2002-03-25 第154回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
もちろん、沖縄のああいう支那そばとか、もう本当おいしいですよ、私も大好きですけれども。いろんなレストランもああいうテーマパークにはあるわけです、イタリア料理もあればインド料理もあればフランス料理もあれば。やっぱり観光客が沖縄に行ったときに、例えば、今世界が至れり尽くせりのリゾートですから、今日沖縄料理食べたら、明日もまあ沖縄料理食べようと、おいしいから。
もちろん、沖縄のああいう支那そばとか、もう本当おいしいですよ、私も大好きですけれども。いろんなレストランもああいうテーマパークにはあるわけです、イタリア料理もあればインド料理もあればフランス料理もあれば。やっぱり観光客が沖縄に行ったときに、例えば、今世界が至れり尽くせりのリゾートですから、今日沖縄料理食べたら、明日もまあ沖縄料理食べようと、おいしいから。
東京ではそれにかわるべき言葉として、適当かどうかはわからないけれども、支那そばという言葉があったんです。じゃ一度その支那そばを食ってみたいと。食べてみたら、やけに鼻についちゃって余りうまくない。これが北海道じゃうまいのかなと、妙な疑問を持ったんですね。 それからもう一つ、親戚の者との対話の中でいささか異様な感じを持ったのは内地という言葉なんです。
なお、ちょっと申し上げたいのは、先ほど数字で御質問がございました約六千五百軒という、その深夜喫茶といいましたのは、これは深夜喫茶等というので、いわゆる深夜バーとか、それから深夜の支那そば屋……まあ支那そば屋は入りませんが、深夜バーとか、あるいはそれに類するようなもので、届け出たもの全体が約六千五百軒で、いわゆる喫茶店だけではございませんですが、しかしながら、そのうちにも喫茶店は非常に多いのでございまして
最近はまた支那そばについても害のあるものを国民に食わされておる。東京の最も繁華街と言われております新宿の駅前へあなた方行ってごらんになってもそうです。ほこりの中にお菓子が並んでおって、それを国民は買わされておるわけです。これは厚生省のおひざもとにおいてなおさらそういう実態がある。ああいうものが菌がないとかあるとかいってみたって、これはもう想像外のものだと私は思う。
仮にその幾多の例がたくさん出ておるわけでありますが、もう交通はなくなつた、そうして全然もう電車もバスも通つていないときに、働いておる一線の運転者がお腹が空いたというので夜中の二時三時にそこへ車をとめて屋台で支那そばか何かピーとやつて来たやつでお腹を満たした。たまたまとまつておつた車がバスの停留所であつた。こういう場合はバスの停留所に車をとめたのでこれは違反だと叱られてしまう。
けれども、また不景気になつて来ると、こういう連中が工場を追い出されて、おでん屋をやつたり、支那そば屋をやつたりして、中小企業や小商人に転落して、自分の生活を詰めながら、大体日本の人口の調節をはかつておるようであります。こういう形がある限り、私は国家全般として、とうてい正常な姿ではないと思うのであります。
それが皆ヒロポンだというところから見ましても、非常に今学生諸君がヒロポンを使つておるということは、これは全く憂うるに足る点だと思うのでありますが、手に渡らないようにするには相当むずかしい技術的な面があるのだと思うし、現在は何ですか支那そば屋だとか、それからおまんじゆう屋だとか、そういうようなところでも、ともかく子供が飛んで行けば幾らでも買える。
きのう私は公聽会の席上でちよつと私の意見を申し上げたのですが、勤労者のたとえば夜勤料あるいはまた徹夜料、超過勤務手当、これは非常に零細なものですが、しかも夜勤の場合に、その夜勤料などというものは、今日では支那そば一ぱい食えぬような夜勤料です。そういう夜勤料の収入に対しても税をかけておるのが今日の建前であります。
支那そば一ぱい食えない。超過勤務手当におきましても、これまた実際の額からいえば問題にならぬ。そうして余分のエネルギーを使つて、そのエネルギーを補給するに足りない超過勤務手当をもらつておる状態である。越冬資金におきましてもこれは食えぬからもらう。そして家計は赤字に次ぐに赤字である。そうして越すに越されぬ年末をどうするかという必死の問題にぶつつかつて、初めて政府と囲いながら越冬資金をもらう。
ところが料飲店が再開されると同時に、たとえばコーヒー店で百円なり、百五十円なりを使うような方々は、あるいはそば屋ができたり、支那そば屋ができたり、あるいはビヤホールができたりというようなぐあいで、それに使うような方方は大体そういうビヤホールだとか、あるいはそば屋というような店に転向をしまして、一般の甘味喫茶協同組合あたりではまつたく成り立たないような状態であるのにかかわらず、今年度は昨年度の仮更正決定