1974-05-16 第72回国会 参議院 外務委員会 第12号
たとえば、臨時革命政府の支配区域の人々の日本への入国を認めるなどということは、当然であると思うんでありますが、そういうお考えがあるかないか。先ほどのパリの国際会議では、臨時革命政府を全く黙殺、無視しておるわけでありまして、臨時革命政府ということばは、どこへも、一言も出てこない。この会議は、それ自体パリ会議に逆行しておる。パリ会議の尊重という方向には逆行しておる。
たとえば、臨時革命政府の支配区域の人々の日本への入国を認めるなどということは、当然であると思うんでありますが、そういうお考えがあるかないか。先ほどのパリの国際会議では、臨時革命政府を全く黙殺、無視しておるわけでありまして、臨時革命政府ということばは、どこへも、一言も出てこない。この会議は、それ自体パリ会議に逆行しておる。パリ会議の尊重という方向には逆行しておる。
汪兆銘政府の支配区域というものは日本軍の占領する地域でありまして、それは点と線であります。しかし日本はそれを、蒋介石を相手にしない、それで汪兆銘政府を相手にして基本条約をつくり、国交調整をした。当時日本はそれは有効だ、中国を代表する有効政府ということでやったのであります。 それからまた、たとえば満州の問題とか、張作霖が満州を支配しているときにソ連との間に協定をつくっていますね。
しかしあの条約は、ちゃんと現実の適用区域というものは国民政府のその時点における支配区域に限って、実際問題として大陸は別なんですから、その点を国民政府に十分に現実から説いて、たとえば先ほどの外務大臣のおことばの中にもあったように、国連における北京政府、台湾政府両政府の関係は、国連加盟国としての日本の立場から見れば、国民政府に、日華平和条約があるのだから、どうしても北京政府が中国の代表として国連に迎えられるということに
このサンマ船の操業海域は、主として歯舞、色丹の沖合いでありまして、現在日本の実質的な支配区域外にある水域の近辺が主たる漁場でありまして、それより南に下りまして三陸、常磐沖合いまで参るわけでありますが、北海道におきましてはきわめてまれに、七海里程度のところまで参るようなことがございます。しかし、その大部分は道東の沖合い約二十海里ないし三十海里とわれわれ考えております。
これを分離国家とのあれでありますから、なかなかむずかしい点でありますけれども、大体その相手国としてどういうものを国家として承認し、それと条約を結ぶかという場合に、政府とかそれの支配区域とかいうものが確立していなければ、それは相手とすることはできないということがございます。
この点は、今度の話し合いで、いわゆる支配区域と申しますか、管轄地域と申しますか、これは具体的に何かお話が出てまりましたか、お尋ねしたいと思います。
ですから、たとえば一工場に対して十五万トンなら十五万トンという一つの限度というものを設定して、そしてそれを一工場の支配区域にする、そういうことにして、その予定された地域内において工場側においても抽象的協力じゃなくて具体的な生産者に対する協力を行なって、その地域内において二年ないし三年の後には十分の、原料が確保できるというような、そういう体制というものは現実の問題としては必要ではないかと私は考えておるのですが
そういうことが計画的に明らかになっておるんですから、工場の建設を認める場合は、その工場の支配区域がどこまでということが決定されていなくて常に不安定なものであるということになると、これは動揺するんです。ですからそういう必要はないと思うんですね。