2004-05-11 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第15号
戦後は、GHQ、アメリカ軍の放出物資で粉ミルク。あれは粉ばっかり下に沈んでまずいようなんですが、いや、まずかったですけれども、まずかったけれども、少しの甘みがあって、当時は甘みは全然ないですからね。栄養的には大変優れたものだそうですね。要するに、残らず全部食べろと言われて食べて、これは結果的に非常に良かったんじゃないか、私たちにとっては、というのがずっと続きました。
戦後は、GHQ、アメリカ軍の放出物資で粉ミルク。あれは粉ばっかり下に沈んでまずいようなんですが、いや、まずかったですけれども、まずかったけれども、少しの甘みがあって、当時は甘みは全然ないですからね。栄養的には大変優れたものだそうですね。要するに、残らず全部食べろと言われて食べて、これは結果的に非常に良かったんじゃないか、私たちにとっては、というのがずっと続きました。
私はまさに戦中派でございまして、あの戦争中の食糧難で苦しんだとき、また昭和二十年代のアメリカの放出物資をいただいた当時、また窓を壊して国鉄に乗った思い出等々を考えますと、食糧というものがいかに大事かということがわかります。 しかし、日本の経済が高度成長いたしまして、今、豊かな経済になった。
私は、先ほどのお話を聞きながら、昭和二十年代におきまして、進駐軍と言われましたアメリカ軍等から放出物資として小麦をいただいたときに、これはもう要らないものを送ってきたというふうな風潮もございましたけれども、我々は、あの二十年代に飢えをしのいだことは間違いないことであります。 そのことを思い起こしますと、やはり人道的な見地で隣の国である北朝鮮に援助することは必要なことだと考えております。
その後、アメリカの占領軍が入ってきて、それでいろいろな放出物資などがあったり、そのころに初めて、あれが給食のはしりかなと思うのですけれども、今考えてみるとあれはパンの耳だったんですけれども、きっとアメリカの兵隊さんたち、入ってきた駐留軍関係の方々などがサンドイッチにして食べたその端っこの切れ端だったと思うんですね。
そんなときに、かつての敵国であったアメリカより放出物資をいただき、飢えをしのぎ、医薬品等の配給を受けながら悪疫の流行を防ぎ、徐々に徐々に力をつけてきたところであります。さらには、荒廃した産業基盤の復興のための技術指導を受け、今はまさに対等以上とすら言われるほどの技術を持つに至ったとうとい経験を持った日本の国であります。
菱村さんや前畑さんの時代になると、アメリカの放出物資で何か馬か牛の飼料を食わされて喜んだ時代があったんですね。今のまた課長さんたちになると、少々はパンらしいものや本物の牛乳なんかも飲ませた。こういう給食の歴史があるんです。
ですから、いわゆるアメリカの放出物資をもらって、そして当初は牛や馬に食わす飼料を砕いて食べたという名残がまだ残っているのじゃないかというような気がするんですけれども、どうなんでしょう、この学校給食会がそういうことも含めてきちんとした機能を果たしているのかどうか、ちょっとお伺いしておきたいんです。
なお、先ほどアメリカの余剰農産物で云々というお話がございましたけれども、私の記憶でも、戦後アメリカのララの放出物資によって我々が食をしのいできたという経験もあり、一概に共産党の皆さんがおっしゃるようなことはいかがかな、決して反論するつもりではございませんが、私の感じを申し上げておきます。
それで、全般的な問題になりますけれども、学校給食会のあり方にまたかかわるところの問題ですが、給食会のそもそもの生い立ちというのを振り返ってまいりますと、私は、やはり終戦直後の物資のなかったときあるいは連合軍の放出物資、あるいはアメリカからの脱脂粉乳を支給し、これを中心にして学校給食というものを漸次広げる上で非常に大きな役割りを果たしたという点は私も高く評価をするわけでございますが、ただ、特殊法人としてやってきたところの
主要なポイントは警察庁の方からの御答弁にございましたので、つけ加えるべき点に限りたいと思いますが、終戦直後の昭和二十六年からも覚せい剤の締まりを行いましたが、その際の覚せい剤の原料関係は、軍の放出物資、あるいは合法的に売り出されておりました薬、さらにそれに密売が加わったというふうな形のものでございます。そのときの末端価格はまあそう高いものではなくて、したがって若い学生等も相当数に使っておった。
そのほか、洗剤、砂糖、小麦粉、しょうゆ等の放出物資販売に対しまして協会の各会員店は必死の協力をしたわけでございます。この販売につきましても、私どもがやりました一例を申し上げますと、たとえば砂糖でございますと、何々店でこれを販売せよというお話がございます。
また、通産省がトイレットペーパーの放出をなすった場合も、砂糖におきましても、東京でも百貨店とかスーパーで放出物資を扱わさした。
緊急放出物資が、二、三日すれば、買いに来てくれる者があまりなくなるといういろいろな実例から見ましても、そのことは言えると思うのです。 だから、いま一番大事なことは、せっかくゆるんでまいりました、やや安定してまいりました、あるいは値下がりを見せ始めたいまに、思い切って、全力をあげて、国民の気分的な、心理的な安心感をいかに促進するかということが問題だと思うのです。
それからもう一つ、あまり困って延々長蛇、いまでも並んでおりますが、特に先生方も骨を折っていただきましたけれども、特に警視庁が動きまして、普通の状態ではない、もう非常事態だ、パニックだということで、通産省や運輸省その他で、われわれもやった結果、緊急用としてアンラ、ラフの放出物資と考え方は同じです。
メーカーによっては畜種別にそれぞれ配合飼料がございますけれども、おおむねこの払い下げ期間におきます各メーカーの配合飼料はすべて、先生御案内のとおり、麦は政府の専管物資でございますので、政府の放出物資以外では配合原料が入手できない、それからマイロ等にかわります古々米を材料といたしまして製造するわけでございまして、全く同じ銘柄のもので政府の放出を受けないものが生産されるというようなことは、この期間はまずないのじゃないかというふうに
きのうは農林大臣は買い占め売り措しみに対する本会議の答弁で、このような飼料対策として放出物資はできる限り安く放出をする、こういう言明をされたことをよく覚えております。
というきわめて——現在あなたが考えておられますところの、はからずもころげ込んだこのたびの八万五千トンという膨大な学校給食をアメリカの放出物資によって行なうには、少なくとも実施主体というものが明確でない。中央にはこの法律に基づいて給食会というものがありますが、地方には社団法人ですか、都道府県の団体というものがそういうものであり、そして学校給食協議会というものが主としてその実務に当たっておる。
従来の経過というのは、御承知の通り昭和二十年、戦後のアメリカ援助物資の放出によって、端的にいえばこれは難民救済的な、たとえばララ委員会の放出物資等を用いて、そうして一番大事な子供たちに対して学校を通じて給食を行なう。そういうことがだんだん制度化して、その後は今度はアメリカの余剰農産物買い入れ協定の別途協定として、そうしてさらに継続的にアメリカから脱脂粉乳の現物供与を受ける。
いわんや八万五千トンの放出物資を日本に入れた場合、今大臣が言われたような安易なお気持では処理がつきますまい。私は必ずそういう事態が起きるということを予言しておきます。そのときの責任は重大でありますよ。まあそれはそれとして、うまく処理できればそれに越したことはないのでありますが、しかし必ず残品が出る、今まですらもこのような大きな不適品と称するものが出ておるのだから。
学校給食が残念ながら八万五千トンも、国内牛乳の四四%にも当たるような大量を、アメリカの放出物資を使わなければならないという事態に至っておるということも、要するに国産牛乳の消費拡大をしていくためには、現在の食品衛生法の規制があまりにも前近代的である。明治、大正時代において牛乳が希少価値として取り扱われた、あるいは薬のような取り扱いを受けたときと五十歩百歩の取り扱いをあなた方はしておられる。
○小林(信)分科員 そこで私が言いたいのは、今まで脱脂ミルクを放出物資というような形で飲ましたことがございます。ところが実際においてはそんなに児童生徒は喜ばないのです。これは文部省でも十分御存じのところだろうと思うのです。
余剰農産物のCCCの放出物資であります。これをアメリカの正常な市況からいいますと、大体日本とアメリカは、なま乳とか、あるいは加工乳一升に換算しますと、大体平均六十円くらいであります。ですからアメリカのCCC、つまりアメリカの酪農不況を政府が政策的に買い上げた脱粉でもって日本の学童に給食をするということは、間接的にアメリカの酪農民の救済を日本の学童給食でやるという結果に残念ながらなるのであります。
弁当に期待しておったのではどうにもならないという現実に直面して、たまたま放出物資等がございまして、アメリカが占領政策上の見地からもあったでございましょうが、学校給食ということを始める機会が訪れた。ですから、食糧事情が非常に困難だからそれに応ずる応急措置としてたまたま始まったことだ、こう申し上げ得ると思います。
アメリカの法律を見ると、この援助物資に対しては贈与と信用貸しの二つがあるということはきめられておりますけれども、そのときは放出物資、余剰物資、何と名前を言おうとも、贈与である点について私は感謝をしたのでございます。これが債務であるなら感謝決議などする必要はなかったと思うのであります。
それから、余剰放出物資につきましては千五百六十五万七千七百六十九ドル程度でございまして、ただいまの分が返還でございます。それから横流れの分につきましては、私存じておりません。
○野溝勝君 私はあまりこまかいことで、表現の上で議論をしたくないのでございますが、総理は放出物資であるから感謝決議はそれに限られておると言われますが、対日援助資金の中には放出物資も含まれておるのでございます。これは私は別々に解釈するという人も、あなたのような見解の人もあるでしょうけれども、その当時の会計事情から見れば、含まれている、私はこの立場に立っておるのでございます。