何の必要があつて、こんな制限をつくつたかわからぬ。それから立会演説ということがありますが、これも何も法律をもつて立会演説なんか規定する必要はない。やりたければかつてにやるがいい。
從つてアメリカにおける國家公務員制定の由來というものは、丁度英國におきましてあの立憲政体の基礎を作りました憲法制定と同じように、これは私が申上げるまでもなく人民の権利、解放のための誓約が憲法の基本であつたと思うのであります。ところが我が國の明治三十年の憲法はこの人民の権利を確保する誓約を逆に取りまして、天皇制の権力を強くするために作られた欽定憲法であつたのであります。
今の木下委員の御意見はこれは行政、司法、立法の子供でもよく存じ上げているところの日本の立憲政体の一つの姿で当然である。併し行政をしてその実情を挙げしめるものは國権の最高機関である立法府である。これを否定する思想もこれも誤謬である。
(「院内の大衆も反対だ」と呼ぶ者あり)私共は代議政体は、國会が國民を代表するものという政治的観念の下に行わなければならないのであるから、院外大衆の力によつて日本の國政が支配せられるということは、代議政体の根本を危くするものだと思つております。(拍手)(「内閣は何をするのだ」「答弁首相」「満点だ」と呼ぶ者あり) 〔國務大臣北村徳太郵君登壇、拍手〕
井上が山縣首相に送つた手紙には、今日の立憲政体の主義に從えば、君主は臣民の心の自由に干渉すべきでない。哲学上の問題は君主の命令によりて定まるべきものに非ず。從つて徳育に関することを勅語として発令することに反対し、山縣の反省を求めておる。
○安東委員長 最後にお尋ねいたしたいと思いますが、ワシントン三十日発U・P共同電によりますると、総司令官の参謀副長のフオツクス代將が、月末にアメリカ下院委員会で、日本人は共和政体に同意はしておるが、まだこれを受入れるだけの準備ができていない。こう申しております。
○説明員(加藤陽三君) ここで公共の秩序と申しますのは、我々の解釈いたしておりますところによりますと、法律及び社会慣習を以て確定せられておる社会公共の、何と申しますか、一定の秩序、例えば國家の政体のようなものから、日常の生活における交通上の一定の慣習化した道徳律、個人的な私生活に亘るものは勿論除きますが、法律を以て私有財産制が規定されておるようなこと、非常に廣汎な意味決池凡そ警察の対象となる一切の秩序
從いまして政体が変革されまして、財閥、既成政党その他各方面におきまして、すつかり態樣が変りました今日、官僚機構に対しましては、私は本來ならばこれは一應解体して、又は極度に簡素化して、チープ・ガバーメントの原則を先ず採用すべく、これが歴史の規準であると存じます。
しかし少くても昨年のこの國会におきましては、いわゆるあこがれ國体観の原理をわれわれは承認いたしまして、政体には変更あつたけれども、國体には変更なし、あの当時の金森國務大臣の有名な言葉、天皇は國民あこがれの中心である。國民の心と心のつながりの中心である。この心は今も昔も変つていない。たとえば川の水が流れても川が流れないのと同じで、わが國の國体は変つてないのだ、國民精神の核心は変つてない。
これが日本政体の特色である。今片山総理大臣が頻りに発表せらるるところは、高度民主主義といい、耐乏生活主義といい、その國民に望むところは精神的覚醒即ち道徳的反省である。換言すれば聖徳太子憲法の要諦である。元來眞の民主政治は、徳を以て國民を化し、國民も官吏を尊敬し、同胞相讓り、以て円満なる國政の運営を実現して行くべきである。
即ち新憲法は國民主権主義を國家組織の基礎とはいたしておりまするが、國の政体はやはり君主政体であると確信をいたしておる者であります。新憲法の第一條に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。」と、こうあります。即ち天皇の御一身を以たれまして國家を代表し或いは國民統合の表現であるということを私は信じておるものであります。
代議政体、すなわち代表政治は、その実、代表せられないところの場合においてのみ可能であるということを、英國の政治家が言つておつたようですが、要するに、われわれがわれわれの議会政治を今見るときに、この感を深くする。議会の勢力は、議会自身がそれを行使する場合においてのみ認容せられる。その事実は、事実において、多数を有する政党によつて行使せられる政党の独裁政治にほかならなかつたのではないか。