2015-07-30 第189回国会 参議院 農林水産委員会 第13号
農地委員会、それから農業調整委員会、農業改良委員会、この三つが統合したと。農業委員会の母体となっていた農地委員会と農業調整委員会が選挙制を取っていたこともあって、農民の代表である農業委員の選出に当たって選挙制を採用したということを答弁をされています。
農地委員会、それから農業調整委員会、農業改良委員会、この三つが統合したと。農業委員会の母体となっていた農地委員会と農業調整委員会が選挙制を取っていたこともあって、農民の代表である農業委員の選出に当たって選挙制を採用したということを答弁をされています。
○林国務大臣 農業委員会は昭和二十六年に各市町村に設置されたものでありますが、農業全般にわたる問題を農業者が自主的に解決していくために、それまであった三つの委員会、すなわち農地解放による農地の売り渡しを行った農地委員会、それから農業者から食糧の供出を行った農業調整委員会、農業者への技術指導を行った農業改良委員会、この三つの委員会を統合してできたというものでございます。
まず、選挙制度でございますが、歴史を遡りますと、昭和二十六年の農地解放で農地の売渡しを行った農地委員会、それから食料の供出を行った農業調整委員会、技術指導を行った農業改良委員会、これ三つが一緒になってできたのが農業委員会でございますが、当時どの農民もおおよそ同じ経営規模であったということと農地委員会と農業調整委員会が選挙制ということがあって、選出に当たっては選挙制を採用したと、こういうことであります
農業委員会は、昭和二十六年に、農地解放によって農地の売渡しを行った農地委員会、それから農業者から食料の供出を行った農業調整委員会、それから農業者への技術指導を行った農業改良委員会、この三つの委員会を統合して設立された組織でありまして、農業全般にわたる問題は農業者が自主的に解決していくために地方自治体の組織として設置をしたと、こういう歴史的な経緯がございます。
一つは農地解放による農地の売渡しを行った農地委員会、それからもう一つは農業者から食料の供出を行った農業調整委員会、それから農業者への技術指導を行った農業改良委員会、この三つの委員会を統合して新たにこの農業委員会という組織が設立をされております。 農業全般にわたる問題を農業者が自主的に解決をしていくという趣旨でこういった機関を地方自治体の組織として設置をしたと、こういうことでございます。
昭和二十六年に、農業調整委員会、農業改良委員会、農地委員会という三本が一本になりました。それで農業委員会というものが発足したわけです。当時の自民党政府は――いまでも自民党政府でありますが、この三本を一本にしたときに、農業委員会の任務は三つの責任を引き継いでいくのですよ、こういうことで、財政措置は国が全額持つというので出発した制度であります。 先ほど超過負担の問題が出ました。
○柴田委員 農業委員会ができた当時の農林省の考え方というのは、当時農業調整委員会があり、農地委員会があり、農業改良委員会があり、この三つの制度のあったことは御承知のとおりであります。この三つを一本にして、その市町村の中における農業振興をやらせる、それから振興計画も立てるがいろいろな事業実施もやる、こういう趣旨のもとにあれを一本にして、農業委員会というものができたことを十分御理解願っておると思う。
いままでの戦後の日本の農村の農業政策を進める中で、その歴史を振り向いてみると、農地調整法に基づく農地委員会制度があり、農業改良助長法に基づく農業改良委員会制度があり、また食糧確保臨時措置法に基づく農業調整委員会があって、この二つの制度を発展的解消して農業委員会というものをつくった。
ということは、御承知の農業改良委員会、食糧調整委員会、農地委員会、この三つの委員会がおのおのその使命を果したから、大体一本にして、別な段階に進んで、そうして組織を改めて農業委員会法として出発したのであります。
農業委員会は、御承知の通り、昭和二十六年農業委員会法の制定によって、従来の農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会の一著につきそれらの職能を総合整備するため、一委員会として統合し、原則として地方自治体の地域ごとに当該地方自治体の機関である農業に関する行政委員会として設置せられたものであります。
農業委員会は、御承知の通り、昭和二十六年農業委員会法の制定によって、従来の農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会の三者につきそれらの職能を総合整備するため、一委員会として統合し、原則として地方自治体の地域ごとに当該地方自治体の機関である農業に関する行政委員会として設置せられたものであります。
そもそも農業委員会は、昭和二十六年に農業調整委員会、農地委員会、農業改良委員会、この三つを合併してできました。それを供出制度の緩和なりあるいは農地事務の減少に従って、さらに二十九年に現行法に変えてきたのであります。
農業委員会は、御承知の通り、昭和二十六年農業委員会法の制定によりまして、従来の農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会の三者につき、それらの職能を総合整備するために、一委員会として統合し、原則として地方自治体の地域ごとに当該地方自治体の機関である農業に関する行政委員会として設置せられたものであります。
農業委員会は、御承知の通り、昭和二十六年農業委員会法の制定によって、従来の農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会の三者につき、それらの職能を総合整備するため一委員会として統合し、原則として地方自治体の地域ごとに、当該地方自治体の機関である農業に関する行政委員会として設置せられたものであります。
農業委員会は、御承知の通り、昭和二十六年農業委員会法の制定によって、従来の農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会の三者につきそれらの職能を総合整備するため、一委員会として統合し、原則として地方自治体の地域ごとに当該地方自治体の機関である農業に関する行政委員会として設置せられたものであります。
従いまして、これは只今の御質問に対するお答えになるかどうかわかりませんが、政府といたしましては、これを以て農業団体の再編成であるというような大きなことを申上げることは勿論できませんし、この点は金子提案者から只今お話がありました通りに存じておるわけでございまして、ただ現段階といたしましては、この農業委員会につきましても、すでに御承知の通り、食糧調整委員会、農業改良委員会並びに農地委員会というものを政府
又農業委員会につきましては、これも松浦委員が只今御指摘になりました通り、終戦後におきまするところの農地改革という大きな日本の農村の革命的な事業を行いました農地委員会、又戦後におきまするところの食糧供給を担当して頂きました食糧調整委員会、又は農業改良委員会、こういう三つの委員会を一本にまとめた重大な使命を持つておりまするものが、この農業委員会でございまして、今日の段階におきましては、この農業委員会の存在理由
○政府委員(野原正勝君) 御承知の通り農業委員会は従来ございました農地委員会や農業調整委員会、それから農業改良委員会の三つを合せて一本にいたした関係で、農業改良普及といつたような面だけからこれを見ますというと、仰せのごとく従来よりも多少縁故が稀薄になつたとも言い得るかと思うのでありますけれども、併しながら農村の実態に即応いたしまして、農地改革後における日本農業の進歩と発展のために新らしい意味においての
以前この改良普及事業に附随しておりました委員会におきましては、改良委員会と普及事業とは密着な関係がありまして、非常にその業績が挙つたと思うのでありますが、最近におきまして農業委員会になりましてから、どうも委員会と普及事業との密着が前ほど緊密でないように窺われるのでございますが、その辺政府当局ではどういうように考えておられますか。
農業委員会の機能が停止されて新しい農業改良委員会のような性格を持つたものが生れる。そういうようなことにならないように、事前にその転換をして行く。将来日本の農業の前進をする一つの拠点になつて行くことがこの農業改良の問題だと思いますが、その場合にスムースに転換ができて行くように、十分ひとつ御注意が願いたいということをこの際申し上げておきたいのであります。
それらの点にかんがみまして、私どもといたしましては、御趣旨に沿つて農業改良事業の今後の推進をはかるために、農業委員会法の中に一定の規定を置きまして、従来の農業改良委員会にかわります市町村農業委員会の代表者会議というものを法律上設置いたしたことは御承知の通りであります。
○国務大臣(根本龍太郎君) 御承知のように從前は農地委員会、農業調整委員会、或いは農業改良委員会というような三つの委員会がありまして、錯綜しておりましたのを今回一本の農業委員会にいたしたのであります。これは出発したばかりでございまして、まだその功罪が明らかになつていない状況でございます。
の請願(志田義信 君紹介)(第五八二号) 四四 駒込部落に揚水施設設置の請願(志田義信 君紹介)(第五八三号) 四五 国営諌早干拓事業促進に関する請願(田口 長治郎君紹介)(第五八四号) 四六 丹生川防災ため池事業促進の請願(志田義 信君紹介)(第五八六号) 四七 舟形村福壽野附近かんがい用水路改修工事 施行の請願(志田義信君紹介)(第五八七 号) 四八 農業改良委員会存置