1977-11-18 第82回国会 衆議院 外務委員会 第8号
さらにもう一つ関連して質問をいたしますが、十月十四日の岩手日報によりますと、岩手県の漁船で、下閉伊郡山田町鈴木水産所属の宝得丸、九十六トンが北方四島周辺のソ連二百海里水域において操業中ソ連の取り締まり船の臨検を受けた。操業日誌にはサンマの漁獲量を十四・五トンと記載していたが、ソ連の漁業監督官が魚倉を調べたところ、漁獲量を二〇・五トンと計測。
さらにもう一つ関連して質問をいたしますが、十月十四日の岩手日報によりますと、岩手県の漁船で、下閉伊郡山田町鈴木水産所属の宝得丸、九十六トンが北方四島周辺のソ連二百海里水域において操業中ソ連の取り締まり船の臨検を受けた。操業日誌にはサンマの漁獲量を十四・五トンと記載していたが、ソ連の漁業監督官が魚倉を調べたところ、漁獲量を二〇・五トンと計測。
○内村政府委員 釧路市の漁業協同組合から北海道への報告によりますと、昭和五十年八月二十九日の午前五時ごろ、釧路漁協所属のエビけた網船第十一栄運丸という船が、釧路港の南東三十二海里付近で操業中、ソ連の漁船、これは漁船の名前もわかっておりますけれども、漁具に第十一栄運丸の漁具がひっかかりまして、西南西の方向に四ないし五ノットの速力で引きずられ、九時三十分ごろソ連漁船がソ連のトロールの網を揚綱いたしまして
三月の十四日に北海道の小樽根拠の沖合い底びき船が十八隻でございますが、北緯四十四度東経百三十六度及び北緯四十四度東経百三十六度の地点で操業中、ソ連の軍艦が接近してまいりまして信号旗を上げましたので、船から船主あてに、これは読めない、ソ連の信号旗は読めなかったもんで、漁業無線局に依頼をいたしてきました。その旗は海軍という意味と退去ということを意味しておりました。
また、政府はかねて、わが北方領土周辺において操業中、ソ連官憲に拿捕抑留された漁民の釈放並びに漁船の返還につき努力を続けてまいりましたが、このほど抑留漁夫については合計百四十一名の釈放が実現しました。また、本年六月十日貝殻島周辺におけるコンブの採取に関する民間協定も締結をみるに至っております。
また、政府は、かねてわが北方領土周辺において操業中、ソ連官憲に拿捕抑留された漁民の釈放並びに漁船の返還につき努力を続けてまいりましたが、このほど抑留漁夫については合計百四十一名の釈放が実現いたしました。また、本年六月十日貝殻島周辺におけるコンブの採取に関する民間協定も締結を見るに至っております。