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360件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-02-10 第10回国会 衆議院 予算委員会 第12号

しかしその違うところのいろいろの勢力が、あなたの言うところの西欧民主主義政体のもとにおきましては、議会に出て来ていろいろ論議をするのが議会政治です。だから違うと言われるのならば、違う点はどこで明らかにするのだと大臣考えておるのですか。私の考えでは議会だと思うのですが、違いますか。

横田甚太郎

1950-07-29 第8回国会 参議院 外務委員会 第4号

となつており、刑法その他の適用がある場合は日本人であり、或る場合は外国人であり、いわゆるこの取扱いに困つて日本人という一つの取扱い方で扱われておるようなところがございますが、実はこの問題は勿論講和会議で決定されるものと思つて、国民は今まで講和会議を非常に待望いたしており、講和会議の結果これらから来るいろいろの影響はなくなるものと考えておりましたが、今日の情勢考えると、その帰属する本国の状態における政体

團伊能

1950-07-19 第8回国会 衆議院 建設委員会 第2号

これは私から申すまでもなく、支那の三皇五帝というものも、元来水を治めてあの三皇五帝といつたような名君が出ておるわけでありまして、政治君主政体であろうと、民主政体であろうと、どんな政体であろうと、水をりつぱに治めるということがやはり政治の中核の一つである。あるいは大部分であるといつてもよいのではないかと考えております。そこで治水関係を見ますと、日本治水はまだなかなか完成いたしておりません。

増田甲子七

1950-03-31 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号

日本国と交渉ができませんが、世の中の独立政体とお認めになりますかと言うと、それはまだできない。それではソ連軍政下において、そういう政体をお許しになるということは、私は不可能だと思いますがへいかがですか。それは君の解釈次第だ。もうあとはとりつく島もありません。そうしておいて、それから一箇月たたないうちに、ソ連は正々堂々と日本人引揚げを発表しておる。

金子麟

1950-03-10 第7回国会 衆議院 本会議 第24号

すなわち、これら国際間の状況を観察いたしまするのに、わが日本国は、連合国指導のもとに、輝かしき戰後平和無血革命を断行して、政体、国体の上に、また政治、経済、社会の上において、目ざましき文化国家民主国家としての実態を整えてきたのであります。もしこの上に、各国が日本独立国家として承認を與えぬとするなれば、この上われわれに何を突行せよと言われるのであるか。

世耕弘一

1950-02-13 第7回国会 参議院 外務委員会 第2号

ソ連の方もいわゆる強権政体というのも変化されざるを得ない。こういう世界情勢があるという、それからもう一つ世界の見方について常識的に米ソ両圏というふうに分けて見れば、むしろ具体的には曾ての弱小民族というものの興起過程にあるのではないか。つまり中国はソ連の衛星になつたという考えをするものもあるが、むしろこれは自主性を持ちつつある。印度はアメリカ圏だというが、併しこれも独立性を非常に発揮し出した。

星野芳樹

1949-11-18 第6回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

こう申上げたところがゲルハノフ曰く、いや、それは世界一つしかない政体である。どういう政体でございますかと聞いたところが、民衆の声によつてでき上つたところのいわゆる政体であつてソ連はただそれを認めているに過ぎない。従つて中共政府のやることについて指導権は自分は持ち得ない。だからあなた方を帰すとか、帰さないとかいう決定は私にはできない、こういう話であります。

金子麟

1949-07-22 第5回国会 衆議院 選挙法改正に関する特別委員会 第10号

もう少しわれわれは限界を廣くして、ことに今度古い君主政体憲法が廃止になつて、文民の民主主義憲法である。何でもかんでも民主主義民主主義といつても、事実は民主主義でもなんでもない。民主主義を蹂躙しておる。何の必要があつて、こんな制限をつくつたかわからぬ。それから立会演説ということがありますが、これも何も法律をもつて立会演説なんか規定する必要はない。やりたければかつてにやるがいい。

齋藤隆夫

1948-11-22 第3回国会 参議院 人事委員会 第3号

從つてアメリカにおける國家公務員制定由來というものは、丁度英國におきましてあの立憲政体基礎を作りました憲法制定と同じように、これは私が申上げるまでもなく人民権利、解放のための誓約憲法の基本であつたと思うのであります。ところが我が國の明治三十年の憲法はこの人民権利を確保する誓約を逆に取りまして、天皇制の権力を強くするために作られた欽定憲法であつたのであります。

土橋一吉

1948-07-03 第2回国会 参議院 本会議 第58号

(「院内の大衆も反対だ」と呼ぶ者あり)私共は代議政体は、國会國民を代表するものという政治的観念の下に行わなければならないのであるから、院外大衆の力によつて日本國政が支配せられるということは、代議政体の根本を危くするものだと思つております。(拍手)(「内閣は何をするのだ」「答弁首相」「満点だ」と呼ぶ者あり)    〔國務大臣北村徳太郵君登壇拍手

芦田均

1947-11-19 第1回国会 参議院 治安及び地方制度・司法連合委員会 第4号

説明員加藤陽三君) ここで公共秩序と申しますのは、我々の解釈いたしておりますところによりますと、法律及び社会慣習を以て確定せられておる社会公共の、何と申しますか、一定秩序、例えば國家政体のようなものから、日常の生活における交通上の一定の慣習化した道徳律、個人的な私生活に亘るものは勿論除きますが、法律を以て私有財産制が規定されておるようなこと、非常に廣汎意味決池凡そ警察の対象となる一切の秩序

加藤俊一

1947-10-03 第1回国会 衆議院 司法委員会 第44号

しかし少くても昨年のこの國会におきましては、いわゆるあこがれ國体観の原理をわれわれは承認いたしまして、政体には変更あつたけれども、國体には変更なし、あの当時の金森國務大臣の有名な言葉、天皇國民あこがれ中心である。國民の心と心のつながりの中心である。この心は今も昔も変つていない。たとえば川の水が流れても川が流れないのと同じで、わが國の國体変つてないのだ、國民精神の核心は変つてない。

北浦圭太郎

1947-09-15 第1回国会 参議院 本会議 第30号

これが日本政体の特色である。今片山総理大臣が頻りに発表せらるるところは、高度民主主義といい、耐乏生活主義といい、その國民に望むところは精神的覚醒即ち道徳的反省である。換言すれば聖徳太子憲法の要諦である。元來眞の民主政治は、徳を以て國民を化し、國民も官吏を尊敬し、同胞相讓り、以て円満なる國政の運営を実現して行くべきである。

來馬琢道

1947-08-01 第1回国会 参議院 司法委員会 第7号

即ち新憲法國民主権主義國家組織基礎とはいたしておりまするが、國の政体はやはり君主政体であると確信をいたしておる者であります。新憲法の第一條に「天皇は、日本國象徴であり日本國民統合象徴であつて、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。」と、こうあります。即ち天皇の御一身を以たれまして國家を代表し或いは國民統合の表現であるということを私は信じておるものであります。

鬼丸義齊

1947-07-10 第1回国会 衆議院 本会議 第15号

代議政体すなわち代表政治は、その実、代表せられないところの場合においてのみ可能であるということを、英國政治家言つてつたようですが、要するに、われわれがわれわれの議会政治を今見るときに、この感を深くする。議会勢力は、議会自身がそれを行使する場合においてのみ認容せられる。その事実は、事実において、多数を有する政党によつて行使せられる政党独裁政治にほかならなかつたのではないか。

赤松明勅