1947-08-04 第1回国会 衆議院 外務委員会 第4号
――――――――――――― 七月二十八日 北洋漁場支那東海、黄河南支那海等の漁場開放 に關する陳情書 沖縄の日本國へ復歸に關する陳情書 が本委員會に送付された。
――――――――――――― 七月二十八日 北洋漁場支那東海、黄河南支那海等の漁場開放 に關する陳情書 沖縄の日本國へ復歸に關する陳情書 が本委員會に送付された。
しかしながら他の支那あるいは南方方面はほとんど全部歸つております關係上、どうかして早く歸してもらいたいものだと思うのであります。決してわれわれ日本の國民がソ連を恨むとか、あるいはソ連をなじるとかいうのではないということをよく御了解を願いまして、とにかくわれわれ日本の國民は、ソ連は最も人道主義を標榜している國でありますから、日本人に對しては必ず優遇しているものであるという信念に立つております。
それは政黨になるかならぬかということになりましようが、支那には孫文の三民主義があり、インドにはガンヂーの無抵抗主義がある。こういうものもやはりいろいろな主義というものにおいて、われわれ研究していつたならば、相當研究の材料になると思うのです。そういうたくさんの政黨があつて、そして互いに思想を掲げ、政綱を掲げて切磋琢磨するところに人類の發達があり、文化の向上があるとも考えられる一面があるのであります。
しかしながら先生は、後に創作をやめられまして、主として学究生活に入られ、江戸文学、支那文学、宗教文学等々、古典文学の研究に没頭いたされ、その該博なる知識、そのゆたかなる学徳は、まさに入超の域にさえ達せられ、日本においての最も貴重なる文化的存在として、何人もこれを認めない者はなかつたのであります。
昭和十一年は御承知の通り支那事變以前であります。日本の國家の情勢は、今日とまつたく違つた状態にある。そういうときに決定されたところの、すなわち死文化しているような閣令を基準にして、もつて政府の權威ある決定を無視する。こういう實情が現われておるわけであります。
東洋におきましても、支那といわず、日本といわず、ほとんど破壞されておるのであつて、日本の今後の復興に伴つて國際的に觀光施設を考えていかなくてはならないのであります。それには日本経濟と日本國民の文化とが併行していかなければならない。觀光というものは單に見て驚く、驚くべき美觀であるというだけが本体ではない、世界の國民が最もその國を愛するということが根本であります。
大正以來私は何囘か大きく叫んで、あの第一次ヨーロツパ戦争直後に、科學教育の振興ということが非常に大きく叫ばれて、舊中等學校あるいは小學校における科學教育というものが、非常に進んだのでありますけれども、その後またそれが沈滞しまして、ちようど支那事変中でありましたが、再び科學教育の振興ということが非常に叫ばれてまいつたのであります。
そういうように日本で出しておりますが、支那でも、ロシヤでもやつておる。濠州でもやつておる。アメリカでもやつておる。そういう放送をやつておるのを日本で聽くわけです。そうしてワシントンの放送したものを聽けばアメリカのもの全體がわかる。
昭和十二年の支那事変前よりわずか五分の一であります。これでは、いかに田をよくつくつても、結実が惡いのであります。実をよくしなければなりません。それがためには政府はいかなる盡力をし、努力をしても、連合國におすがりして、燐酸加里肥料の輸入に努力しなければならぬと思うのであります。
御承知の通り我が國は支那事変以来、軍部官僚の圧迫によつて、民意民力は萎縮沈滞に陥つておる。この惰性が未だに抜け切つておらない。更に加うるに敗戦後の我が國の世相は、道義は廃れ、人心は弛緩をし、これを産業界の方面に見ましたならば、いわゆる経営者側においては、労働の攻勢を惧れ、或いは赤字続きのために、自主的独立の精神を以て企業するという意思に欠けておる。又進んで仕事をするという氣魄もない、これが実情だ。